二人の少女 6
ついに藤川の撃墜数が十の大台を突破した。
藤川は面白くもなさそうな顔で名簿の前に立っていた。
男に好かれて喜んでいる、という風には見えないが。
藤川の視線が八宵へ向けられる。
八宵は現在七人。入学してまだ一ヶ月も経っていないというのに、思ったより八宵に気のある人間が多いな。
藤川が八宵へ近づいていく。
「八宵」
「何だ、藤川」
「私と勝負しない?」
「一体何の」
「どちらが先に二十個矢印マークを付けられるか」
藤川が自信満々に言った。
「……そんなことをして私に何の得がある」
「あなたが勝ったら、あなたの恋を応援するわ」
二人の目がこちらへ向く。
「いらない」
「逆に私が勝ったら、あなたの恋を邪魔するわ」
「もしかして、私に喧嘩を売っているのか?」
八宵が立ち上がった。
八宵の沸点ってこんなに低かったっけか?
「そうよ。言ったでしょ。私と勝負しない? って」
「私が勝ったらの条件を変更するなら受けよう」
「どんなの?」
「二度と優に話しかけるな」
藤川がこちらをちらりと見て、にやりと笑った。
「いいわ。受けて立つわ」
藤川が笑っているところを初めて見た気がする。
「なあ、橘。なんだってあんな勝負を受けたんだよ」
「お前が気にするようなことじゃないだろう」
「だってさあ。惚れさせた数を争うなんて橘らしく無いと思って」
俺もそう思った。
藤川はともかく。
「私は、優のことに関しては一歩も引きたくないんだ」
八宵がこちらの目を真っ直ぐ見つめて言った。
なるほど。これは俺に対してのメッセージ、いや、アピールなのか。
「……つまり藤川はダシに使われてるって訳か。橘の印象何か変わったなー」
佐金がかつ丼を頬張りながら言った。
この学校に来てから八宵の新たな一面を見ることが多くなった。
元からこうだったのかも知れないし、この学校に来てから少しずつ変わっているのかも知れない。どちらにせよ以前の八宵とはかなり違う。
「優。見ていてくれ」
サンドイッチを食べ終わった八宵が、上級生数人が談笑しているテーブルへと歩いて行った。
俺は二つ目のおにぎりを口に放り込んで成り行きを見守る。
「お食事中すみません。この中でどなたか、有段者の方はいらっしゃいますか?」
「誰、君?」
「一年C組の橘と言います」
「あー、確か名前見たことあるなあ。で、有段者って何?」
「柔道でも、空手でも、剣道でも。何でも構いません。段位を持っている方はいらっしゃいますか?」
「この中にはいないけど……。あっちのテーブルの、あの背が一番高いやつ。あいつ確か空手の黒帯だよ」
「分かりました。ありがとうございます」
八宵は礼をして、指を差されたほうへ向かって行った。
「橘のやつ、何をしようとしてるんだ?」
「さあ」
「はじめまして。橘八宵と申します。手合わせをお願い出来ないでしょうか?」
「君は?」
「合気道を少々嗜んでおります。お手合わせを、お願い致します」
「ここで?」
「一度打ち込んで頂ければ結構ですので」
「いいけど……。怪我しても知らないよ?」
「ありがとうございます」
食堂の中央に、一時的なリングが出来上がった。
生徒達が何事かと集まり始める。
「喧嘩か?」
「いや、試合だってよ」
「橘さん! 何やってんの! あぶないよ!」
「おいこれ誰か止めなくていいのかよ」
「頑張れー」
「先輩! 怪我だけはさせないように! お願いしますよ!」
凄いことになってきたな。
八宵が構えを取り、先輩のほうへと近づいていく。
先輩も軽く構えを取ると、拳を八宵の肩に向かって突き出した。
速い。
だが拳が放たれた瞬間、更に八宵が間合いを詰め、先輩の腕を掴み一瞬にして投げ倒した。
鈍い音が食堂に響き渡る。
ほんの少しの間食堂が静まり返ったが、すぐに興奮で沸き立った。
「な、何だあれ。マジかよ!」
「三十センチぐらい身長差があったぞ」
「何が起きたの今!」
「やべえってマジで」
「橘さん凄い! 格好いい!」
「先輩起きて下さい! 先輩!」
八宵がそのままこちらへ向かって歩いてくる。
八宵に近づくことを恐れてか、まるでモーゼのように人垣が割れていく。
「どうだった? 優」
八宵が得意げな顔で言った。
「……お前ホント変わったな」
呆れてものも言えない。
八宵は公式の場に姿を見せたことがないが、多分県大会優勝ぐらいでは歯が立たないほどの実力を持つ。それがどんな武術でも八宵にはおそらく勝てない。
合気道には試合がないので八宵の強さを知る人間は実はかなり少ない。
よほどのことがない限り人前で技を見せるようなことはしなかったはずだが、一体何が彼女を変えてしまったのか。
俺か?
この日、八宵の名簿には二十を超えるマークの追加があった。
たった一日で八宵は、藤川の数字を大きく上回った。
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