コーヒー幽霊
こがた
I. 第1話 0
「そのとき私は、それを確かに望んでいました。
それはいまも、ここではない別の場所で、別の形で、別の現実として、続いているように思われます。
でも、その望みは、実現されないまま終わったわけですし、幽霊のように生き続けているのに過ぎないことはわかっています。
幽霊が生き続けている、と言うのも変ですね。
でも、それが、やはり目には見えず、そこにいる、ということには違いないんです。
それは毎晩、眠りに落ちようとする私のもとに現れて、私を眠らせてはくれません。
「ええ、そうです。
幽霊というのは、死んだ私です。
そして、それはいつも、眠りに落ちる間際に現れ、夜のあいだ中、私を殺そうとするんです。
夜明けが近くなって、カラスの声が聞こえるまで。
それは、部屋の一番暗い片隅に現れます。
夢と現実の顫えのなかで、それは姿を形作ると、私の方へ近づいてきます。
それから私の上に跨り、両の掌で私の首を絞めるんです。
その掌からは、死者の異質さと冷たさを感じます。
私は、自分の手足の先がだんだんと痙攣し、冷たくなっていくのを感じます。
目だけは動かすことができるのですが、開けることなんてできません。
誰もいない部屋に誰かがいて、自分の首を絞めているとき、あなたは目を開けて、その相手の顔を見る勇気がありますか?
私にはありません。
「それが苦痛ではないか?
もちろん苦痛です。
最初のうちは、それこそ信じられない出来事だと思いましたし、パニック状態になりました。
カーテンの向こうが明るくなって、カラスが啼き、それがいなくなったあと、汗だくでベッドに横になっていると、
自分がよく似ている別の世界に来てしまったように思われました。
ですが、それが毎晩のことですから。
いまでは、また今日もか、という感じです。
むしろときどき、心地良さや快楽を感じます。
それは、取り立てて特別なことでもないような気もしますが。
苦痛に対する一般的な適応とでも言うのか。いえ、他意はありません。
「それで、窒息と眠気で朦朧とする意識のなか、私は、幽霊に見つめられているのを感じます。
そして私は、よく聴き取れない言葉を耳にします。
内容はわかりません。
それは、言葉というよりは音に近くて、幽霊の口から発せられているから、言葉だと思うだけです。
人は音ではなく、言葉でなにかを伝えますから。
ですから私は、それがなにを言っているのか、注意深く聞き取ろうとするのですが、まったく何もわかりません。
それの言うことが理解できれば、それから逃げたり、やっつける方法も見つかるのかもしれませんが。
「そうして、長い時間が過ぎて行きます。
私はそれに、あなたは誰、私になにを伝えたいの、と尋ねようとします。
でも、喉を絞められたまま、まともな声なんて出るわけもなく、私の声は意味をなさない音に過ぎません。
私を怨んでいるの、と尋ねようとすると、いつも決まって、カラスが一羽、窓の近くで啼くんです。
まるで私の代弁者のように。
するとそれは、私の首から手を離し、音もなく部屋を去ります。
そうして、いつものように深い静けさが、私の部屋に戻ってきます。そのときは私まで、部屋の一部になったような、虚しい気持ちになります。
もう二度と、誰も訪れることのない廃屋の、古い客室に掛けられた埃まみれの一幅の絵のような。
ですから、こうして幽霊といる時間だけが、私が自分を確認できる時間でもあるんです。それがいるから私がいる、というのか……。
「幽霊にまで見棄てられた私は、私であることを止めたような気がします。
私は、一人の人間であることを止めて、認識されることもない、何か取るに足りないものになるんです。《それ》としか呼べないようなものに。それで、ぐったりと疲れ切った《それ》は、寝返りを打って、丸まって、仕事に行くまで、部屋の一部になって眠るんです。
眩暈がするような深い眠りです。
でも、眠っているときでさえ、私はいつも、《それ》をどこかから見ているのです。」
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