【十八】ステキ!

衝動的行動というのは、

自分の秘めた内側を解放するものだ。

一度開けば取り返しのつかない結果になっても、

それまでが耐えていればいるほど解放の快感は素晴らしい。


クレオが初めてその感覚を知ったのは、

親に両手両足を縛られて

井戸に投げ込まれた時だった。


落下の衝撃で首の骨を折らなかったのは幸運だった。

クレオの両親は頭が固く、平民は貴族に仕えるのが

絶対の幸福と信じていた。

我が子の賢さに、この世のものならざる何かを見出し、

貴族に親である自分らまで睨まれるくらいならと井戸に投げた。


前世の記憶を持つとバレれば

貴族の屋敷で働くことができない。

それは彼らにとっては幸福な仕事ができないというのと同じだった。


「野垂れ死ぬよりはひと思いに」


そんなことを言ってさえいた。

向こうにしみれば純粋な善意だったのだろう。

それが井戸に投げ込むことであってもだ。


上下逆転した世界観で全身を跳ねさせ、

よじり、拘束を抜け出そうとする。

抜け出せない。万力かというくらいに結びが硬い。


光がなくて周囲がわからない、

酸素がなくて思考ができない、

湿気が強くて逆手ではぬるぬるした内壁に掴まれない。


なにかできないのか。

死にたくない。怖い。恐い。

半狂乱になって暴れると頭が壁を打ち、

額がぱっくり割れた。


誰でもいいから、ここから出して──


クレオにはそれ以降の記憶はない。

無数に流れ込んできた前世の情報が

幼かったクレオという人物の連続性を断ち切った。


彼女の両親の行方は、

誰も知るところではない。

ただ、次に意識が戻った時、

認識したのは大雨の降る空の下で横たわり

大の字になって胸を抑えていた。


落ち着いて、自分の意志を確保できたら第一に、

クレオはシニスター・セイメイ、

かつて六川リンと呼ばれた者の記憶を消した。


だが、それでは忘れきれないことがある。

前世、スーパーヒーローのアークヴィランだった者。

その邪悪な記憶・人格はすぐに抹消しても、

記憶を通してスーパーヒーローを想ったときの

感情の動きはなかったことにできない。


そして強い感情の動きは

肉体にも大きな変化を齎す。


生まれつき、なにもかもが労せずにでき、

ほんの少しの努力を続ければ

すぐに全員を遠くに置き去りにできた少女にとって、

まったくの未知の感情。


──あんな豚どもを殺しただけのことにそんなに驚くかね。


目覚めの瞬間。

思い出が押し寄せてきた。

未来のスーパーヒーローが詰問するのを背に、

クレオの前世は考えていた。


その者にとって、スゲーマンはいつも付いてくる存在であり、

いつしかいて当たり前の存在になり、

凡庸でトンマな少年だった。

ここで切り捨てても一切の感傷を抱かないはずだった。


「ハァッ……ハアッ……!!」


胸を押さえ、瞳孔が開ききって湯気が出るほど赤くなった全身の体温。

水滴が当たるとそのまま蒸発した、

狂おしい感情の爆流。


──ここで全部ぶち撒けてしまおうか。


しかし、無垢な信頼を寄せてくる少年に、

ずっと隠してきた己の全てを見せるというのは、

天才の魂をして心を惹かれるものがあった。


自分のすべてを見せれば、

このマヌケはどんな顔をするのか、

想像するだけで心が激しく踊った。


心臓が激しく高鳴り、

脳が一つのことしか考えようとしない。


──ずっと馬鹿正直にこっちを見てきたこいつに、僕が僕であるものをまるまると見せてやるんだ。


「なにこれ……!」


──僕がどれだけ、恐るべき存在か。最期に見せてやろう。


人生で最も大切で好ましい存在を

自らの手で壊す。

認めたくないが、心の何処かで理解している、

自分にはないものを持っているアマちゃんを穢す欲求。


「すっごく。すっごく……!」


──僕だけがこの世界でたった一人なんだ!


この胸の高鳴りは

脳を狂わせるのに十分。


振り返ると、記憶の残滓として拾い上げられる唯一の思い出。

前世において最も感情が動いた瞬間。

一番特別に想ってきた相手に、

絶対に明かさないと想っていた自分の本性を残さず開示するその時。

長い長い因縁の始まり。


「ステキ! これが恋なのね」


彼女は文字通り、恋に恋した。

だから彼女は自分にとっての特別を求めた。

クレオはどれだけ前世を忘却しても

目覚めに味わった特大の恋に惑わされることになる。


百万年の記憶を消しても、

恋のときめきを忘れられはしなかったのだ。

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