第21話

 サリーと出会った日はとてもじゃないが、仕事にならなかった。

 彼女に話を聞いた人達が何人もジョーを訪ねてきて、思い思いに母親の思い出を語って聞かせたからだ。

 初めは「仕事中なんだけど……」と面倒臭そうにしていたジョーも神父から「話を聞いてあげるのも仕事のうちだ」と言われ、観念したように耳を傾けるようになった。

「サリーに聞いて会いに来たんだよ。はあ、本当によう似とるわ」

「……そうかよ」

 ある人はジョーに母親の面影を重ねた。

 全然似ちゃいない、と呆れたように言うジョーに構わず、似とる似とる、と言って聞かなかった。

「よかったら、これ、食べてね」

「……いただきます」

 ある人はお世話になった恩返しがしたい、と言ってきた。

 何もしていないのに、と遠慮するジョーに構わず、貴女のお母さんが喜ぶ事をしているだけだから、と満足そうに微笑んだ。

「貴女のお母さんには本当にお世話になって……」

「……そりゃ、どうも」

 ある人は母親に伝えられなかったお礼をジョーに伝えた。

 私に言われても困る、と困ったように言うジョーに構わず、いいんだよ、ありがとうね、と言う彼女は、まるで自分の娘に向けるような愛おしそうな目をジョーに向けた。


「なんだってんだよ、もう」

 日も落ちかける頃になって、ようやく来客から解放されたジョーは部屋のベッドの上に座り込んで、大きく息を吐いた。

 今日はろくに教会の仕事を手伝えなかったので「明日はちゃんとやるよ」と神父に伝えたが、彼は優しく笑って「いやいや、構わんよ」と言うだけだった。

「ママがこんなに慕われてるなんて初めて知ったよ」

 ジョーは、サリーにもらったりんごを眺めて、一人、嬉しそうに微笑んだ。服の裾でりんごをごしごしと磨くと、そのままりんごに齧り付く。

 口の中に広がる甘酸っぱさを楽しみながら、ジョーは今日訪れた人達が語った母親の思い出話を思い返していた。

 誰かの思い出の中の自分の知らない母親の話を聞く事で、記憶の中でおぼろげだった思い出の輪郭がはっきりと見えてくるような気がして、ジョーは普段よりも深く母親との思い出に浸る事が出来た。

 母親に抱かれた腕の中の温かさ。

 鼓膜を震わせる歌声の心地よさ。

 囁くように祈りを唱える声の美しさ。

 彼女を失った時の哀しさ。

 しばらくの間、感傷に浸っていたジョーは舌打ちをして、窓の外に齧り終えたりんごの芯を放り投げると、駆け出すように部屋を飛び出していった。

 教会を出たジョーは、日の落ちた街を走った。

 夜の闇の中、街を行くのは恐ろしい事だとわかってはいたが、そんなものはジョーの足を止める理由にはならなかった。

 呼吸を弾ませ、鼓動が早鐘のように胸を打っても、ジョーは走る足を緩めはしなかった。

 息を切らし、口の中に血の味が広がるのを感じた頃、ジョーはごみ捨て場に辿り着き、そこら中が散らかるのも構わずに、無造作に捨てられたごみの山をひっくり返した。

「無い! 無い! ふざけんな、どこだよ!」

 ジョーはごみに埋もれ、服が汚れるのも、手が傷付くのも構わずに、必死でごみの山をかき分けていった。

 それでも、どうしても見つからない。

 こんなに探しているのに。

 月の光を受けて、あの銀細工の星が輝くはずなのに。

 どうしても、あのペンダントが見つからない。

「……ふざけてんのは私だろ」

 ジョーは悲嘆に膝を落とし、自分が取り返しのつかない過ちを犯した事に気付いて後悔した。

 あの光輝く銀細工のペンダントに誰も気付かないわけがない。

 きっと、誰かが拾ってどこかに持ち去ってしまったのだろう。

 これ以上探しても、見つかるわけがない。

 もう母親の形見のペンダントをジョーが首に提げる事はない。

 今更になって、ジョーはその事実に気付いた。

 自業自得だ。

 ジョーは自分の愚かしさに涙も出なかった。

 初めて出来た友達も、アンの好きだった長い髪も、母親から受け継いだペンダントも。

 全部、自分から捨てて、今更になって、自分が孤独な事に気付いた。

 エリーもいない。

 アンもいない。

 ママもいない。

 自分に何が残っている?

 ジョーは空っぽの心のまま、足を引き摺るようにして教会へと戻っていった。


 夜も更け、神父も眠りについた頃になってジョーはようやく教会に辿り着いた。

 何も考えられないまま、礼拝堂の椅子に腰かけて、ぼんやりと月明かりに浮かび上がるステンドグラスから漏れる、鮮やかな光に彩られた聖母像を眺めた。

 イェイツの聖母にママの面影を重ねたら、ママは怒るのかな。

 イェイツの修道女の格好をして、イェイツのために働いて、マグダルの祈りを唱えようともしない。

 そんな自分を、母親はどう思うだろうか。

 もうこれ以上、ここにはいられない。

 この教会で母親の思い出話を聞きながら、のんびり掃除をして、三度の食事を頂く生活は、それは居心地がよかろうが、それでも、その居心地の良さに甘えてしまえば、自分は何も出来なくなってしまう気がした。

 何より、母親がそれを望むとは、ジョーには到底思えなかった。

 明日にはここを出よう。

 ここを出てどうするのか、どこに行くのか、何が出来るのか、何もかもが不安だったが、とにかくいつまでもここにいるわけにはいかない。

 そうと決めたらさっさと出ていかなければ、決心が鈍る。

 ジョーがそう心を決めた時、教会の外で心地良い響きのエンジン音が鳴り響くのが聞こえた。

 いい音させてんな、とその音に耳を傾けたジョーは、高級車の物と思われるそのエンジン音に、エリーの事を思い出さずにはいられなかった。

 まさかエリーがこんな時間に、こんな所を訪れるはずがない。

 それでも、そのエンジン音が教会の前で音を止めると、もしかしたら、と期待を込めて、出入口の方を振り向かずにはいられなかった。

 ジョーの期待も虚しく、訪れたのは見知らぬ紳士だった。

「祈りに来たんだが、いいかね」

 仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ男性が、視線を交えたジョーにそう尋ねた。

「そんな事、なんで私に聞くんだよ」

 面倒臭そうに視線を外した後で、自分が修道服を着ている事に気付いて、これじゃしょうがないよな、と思い直した。

「知らない。でも、多分、時間終わってるんじゃないの」

 修道服を着ていても、知らないものは知らない。

 困ってる人がいるなら、時間とか関係ないのかな、とは思いながらも、神父も寝ているし、自分がいたところで何もしてやれる事などない。そう思い、やるなら好きにやってくれ、とばかりに適当な返事をした。

「構わないよ。勝手にやらせてもらうとしようかね」

 彼はそう言って、大袈裟に思えるほどに恭しく、聖母像の前に跪くと、静かに祈りを捧げ始めた。

 マイペースな奴だな、と呆れたジョーはそんな彼の姿を見て、なんだかエリーに似ているな、と感じた。

 金持ちというのは、きっと、マイペースなもんなんだろうな、と思った。

 祈りを終え、立ち上がった男性はジョーの方に歩を進め、通路を挟んで反対側の椅子に座ると、何か心を決めたように一つ息を吐いて、ジョーに話しかけた。

「君、ちょっと昔話に付き合ってくれんかね」

「……なんで私が」

 唐突な話に意表を突かれたジョーが眉を顰めると、男性は「そう言わずに。頼まれてくれないか」とのんびりとした雰囲気の微笑を浮かべた。

「いいじゃないか。誰でもいいから話を聞いてほしい時というのはあるだろう」

「まあ。わからないじゃないけどさ。聞き上手じゃないぜ」

 言っとくけど私は修道女じゃないからな、とウィンプルを外し、汗をかいた頭をくしゃくしゃと弄ると、ざんばらになった後髪がちくちくと痛んだ。

「構わないよ。勝手に喋っているから。そこにいてくれるだけでいい」

「いいよ。聞いてやるから、勝手に喋ってくれ」

 溜息混じりにそう返したジョーに、ありがとう、と礼を言うと、思い出を掘り返していくように遠い目を見せ「もう十年以上前の事だがね」と話を切り出した。

「……私は人を殺してしまったんだよ」

「おいっ、勘弁してくれ!」

 思いがけない男性の告白にがたり、と音を立てて椅子から立ち上がったジョーは男性から距離をとった。

「どうしたんだね」

 ジョーの剣幕に、きょとんとした表情を浮かべた男性がそう言うと、どうしたもこうしたもあるか、と警戒心も露わに後ずさりした。

「どうして人殺しの懺悔を私が聞かなきゃいけないんだよ! 冗談じゃない!」

 やっぱりここは怖い所だ。こんなに人の良さそうな顔をして、人を殺した、だって?

 アンも本当に悪い奴は、良い奴みたいな顔をして近付いてくるもんだ、って言っていた。

 私もここでこいつに殺されるのか。

 そんなのごめんだ。

 男性を睨み付けて距離をとりながらも、怯えを隠せないジョーを見て、彼は何が可笑しいのか、くすりと笑みをこぼした。

「怖がらせるつもりはなかったんだ。すまないね」

 彼は本当に悪いと思っているのか、いないのか、わからないような口調で謝った。

「なんと言えばいいのか。私が殺した、という言い方はよくなかった」

 そう言った男性は「それでも、私が彼女の死の原因を作った事に変わりはないんだが」とやり切れなさを感じさせる悲痛な表情を見せた。

「未だにその時の事を後悔して、こうして教会に通っている。他人に話した事はないが、ここで出会ったのも何かの縁だ。どうか話を聞いてもらえないだろうか」

「悪いけど、あんたの事が信用出来ない」

 物腰柔らかに語る男性の言葉にも警戒心を解かず、じりじりと後ずさりするジョーに、溜息を一つ吐く。

「……そうかね。いや、残念だよ」

 穏やかな表情を一変させ、凄むように怖い顔を作り、スーツの胸ポケットに手を入れた。

「お、おい! 何する気だよ!」

 こいつ、まさか銃を持っていやがるのか。

 もう逃げても遅い。走ったところで逃げ切れるわけがない。何より恐怖で足が動かない。

 終わりだ、と諦めたように立ち竦んだジョーに、不敵な笑みを浮かべると、彼はスーツの内側に突っ込んでいた手を出した。

「お菓子でも食べながら。それなら聞く気になってくれるかね」

 一転して柔らかな笑顔を見せた彼がジョーに突き付けた手の中には、綺麗に包装されたコーンブレッドが握られていた。

 困惑したジョーは、一瞬、彼の手の中のお菓子に目を釘付けにされてから、安堵したように大きく息を吐いて、その場にへたりこんだ。

 あまりに悪趣味な冗談に言葉も出ず、足に力を入れる事も出来ず、へたりこんだままのジョーに「びっくりしたかね」と悪戯が上手くいった子供のように楽しそうに笑う。

「美味しいから食べてごらん」と差し出されたお菓子を、ひったくるように受け取り、マジで笑えねえ、とうんざりしたように悪態をついた。

 彼の思惑通りなのだろうか、すっかり毒気を抜かれてしまったジョーはようやっとの事で椅子に座り直した。

「話を聞いてくれる気になったかね」

「次にくだらねえ冗談飛ばしたら、もう聞いてやらないからな」

 そう釘を刺したジョーが、さっさと話せ、と手をひらひらさせて促すと、彼は満足そうに頷き、ぽつりぽつりと語り始めた。

「十数年前の冬の事だ。私は新しい工場の現場指揮を任されて、初めてこの街に来たんだよ」

「あんた、レッドフォード社のお偉いさんなわけ?」

 ジョーはそう言ってから、こんなに身なりのいい人間を捕まえて、そんな事を聞くのは間が抜けた質問だったかな、と思い直して、ばつが悪そうに頭を搔いた。

 彼は気にする風でもなく、穏やかに笑った。

「まあ、偉いといえば偉いんだろうね。偉くないと言えば、それは嘘になるだろう」

 偉くてもままならない事は山ほどあるが、と言いながらも「これでも苦労しているんだよ」と頭を振る。

 ふうん、と鼻を鳴らして「そんなもんかね」と言ったジョーに「そんなもんなんだ」と微笑んでみせた。

「その時の私は仕事にしか目がいかなくてね。周りの事など、全く見えていなかった。そのせいで妻にも逃げられたくらいだよ」

 自嘲するように苦笑いを浮かべる彼の横顔を見たジョーは、奥さんが逃げたのはくだらない冗談のせいじゃないの、と言いたかったが、そんな横槍を入れて話を長引かせるつもりもなかったので、言葉には出さないでおいた。

「ある日、仕事に夢中で帰りが遅くなってしまった。会社の者からは夜に街を出歩いてはいけない、と口酸っぱく言われていたんだがね。当時泊まっていた宿に、次の日に使う資料を置き忘れてきたものだから、職場に泊まるわけにもいかなかった。あの年の冬は寒さが厳しくてね。その日一日降り続けた雪が積もって、とても車を出せるようじゃなかった。だから、歩いて帰るしかなかったんだ」

「そりゃ危ないよ。ばかな事をしたもんだな」

 呆れたようにそう言ったジョーに、君の言う通りだ、と目を伏せた彼は深く溜息をついて、過去を悔いるように肩を落とした。

「本当にばかだったよ。私みたいな者が夜の街をうろつくなんて、襲って下さいと言わんばかりじゃないか。当然、無事では済まなかった。自分よりもずっと若い男達に囲まれて、袋叩きだ。金なら渡す、と言っても彼らは私を痛めつけるのをやめなかった。口の中が切れて、顔が腫れて、痛めつけられた腹が苦しくて、許してくれ、と命乞いする声も出せなくなった頃、ようやく彼らは私を解放した」

 彼の語る凄惨な話を聞いて、ジョーは今更ながらに先程、夜の街を女一人で出歩いていた事が恐ろしくなり、身震いした。

 一歩間違えれば、自分も同じ目にあっていたかもしれない。いや、もっと恐ろしい事が自分の身に起きていたのかも。

 ジョーは、ばかなのは自分も同じじゃないか、と思わずにはいられず、震える身体を抑えるように自分の身を抱いた。

「金を盗られるのは、まあ、しょうがない話だが、コートまで奪われたのには参ったよ。雪は降り続いていたし、びしょ濡れになった服が凍りつくように冷たくて、寒いなんてものじゃなかった。宿まではまだ歩かなければならなかったし、私はここで凍え死ぬんだと思ったほどだ」

「……でもさ、死ななかったんだろ」

 あまりに酷い話が続くと、今、正に自分がその街に住んでいる事が恐ろしく思え、その恐怖を振り払うように「よかったじゃんか」と引き攣った笑いを作った。

「……何もなければ、本当に死んでいたよ」

 彼は沈痛な面持ちでそう呟くと、深く息を漏らして、顔を覆った。

 そこから先は思い出すのも辛い、というように言葉を詰まらせ、こみ上げてくるものを堪えるように目頭を抑えた。

「寒くて寒くて、もう足も動かなかった。歩く事もままならず、適当な屋根の下に腰を下ろしてね。朦朧とする意識の中でぼんやりと降りしきる雪を見ていたよ。街灯の灯りを受けて、雪がちらちらと輝いてね。綺麗だったよ。死ぬ前に見る景色としては上等すぎるくらいだった」

 彼はそう言って、誘い笑いを向けたが、ジョーは一瞥もせずに「笑えねえって言ってんだろ」と表情ひとつ変えず、彼の話に耳を傾け続けた。

「もうこのまま眠ってしまおう、と思った時だった。女性が私の肩を揺すって、大丈夫ですか、と声を掛けるんだ。助かった、と思ってしまった。寒さと痛みで口を開く事も出来なかったから、ただ首を横に振ってしまったんだ」

 彼の口調はいよいよ懺悔めいて、悲痛なものを漂わせた。

「あの時、大丈夫です、お気になさらず、と言ってしまえれば、どれだけよかったか」

 再び開いた口から響いた声は、後悔に震えていた。

「それでも、彼女は私を放っておきはしなかったのだろうが」

 そう言って、何処か遠くに目線を向けた。

「彼女はずぶ濡れになった私のシャツを脱がせて、ハンカチで体に纏わりついた水をすっかり拭き取って、自分の着ていたコートを私に着せてくれた。コートの上から私を強く抱いて、手を握りしめて温めてくれた」

 彼はその時の温かさを思い出すように、手を擦り合わせると「本当に温かかった」と、しみじみ呟いた。

「しばらくそうしてもらっていると、口を開く事くらいは出来るようになってね。それでも、頭は働かないものだから、ありがとう、くらいしか言えかったのだが。何度も、ありがとう、と言う度に、大丈夫ですから、と綺麗な声で返事をくれたんだ」

 ジョーは何も言わずに話を聞いていた。彼の語る情景が、頭の中に鮮明に浮かぶような気がした。

 それは、彼の語る思い出話の女性が、彼女に思い当たる女性にあまりにも似通っていたからかもしれなかった。

「温まって、手足に血が通った頃、ようやく意識もはっきりしてね。もう大丈夫です、と言うと、彼女も安心したように微笑んでくれた。今でも覚えているよ。街の灯りを受けた雪に照らされた彼女の微笑みは、まるで天使のようだった」

 ジョーにもその微笑みは、まるで自分に向けられた微笑みであるかのように思い浮かび「そりゃあ綺麗だったはずさ」と呟いた。

 誰に聞かせるともなく、独り言のつもりで呟いた言葉だったが、彼は「今までに見た事がないほど、美しかった」と返した。

「ようやく立ち上がった私に、寄り添っていたいのは山々ですが、私も戻らねばなりません、と言ってね。コートを返そうとしたけれど、それは貴方に差し上げたものです、と言って聞かないんだ。それでは貴女が凍えてしまう、と言ったんだが。彼女は穏やかに微笑んで、私の知らない祈りの言葉を唱えたんだ」


 道に迷う人がいるならば、手を差し伸べてやりなさい。

 その人が飢えに苦しんでいるのなら、貴女のパンを分けてやりなさい。

 その人が孤独に耐えているのなら、貴女が傍にいてやりなさい。

 その人が苦難に立ち向かう時、貴女も共に在りなさい。

 寄り添う愛が真実ならば、貴女は祝福へと導かれるでしょう。


「私には神の御慈悲があるから大丈夫です、どうか貴方の家路が安らかでありますように。そう言って、立ち去ってしまった。祈りを唱える彼女の首に提げられた星の輝きを、私は忘れる事が出来ないでいるんだ」

 そう言った彼の言葉に、ジョーは言葉を失って目を伏せた。

 話の途中から、ずっと気付いていた。

 彼の話す女性が、自分の母親だという事に。

 それでも、ジョーが口を挟めなかったのは、その話が悲劇で終わる事を知っているからだ。

 ジョーは彼の話の結末を知っている。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

「それで。その後はどうなったんだよ」

 目を伏せたまま、ジョーがそう尋ねると、彼も答えにくそうに、しばらく押し黙った。

 口を開かなくなった彼を横目でちらりと見ると、彼もその視線に気付いて、ようやく重い口を開いた。

「おかげ様で、無事に宿まで辿り着けたよ。それでも、傷と寒さで高熱が出てね。街の外の病院に運ばれて、しばらく入院する事になった。何日も経って、体調が戻り、ようやくこの街に戻る事が出来た。真っ先に彼女を探したよ。首に提げたペンダントのおかげで彼女がマグダルだという事はわかっていたから。身元はすぐにわかった。この街にマグダルは他にいなかったからね」

 そこまで話して、彼はまた言葉を詰まらせた。

 言葉を探すように俯いて、口を開こうとしては、頭を振る彼を見ると、その悲痛な想いが伝わってくるようで、ジョーも何も言えず、彼が言葉を見つけるのを待つ事しか出来なかった。

「彼女が滞在していたという教会に、すぐに向かったよ」

 そう言って、彼はいよいよ堪えきれなくなり、涙を流した。

 嗚咽を漏らしながら、震える声で、それでも聞いてほしいとばかりに話を続けた。

「彼女は既に亡くなっていた。風邪をこじらせたと言っていたが。私が訪れた時には、彼女はそこにはいなかったんだ。いや、どこにもいなかったんだよ」

 彼女を殺したのは私だ、と涙を流す彼に、ジョーは、そうか、とだけ短く答えた。

「彼女には娘がいたそうだ。娘さんも私が訪れた時には、既に教会を離れていたが。私は彼女達にどれだけ恨まれても仕方がない」

 彼が涙ながら、顔を伏せたまま、そう言うと、ジョーは首を横に振った。

「恨むなんて。その女の人は絶対にそんな事はしないと思う。その娘も……。多分、いや、きっと恨んじゃいないよ」

 ジョーも男性と同様に顔を伏せたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

「その人は自分の生き方に従ったんだろ。それで死んだんなら、その、しょうがねえよ。他人を恨む筋合いの話じゃない」

「だが、娘さんは幼くして大事な母親を失ったじゃないか。もし、その子と出会ったなら。私はどれだけ罵られても構わない。埋め合わせが出来るなどとは思わない。だが、その子が望むなら私はどんな事でもしてやりたい」

 そう言って彼は真っ直ぐにジョーを見つめた。

 ジョーは彼の目を見つめ返して、溜息をつくと、髪をくしゃくしゃと弄って、今更だろ、と呟いた。

「その女の人は自分の心に従ったんだから、後悔はないはずだ。その娘だって、母親が自分で決めてやった事を否定したりはしないだろ」

 ジョーはそう言いながらも、母親の死の原因を作った男に、どう言葉をかけていいのか、気持ちの整理がつかなかった。

 ジョーは自分の気持ちに整理をつけるために「今度は私の話を聞いてくれるか」と言った。

「私も……。その、マグダル、なんだ。今はどうかわかんないけど。でも、マグダルの教えなら、少しはわかるつもりだ。だから、私の話も聞いてくれないか」

 ぜひ聞かせてほしい、と答えた彼にジョーはぽつりぽつりと思い出を語り始めた。

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