第12話:小さな冒険


 メイエリはリボンを強く握りしめていた。


 大切な宝物同然のリボン。少しでも自分の背中を押してくれるような勇気がほしくて、宝物に縋った。

 これから自分が実行しようとしてるのはあまり褒められたことではないと分かっていたから。


 今度レイヴン家では使用人を採用することになっている。そこでロサには使用人としてレイヴン家に侵入してもらおうと思っていた。


 そして、これを渡すのだ。


 メイエリは鞄に触れる。中には遅延性の毒薬が入った瓶がある。

 ロサには睡眠薬と伝える予定のもの。

 うまいこと誘導してロサの手で父とコリウスに飲ませたらと考えている。

 そうでなくてもロサがこの毒薬をもって、使用人としてレイヴン家に入れば十分だ。

 メイエリも同様の毒薬で、メイエリの手で殺せばいいのだから。あとは、ほら、ロサに罪を被せればそれで終わり。

 屋敷内ではロサはどうせ秘宝探しで怪しい動きをするし、盗人の過去を掘り出せば簡単に疑ってくれるだろう。


「ロサ、今日はいい情報を手に入れてきましたわ!」

「ん? やけに機嫌がいいな。逆に気味がわりぃぞ」


 人々が行き交う道の中、いつもの集合場所で待っているロサに声をかける。


「いつも手伝ってもらっている貴女に今日はお礼がしたくて、貴女が欲しい情報を手に入れてきましたのよ?」

「それは、本当か……!?」

「ええ、もちろん。だから、」


 そこで、ふとメイエリの口が止まった。

 うまく舌が回らなかったのだ。


 ロサに情報を伝えて、毒薬の入った鞄を渡す。それでいいはずなのに、無意識にメイエリはそれを実行するのに戸惑っていた。

 盗人であると分かっているとはいえ、最初から利用するつもりで接してたとはいえ、メイエリはロサを知りすぎてしまった。友と呼べるくらいの絆を築いてしまった。だけど、メイエリ自身はそれを自覚していない。


 頭が真っ白になり、うまく動けない。

 誰から見てもわかるくらい油断していた。



 やはり、悪いことはするべきではなかったのだ。悪い子にはそれなりの制裁がくるのだ。

 メイエリが後悔するのは時間の問題だった。



 ドンッ。


 何者かがメイエリに強くぶつかる。メイエリはよろめき、咄嗟にロサが支える。己の身に起きた硬直と、その後起きた強い衝撃。戸惑いの中、メイエリは顔を上げた。


 そして、気づいた。自分の身に何が起きたのかを。


 盗まれた。


 手元には手提げ鞄がない。子どもがメイエリが抱えていたはずの鞄を持って走っている。

 鞄だけではない。


「……っ!」


 メイエリが幼い頃、姉であるライラックからもらった大切なリボンも、だ。


 小さな子どもは行き交う人々の間をすり抜け人混みへと消えて行く。

 以前の大男と違って、怒鳴り騒ぐことなく静かに遂行し、体格も小さいから簡単に人の影に隠れてしまう。


 一瞬で見失ってしまった。

 だけど、取り返さないと。


「まって……!」


 鞄なんてどうでもいい。

 毒薬なんてどうでもいい。

 お金なんてどうでもいい。

 それさえ返してくれればいいから。


 メイエリを支えてくれる、勇気をくれる大切な宝物。


 これを失ったらそれこそ本当に姉であるライラックをも失ってしまいそうな気がして胸が引き裂かれるようだ。


 メイエリはおぼつかない足取りで消えていった子どもを追おうとする。


「メイエリ、落ち着け!」


 しかし、ロサがメイエリの腕を取り、引き留めた。


「ロサ、離してくださる!? わたくしはリボンを取り返さないと……!」

「完全に見失ってる! 今、無闇に動いても意味ないし、下手したら他のごろつきの餌食になるぞ」

「でも、でも……っ!」


 どうしよう。貴族の令嬢なのに、誇り高いレイヴン家の一員なのに、取り乱した気持ちが落ち着かない。涙が止まらない。


 大嫌いな俯いていた幼い頃のメイエリが顔を出し始める。

 悪いことをしようとしたから、罰が下ったんだ。

 悪い子なんだから涙を流すのだっておこがましい。


 いけないんだ。いけないんだ。



「メイエリ!」



 ロサの強い声かけにメイエリは今に引き戻される。


「大丈夫だ。安心しろ。ちゃんと取り返すから、明日、またここに来い」

「でも、わたくし、本当は貴女に、悪いことを……」

「なーに、ごちゃごちゃ言ってんだ。盗人のアタシには今さら良いも悪いも関係ねぇよ」


 ロサは真っ直ぐな瞳でメイエリを見つめる。


「それにアンタの取り返したいもんは、替えのきかないやつなんだろ? そういうやつを失うのはダメだ」


 そうだ。大金叩いたって同じものは出てこない。メイエリにとっては唯一のものだ。


「あとほら、友だちが困ってんだ。手を貸すのは当たり前だろ」

「いつ盗人なんかとわたくしが友人になったんですの」


 ロサを利用しようとした罪悪感と、こんな自分を友としてみてくれた照れ臭さが入り混じってメイエリは思わず悪態ついてしまう。


「そんくらい言い返せるんなら上出来だ」


 メイエリの悪態も気にせずロサは快活に笑った。

 そんな彼女を見て、ふとメイエリは思った。

 ロサならお姉様を託しても大丈夫かもしれない。


「……ロサ、貴女はもし秘宝を手に入れたら誰かに渡してしまいますの?」


 ロサならお姉様を遠くへ連れて行ってくれるかもしれない。


「んーアタシはただ盗めって言われただけだからなぁ。その後は特に考えてねぇ」


 ロサならお姉様を自由にしてくれるかもしれない。


「なら、ロサ、約束して。その秘宝は誰にも奪われないでください。貴女がこれから盗もうとしているのはそれこそ替えのきかないもの。だから、大切にしてほしいのです」


 他によく知りもしない者に大事な家族を奪われるのなら、自分を友と言ってくれるロサにお願いしたい。


「ああ、約束する」


 ロサの言葉を聞いて、メイエリは覚悟する。


「わたくしといつも合流している場所の近くの空き家。あそこはレイヴン家に繋がる通路がありますわ」


 メイエリはロサに近づき耳元で小さく呟き、手首に隠していた空き家の鍵を渡した。


「通路は途中二つに分かれます。本邸と別邸。秘宝は別邸の一番高い部屋」

「メイエリ、アンタってもしかして……」

「ロサ、お別れしましょう。この街で会ったメイエリという人間のことを忘れてください。誰にも言わないでください」

「じゃあ、リボンは……!? 明日ここに来たらちゃんと取り戻して渡すから……!」

「ええ、ロサなら取り戻せるってわたくしも信じています。だけど、うん。貴女にしばらく預けますわ」


 レイヴン家はもう姉を閉じ込める鳥籠でしかない。翼を護るのではなく、苦しめる居場所にしかならないのだろう。

 なら、この真っ直ぐな盗人に鍵を開けてもらおう。空に連れて行ってもらおう。


「それでは、ロサ、さようなら」


 こうしてメイエリの友人との小さな冒険は幕を閉じた。



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