プロローグ 折戸花子とは
プロローグ
折戸花子はパパ活の際に長瀬羽生を騙る。そこではあらゆる個人情報を廃し、自称「清廉なお嬢様」として振る舞う。
援助相手との待ち合わせ場所となった神社は、その市の中央付近に位置し、地元有数の名所である。隣接する市には大型のショッピングセンターがあり、その道すがら観光に立ち寄る者も多い。古くは国府所在地として栄え、門前町は厳格な石造りの景勝によって来客に崇高な感情を誘う。
境内をくぐった先、本殿へと連なる石畳の道中では、援助相手の男が長瀬羽生を待っている。かねてより続けてきたチャットで、男の年齢が自称三〇代後半であることは割れているし、見た目や肌質はそれ相応の老け方をしている。一方、彼が相手にするのは自称十七歳の女子高生。大きな年齢差だが、それを乗り越えるための契約の関係が二人にはあった。「お茶1」という共通言語でつながった初対面の二人は、喫茶店込みのデートによって一万円の対価を授受することとなっていた。
男は長瀬羽生が待ち合わせ時間に遅れているのを怪しみ、スマホでチャットを入れた。
『一足先に到着したよ、待ってるね~^^』
すぐに相手からの返信があった。
『ごめんなさい!服選んでたら遅れちゃいました。。。もうすぐ着きます・・・!』
男はターゲットが怖気付いてバックれたわけではないことに安堵し、すかさず返信をする。
『トラブルじゃないなら全然大丈夫。ゆっくりでいいよ』
男がポケットにスマホをしまおうとすると、またしてもチャットの通知音が鳴る。スタンプでも返ってきたのだろうと予期し、念のためチャットを覗くと、以下のような返信だった。
『ありがとうございます!でも、服装はすごい気合入れてきたので、楽しみにしていてくださいね!』
そして、返信する間もなく再びチャットが送られてくる。
『タチバナさん、前に「若い子」が好みって言ってましたよね だから張り切っちゃいましたw』
因果関係は分からないが、前向きなのはいいことだと男は思った。
『そうなの!?めっちゃ楽しみ~~。早く会いたい』
『私もです!』
そして、チャットがひと段落し、男がセットアップのジャケットとスラックスのシワを整えていた時、ようやく彼女は現れた。
彼女は自称の年齢の通り、うら若い見た目をしていた。目鼻立ちのくっきりした顔立ちと、華奢だが張りのある肌。少し猫背の気質はあるが、身長が高くシルエットの見栄えもする。発する声も高く、相手を煽情する調子。そんな特徴の女性だった。
男の嗜好を満たすには恰好の容姿と言えるだろう。『若い子』という定義には完全に合致する。彼女自身もまたその自信を持っていたからこそ、期待を膨らませ昂然と胸を張り、満面の笑みで彼の下へと駆けつけたのだ。
対照的に、男の顔は引きつっていた。彼は彼女が期待に応える女性であることを認めながらも、一つの違和感によって彼女を満腔の賛意で迎えることはできなかった。
「……何その服」
彼女自身が標榜していた服装、そこにこそ男の不信があった。
ツインテールで結ばれた髪、頭に載せられた黄色で綿製の帽子。トップスは空色で薄手の生地に丸首と白の襟。左の胸元にはワッペンが縫い付けられており、『はにゅう』という手書きのインク文字。スカートは紺色で、足もとは白のスニーカー。そして、それを縦断する蛍光色のショルダーバッグ。
要するに、分かりやすい「幼稚園児の服装」で現れた彼女に、男は絶句せざるを得なかったのである。
「タチバナさんに喜んでもらえるかなって」
彼女は後ろ手を結びながら、自分の服装をアピールした。
「幼稚園児が好きなんて言ったっけ……?」
「若い子が好きって……」
彼女は男の反応がイマイチであることをそれとなく誘った。
「若いとかじゃないよねそれ」
「ダメですか……?」
「ダメというか単純に私服として不自然でしょ……」
「もちろん私服ではありません」
「ごめん流石に一緒に歩けないよ。ただでさえ目立ちたくないのに……」
男は参道脇の木陰へと彼女を誘い、そっと財布から抜き出した千円を彼女に渡した。
「ごめんね、これ交通費」
そして、そそくさと立ち去ろうとする男の手を彼女が止める。男は振り返り、「えっと、そのコスプレ代も払った方がいい?」と苦笑いで尋ねた。
「とりあえず、さっさとここ出ようか」
「何がいけないんですか!?」
彼女は先ほどの満面の笑みを忘れ、焦った表情で男に問う。男もまた焦りながら、彼女に握られた手を無慈悲に払う。
「いい加減にしてくれよ。そもそも僕たちは年齢差からしてグレーな関係なわけだ。それに加えてその様子のおかしなコスプレと来た。これが周りにどう見えると思うよ?終わりだよ、終わり」
「そんな。セーラー服のコスプレで来るべきでしたか」
「私服で来るべきだったよ」
「……」
「いいよ、もう」
そう言って遁走を図ろうとする彼の前で、女は俯き、しばし沈黙をした。男は焦燥に駆られながらも彼女の様子をうかがっていると、やがて彼女はバッグからとあるものを取り出した。
「ちょ、ちょっとそれ……」
勾玉のような形状をした拳大の機械で、先端からは布製の紐が伸びている。その正体を、男はすかさずに察知した。長瀬羽生は笑顔などさっさと止めて、眉根を寄せて男を睥睨する。そして、勾玉と紐をそれぞれの手に握り、掲げる。
「取るに足らねェクソいなり寿司が。この防犯ブザーが見えねえか」
彼女の手にあるのは、幼児に与えられる防犯ブザーそのものだった。デートの現場ではついぞ見ないアイテムだが、その一石によって二人の形勢は逆転するのだった。
彼女の声音は、先ほどと打って変わって極端なまでに低かった。
「縮み上がったかチヂミ野郎」
「……」
「肉団子にして食うか?」
「……」
「それとも枝豆か?」
「……」
「もしくは」
「いつまで金玉の比喩を言ってんだ」
男は立ち止まり、大人しく彼女と対面をする。二人だけの鬱蒼とした日陰の道には、乾いた風が吹いている。
「目的は金だろう?いくら払えばいいんだ」
男は財布を覗き、札束の枚数をゆっくりと数え始める。
「お茶1、食事2、大人5。さて、私の今日の見込みはいくらだっただろうね」
「三万円でいいかい?」
「それが回答でいいか?」
彼女が防犯ブザーを握る手を強めた。男がここで強気に出る。
「冗談じゃない!得るものもなくてこれ以上払えるか!」
「別に私は何も言っちゃいない」
「そもそもそっちがおかしな服着てくるのが悪いんだろ!」
「何度も言わせるなよ。てめえがいくら払うかだ」
男はしばらく考え込み、一度深呼吸をして財布から一枚の万札を取り出した。
「足元見られてこっちも黙ってられるか。鳴らしたきゃ鳴らせ。出会って数分で既成事実も無い」
「私を鳴かぬだけのホトトギスだと思うかい?ご生憎様、私は獰猛な猛禽だぜ」
「何を言ってるかさっぱり分からん。ここで鳴らせば、そっちも僕との関係がバレるわけだ。学校にも、親にもな。そして、タダでもらえたはずの一万円も失う羽目になる」
長瀬羽生の握力が弱まるのを男は見逃さなかった。
「小遣いには十分な額だろ。これに懲りて火遊びはやめることだな」
「……」
そして、一万円を渡す決意をより強固なものにして、彼女のブザーを握る手に、万札を無理やり捻じり込む。
「じゃあな、お嬢ちゃん」
そのまま立ち去っていく男の背に、彼女は最後の言葉を浴びせかける。
「ありがとよ、てめェの施しが我が家のエンゲル係数になる」
◇
幼稚園児のコスプレをした折戸花子は、境内のベンチに座り、小休止をしていた。収入は期待したものではなかったが、労働の対価には見合ったものだと割り切っていた。
バッグから水筒を取り出し、ぐびぐびとお茶を飲む。行きに走ってきたこともあって、喉は乾いていた。そして、水筒の中身が空になってもまだ潤いが満たされないことを感じて、近くの水道で新たな水を汲んだ。遠くに見える手水舎を見て垂涎の気持が誘われたが、流石にやめた。
ベンチに座っていると、頻繁に来客の視線を感じた。服装の故であることも理解した上で、彼女はいちいち取り合わなかった。
来客の中にいた男女のカップルから無言の一瞥をもらった時も、彼女は何も心を乱すことは無かった。ただ、予期せぬトラブルによって、彼女の注意はすかさず彼らの方へと促されることになる。
彼らは拝殿へと赴く前に、賽銭が足りているかと財布の中を覗いていた。そして、小銭入れの中から目的の五円玉を二枚取り出す時、手元がごちゃついて百円玉数枚が財布から飛び出てしまった。
ほとんどの硬貨は足元の砂利に落ちたが、そのうちの一枚がそのまま転がって、そばの池に沈んでしまった。男性の方が目線だけで追い、一部始終を見届けるが、一瞬の焦りのあとにはからからと笑って「お池に賽銭投げちゃった」と言った。女性の方も笑って「お池にはまってさあ大変」と抑揚をつけた声を上げ、破顔した。男も打てば響くように反応する。
「どじょうが出てきてこんにちは」
「どんぐりころころどんぐりこ?」
「ごめんごめん」
「まあしょうがないよね」
そう言って彼女が、足もとの砂利に落ちた硬貨だけを拾い上げる。
「はい、お金大事にしなきゃね」
「ありがとう。気を付けるよ」
「よろしい」
「……っていうか、どんぐりころころどんぐりこって言った」
「え?うん」
「あれ、どんぐりこじゃなくて、どんぶりこでしょ?」
「え?まじ?」
「まじまじ。俺の地元ではどんぶりこだから」
「ダイくんの地元が変なんじゃないの?大富豪も八切りないし」
「うそー。ちょっと調べてこ」
「……。あ、でもホントだ」
「ほらー!」
「何それ~、八切り無いくせに」
「いや八切りそんなに重要?」
二人は落ちた硬貨のことも忘れて、池の方にもとうに背を向けて、別の話題で談笑を始めて拝殿へと向かい始めた。
二人の後背から、ばしゃんと水のはねるような大きな音がする。驚愕して振り返った二人の目に映ったのは、池に起きていた異変だった。
池に立つ超然とした人型の怪異。それは全身を濡らし、波紋を起こす水面を悠長に眺めていた。彼らはそれを眺めて唖然とした。
「えっ、河童いる?」
「ホントだ……。幼稚園児の河童だ」
それは池の水に飛び込んだ折戸花子に他ならなかった。彼女は彼らの目を離した隙に、池の水底に手を伸ばし、落ちた百円を拾い上げようとしていた。そこで深追いをしすぎて、頭から水面へとダイブをしてしまったのだ。
珍妙な衣装を着飾っていた彼女は、そのアクセントとして全身に水と泥をまとっていた。
カップルはおそるおそる折戸花子に近づき、女性の方から「大丈夫ですか?」と眼下の折戸花子に声を掛ける。
折戸花子は振り返り、その右手に一枚の百円を掲げた。不敵な笑顔で二人を見上げる。
「金運の神に恵まれなかったな、どんぐり野郎」
「どんぐり野郎?」
「てめえのイチモツの比喩だよ」
折戸花子は己の足で池から砂利道へと上がる。彼女の履いていたスニーカーが、ベージュ色に汚れている。
男性はすかさず尻ポケットからハンカチを取り出し、折戸花子に渡した。
「恵まれなかったのはそっちでしょ。ほら、それで汚れ拭きなよ」
「ありがとな。好きになっちまうとこだったぜ。きゅうりに格上げしてやんよ」
「きゅうり?」
「皆まで言わせんな」
彼女は何の感情の起伏も無くそう言って、ハンカチを丁重に受け取った。
男性は「風邪ひかないようにね」と彼女を気遣った。
「風邪でくたばるほどヤワじゃねえんだわ」
「そういう話じゃねえよ」
取り付く島も無い彼女を置いて、カップルは本来の目的地へと道を急いだ。
二人は拝殿に到着すると、息を合わせて賽銭箱に五円玉を投げ入れ、隣に並んでお互いの幸せを願った。二拍手の後に静謐な気持ちでお祈りをしていると、その隣にもう一つの人影を感じたのだった。
二礼を終え、二人は何の気なしに人影の方に視線をやる。そして、すぐさま飛び跳ねるように驚く。
そこには泥まみれになった件の幼稚園児のコスプレイヤーがいた。折戸花子その人である。
折戸花子は二人の存在にも気づいていないように、全く視線を向けず、賽銭箱に十円玉を放り投げた。そして、敬虔な精神の下で淡々と儀礼を行い、慣れた調子で次の様に唱えたのだった。
「シンプル教による平和と博愛が、今日も私たち家族の下に訪れますように」
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