第二話 その7
堀田教師の言葉に、折戸花子は驚愕の表情を浮かべて押し黙った。その隙を堀田教師は見逃さない。
「安心してください、折戸さんの弱みを晒そうという魂胆はありません。他意の無い家庭訪問です」
「尻尾見せやがったなクソキタキツネが」
折戸花子は咄嗟に冷静さを取り戻し、いつもの調子で眉間に皺を寄せて抵抗を始めた。
「てめェの言ってることは最初から最後まで何も意味がわからねえ。あ?他意の無い家庭訪問だと?タイが無けりゃエビはあんのか?クソ眼鏡漁師が」
「エビのある家庭訪問?」
折戸花子は舌打ちをし、「交渉は決裂だ!」と叫んだ。
「てめェのケツだけに、ケツ裂って言ってんだよ!さっさと帰れクソブロイラー!」
「私のお尻に何の関係が?」
「てめェがケツ振り出してる間に話も振り出しってこったよ!ざまあみろ!!煮崩れチャーシューが!!!」
「全くの誤解ということですね」
堀田教師は「落ち着いてください」と折戸花子の気を収め、話を続ける。
「本当に、あなたの秘密を云々しようという意図はありません」
「それ以前の問題だ。そもそもうちの学校に家庭訪問の仕組みなんか無えんだからよ。なんだ家庭訪問って。ガキじゃあるまいし」
「家庭訪問という表現の問題かもしれませんね」
堀田教師が自らの手を顎に添える。
「先ほど、石尾さんと少し話をしまして。折戸さんの家庭の事情をリサーチしてください、と怒られてしまったのです。それを聞いて、折戸さんのことをもうちょっと知らないといけないと思いました。そういう意味での交渉です。なので、家庭訪問というよりは私自身の勉強のようなものに近いかもしれません」
折戸花子が鼻で笑う。
「話はそれで終わりか?」
「はい、私の思いとしてはお伝えをしました」
「はっ。不世出の間抜けの猫だ、てめェはよ」
折戸花子は胸を張って哄笑を始めた。
「てめェは所詮その程度の、自転車操業の偽善者操業なんだよクソ眼鏡。いいか、てめェはいかにも生徒のことを思って勉強熱心に振る舞っているが、結局は単に石尾さんに鼻を明かされたのが悔しいだけなんだろ。石尾さんよりも私に関する情報を得ていたいだけの独占欲の虫なんだろ。そんなもん、結局はてめェの自尊心を満たすためのおためごかしだ。そんな願いを聞いてやる筋合いもねえ」
「……」
堀田教師は笑みを絶やさぬまま押し黙る。
「教師という立場を借りた権利的な暴力でのさばってるだけの猿山の大将、それがてめェだ。その肥溜めみてえな脳みそで、よく考えて喋れよ。私はてめえの家畜じゃねンだ」
「……」
「もう一度言う!交渉は決裂だ。カツレツだけに、ケツレツってことだ!!」
「すみませんでした」
堀田教師が頭を下げたのを認め、折戸花子が分かりやすい狼狽を見せる。
「折戸さんの言葉はちゃんと届きました」
堀田教師は折戸花子の目を一心に見つめ、そう言った。
「折戸さんが私のお願いに反対することは予想していました」
「……当たり前だ」
「そして、その時まで私の方から何かを要求したりしないことも決めていました」
「……」
堀田教師は、一泊沈黙し、持っていた二万円を手放した。
「先ほどの話は忘れてください。度が過ぎたお願いでしたね、すみませんでした」
「……」
折戸花子は予期せぬ相手の謝罪に、一瞬押し黙る。堀田教師がその間を埋める。
「安易な道を選んでしまいました。それは私自身の立場に胡座をかいた横暴です。折戸さんの心を軽んじない、正しいやり方を地道に探します」
折戸花子は口を歪め、情けない相手に反駁を言い淀む。最終的には、次の言葉だけを残す。
「勝手にしやがれ」
「はい」
堀田教師の淡白な首肯で、二人の会話はこれで幕を引いた。堀田教師は「では私は帰ります。お大事になさってください」と告げ、保健室を辞去した。
残された折戸花子は、二万円を財布にしまい、眉間に皺を寄せて舌打ちをした。
「張り合いの無えカスが」
その時、彼女のスマホが通知で震えた。
チャットが届いていたようだ。
送り主は「長瀬」。
彼女にパパ活相手を斡旋する女子生徒である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます