第9話
今日もいつもと変わらない仕事が終わりを迎える。
退屈な仕事は永遠に続くように思われるが、終わってしまえば早いものだ。
熱気の籠る作業場に押し込められ、汗と鉄粉と油の混じり合ったなんともいえない臭いが立ち込めている。
終業を知らせるサイレンが鳴り、作業員たちが、お疲れさん、と言葉を交わしながら手にしていた屑鉄をぶつけ合う音が作業場に響き渡る。
耳がおかしくなるほどの騒音の中で働いていたものだから、もう機械は止まったというのに、未だに作業員達は声を張り上げて言葉を交わしている。
ジョーも同じように声を張って、隣の作業員の差し出した屑鉄に、自分の持っていた屑鉄をぶつけてやり、それを仕分け場所に放り投げた。
今日の仕事は、色々と考え事をしていたせいで身が入らなかったな、と一人反省しつつ、結わえていた髪を解いた。
とはいえ、周りから見れば違和感を覚えるほどの事ではなく、せいぜいが口数少なく真面目に働いているな、という程度の印象だった。
しっかりしなくちゃな、と気持ちを切り替えるように背伸びをしたジョーの背中をアンが、お疲れさん、と叩いた。
「帰りもバンに乗っていくだろ?」
「ああ、そうしようかな」
そう答えたジョーに、決まりだな、と言い「ベスと話があるから。少し待っててくれ」とその場を離れた。
少し行った所で、忘れてた、と振り返ると、ジョーを指差して声を張り上げる。
「後で返すから! 飲み物を買っておいてくれ!」
ジョーは片手を上げてそれに応えると、ベンダーに向かい、コインケースから小銭を探した。
「何を買うんだ?」
「わっ、びっくりした!」
自分と同じくらいの背丈が唐突に現れたものだから、驚かされたジョーは思わず素っ頓狂な声をあげた。
「アビーかよ。驚かさないでくれ」
「ぼんやりしてるからそんなに驚くんだ」
ジョーが胸を撫で下ろすと、アビーはコインを掌の中で遊ばせて、ジャラジャラと音を立てた。
「たまには奢ってやる。何を買うんだ?」
たまには? 初めてだろ。
ジョーは驚きに目を丸くして、アビーの表情を窺う。
普段あまり話さないせいもあり、彼女が何を考えてそんな事を言い出したのか、その顔色からは何も窺い知る事は出来なかった。
理由もなく奢りを受けるのはなんだか気味が悪かったが、かといって、それを断る理由もなかった。
「コーラなんだけど。アンのも」
アビーは何も言わずにコインをベンダーに入れて、ボタンを押した。
ガコン、と音を立てて落ちてきた瓶をジョーが取り出す。
「ありがとな」
ジョーが短く礼を言ったが、アビーは目線もくれずに、ああ、とだけ短く答えた。
もう一本コーラを買い足したアビーは、栓を開けるや、すぐに口をつけた。
「あれ、アンのは?」
そう尋ねたジョーを、アビーは横目で見る。
「なんで私がアンの分まで買ってやらなきゃならないんだ。お前に奢ってやるとは言ったが、アンの事なんか知った事じゃない」
アビーの口が悪いのは今に始まった事じゃないが、そんなにきつい言い方をしなくてもいいだろう、と眉を顰めた。
何か用事があるのかと思えば、それっきりジョーに目線もよこさない彼女の横で、ジョーは居心地の悪さを覚えた。早くアンが来てくれたらいいのに、と祈った。
「例の金持ち女の話、聞かせろよ」
やっと口を開いたかと思えば、その話か、とジョーはうんざりした。大体、金持ち女、なんて言い方が気に食わなかった。
どうせ取り巻きの連中から大概の事は聞いてるくせに。
そうは思ったが先日にアンが、アビーはファミリーの事を考えている、と言っていた事を思い返すと、そうそう簡単に話を流す事も出来なかった。
「別に変わった事なんかない。礼代わりに飲み物を奢ってもらったってだけさ」
「それだけって事ないだろ。ちゃんと話せよ」
相も変わらず、自分の方を見もしないでそんな言い方をされてはジョーも流石に頭に来て、アビーを睨みつけた。
「あのさあ。そういう言い方をされて、楽しくお喋りしましょう、なんて気分になると思うか?」
「楽しく喋ろうなんて、はなから思っちゃいないんだがな。私の質問にお前が答える。それだけだ」
初めてアビーがジョーと目線を交わす。ファミリーの中でもジョーと同じくらいの背丈の人間はアビーくらいしかおらず、同じ目線で睨み返された経験の少ないジョーは思わずたじろいでしまう。
二人の間に暫し流れた沈黙を破ったのは、その二人のどちらでもなく、アンの声だった。
「なんだよ、珍しいな。どうしたんだ、二人して」
険悪な空気を察してか、遅れてやってきたアンが明るい口調で声を掛けると、二人は同時にアンの方を向いた。
「お前ら、見つめ合って、ずいぶん仲が良さそうに見えたぞ」
「……ああ。コーラ、買ってくれたしな」
ジョーはアンが来た事に安心してか、少し調子を取り戻して、いつものように軽口を叩いてみせた。
「そりゃよかったじゃないか。アビー、私の分は買ってくれないのか?」
「冗談じゃない。自分で買ってくれ」
そりゃそうだ、と笑ったアンが二人に倣ってコーラを買った。ベンダーの中から拾い上げたままに、瓶を二人の前に差し出す。ジョーがカチン、と瓶底をぶつけると、アビーも素直にそれに続いた。
「この三人で話すのなんて、ずいぶん久しぶりじゃないか?」
そう言って笑顔を見せるアンとは対照的に、ジョーは所在なさげに佇んでいる。
アビーに至っては顔色一つ変えず、そんな事はどうでもいい、とばかりに無表情を保っていた。
「あんた、ジョーに金持ち女の事を聞いたのか?」
ジョーが答えなかった質問を今度はアンに突きつける。
アビーも、ジョーがアンに隠し事が出来ない事は知っていたので、ジョーが話さないのならばアンに聞いた方が早いと思ったからだ。
かといって、アンにしてみても、またその話か、と言いたいのは変わらなかった。
自分の中では既に終わったものとして片付けてしまいたかった話を蒸し返されれば、面倒臭さを感じずにはいられない。
アンにしても、ジョーが金持ちのお嬢さんとどんな話をしたかという事は確かに気になってはいた。
それでも、これ以上詮索はするまい、と決めた以上は、彼女の中では既に終わった話に過ぎなかったのだ。
「まあ、大体な。気にするほどの事じゃあない」
「じゃあ、教えてくれ。こいつは金持ち女とどういう話をしたんだ。底辺の労働者が、金持ち相手に何の話で盛り上がるって言うんだよ」
今度はアンにきつく詰めよるアビーを、ジョーは気まずそうに横目で見ていた。
もういいよ、帰ろうぜ、と言えればどれほど楽だろう。
だが、当然、ジョーがそんな口を挟める空気ではなく、アンが上手く収めてくれるのを祈るしかなかった。
「アビー、なんでそんな事を私に聞くんだ。本人に聞けよ」
「こいつに聞いても何も言いやしないから、あんたに聞いているんだろう」
「なら、それが答えだ。ジョーが話したくない事を私が話す事はない」
終わった話だ、と吐き捨てて、コーラを一息に飲み干す。
空き瓶を集積箱に放り投げ「帰るぞ。皆待ってる」と二人に背を向けて歩き出した。
「なるほどな。終わった話、か」
アビーは嫌味ったらしい口調をわざと作り、せせら笑うように言うと、ジョーに向き直った。
「なあ、ジョー。ひとつだけ確認するぞ」
そう言って人差し指を立て、一歩踏み出して詰め寄ると、ジョーの目の前に突きつけた。
「終わった話なんだな?」
アンは振り向かず、ただ歩みを止めて、ジョーの返事を待つ。
三人の間に沈黙の時間が流れる。
ほんの少しの時間だったが、アンには永遠に待たされているようにすら感じた。
どうした、ジョー。どうして何も言わないんだよ。
アンは二人の方を振り返った。
ジョーの表情を見て、アンの心は言いようのない不安に包まれる。
ジョーはアビーに詰め寄られ、苦しそうな表情を浮かべて下を向いていた。
「……明日、また会う」
アンの不安は的中した。
当たり前の話だ。
誰がどう見ても、ジョーの表情から、終わった話だ、などという言葉は到底想像出来るものではなかったのだから。
アンは崩れ落ちそうになる足になんとか力を込め、ジョーの下へ駆け寄ると、彼女の両肩を掴んだ。そうしていなければすぐにでも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「ジョー。どうして……」
「……ごめん、アン。言い出せなかった」
言い出せなかった。
その言葉にアンの頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。
自分に言い出せないという事は、するべきではない事をしているという自覚はあるはずだ。
それでも、ジョーは件の金持ちと会う事を選んだ。
それがアンはもちろん、ファミリーの者の望む所ではないとわかっていて、だ。
それは仲間よりも、自分よりも、会ったばかりの女を選んだという事か。
アンはジョーの肩を掴んだまま、何も言えなくなった。
何を言ったらいいのか、言いたい事は山ほどあるだろうに、何も頭に浮かんで来ず、ただ下を向いた。
とてもジョーの顔を見る事など出来なかった。
ジョー、お前は今どんな顔をしているんだ。
私を裏切って、どんな顔をしていられるんだ。
私は?
私は今どんな顔をしている?
ジョー。お前に私が何を考えているかわかるか。
私でさえわからないのに。
二人とも何も言わなかった。
お互いに何を言ったらいいのかも、全くわからなかった。
埒があかん、とばかりにアビーがアンの肩を押して、ジョーから引き離した。
アンは倒れはしなかったが、よろめいてアビーに顔を向けた。
その表情の情けなさ、弱々しさにアビーでさえ言葉を失った。彼女もアンとは長い付き合いだったが、そんな表情を見た事がなかった。今の今まで、アンがそんな顔を見せる事など、想像すら出来なかった。
アビーは口には出さなかったが、なんてざまだ、という思いを表すように舌打ちした。
「最悪だな、アン」とジョーの目の前でアンを責めた。
「あんたの躾が悪いからこうなるんだ」
アンは何も言わなかった。涙を流したりはしなかったが、ひどく辛そうな表情を隠すように片手で顔を覆っていた。
「おい、何とか言えよ」
そう言って、もう一度アンの肩を押そうとしたアビーの腕をジョーが掴んだ。
「……やめてくれ。アンは悪くない」
アビーはジョーの腕を振りほどいて、彼女を睨みつけた。
「悪くないわけがあるか。お前みたいなマグダル女に首輪を付けて躾ておかなかったアンの責任だ!」
アビーはジョーを直接責める事はせず、アンを責め続けた。
それがジョーにとっても、アンにとっても、最も心を抉るとわかっていたからだ。
「やめろ! アンを悪く言うな!」
「じゃあ、誰が悪い。言ってみろ!」
アビーにしても、本当のところはアンの事はもちろん、ジョーの事も傷付けたいわけではない。
アビーはジョーの事も、ファミリーの一員として認めている。
ただ、ファミリーのためを思えば、マグダルであるジョーが軽率な行動を取る事は見逃すわけにはいかなかった。
アンがジョーにその事を強く言えないのなら自分が汚れ役を買うしかないと考えていた。
アンには悪いが、これでジョーが考えを改めるのなら安いものだろう、と。
「誰が悪い。アンじゃなければ、お前が悪いのか?」
さっさと認めろ。それで全部終わりだ。
アビーはただ静かにジョーの言葉を待った。
「……私は、悪い事をしたとは、思ってない」
アビーは耳を疑った。この状況で何故そんな事が言えるのか。信じられないものを見るような目でジョーを見た。
「だって、そうだろう。友達に会う事の何がいけないんだ! 私は何も悪い事はしちゃいない!」
「……お前っ!」
友達だと? 金持ち女とか? こいつは本当にどうしちまったんだ。
ジョーの胸倉を掴もうとしたアビーを、アンが二人の間に割って入って制した。
「……ジョーと二人で話がしたい」
お前に任せておけるか、そう言いかけたアビーだったが、アンの目を見て思いとどまった。
外してくれ、と訴えかけるアンの目には、先程までの弱々しさは窺えず、少なくとも表面上は落ち着きを取り戻しているように見えた。
実際の所は、そう簡単に気持ちを切り替える事は出来ないだろうが、アンにジョーと向き合う気持ちがあるのなら、彼女の考えはどうであれ、任せるのが筋だと思えた。
「……わかった。あんたに任せる」
「悪いな」
ごく短い言葉を交わして、立ち去ろうとするアビーをアンが呼び止めた。
「アビー。皆が心配していたら、適当にはぐらかしておいてくれ。最近、皆に気を遣わせてばかりだから」
その言葉にアビーは多少は安心させられた。アンがこんな時でもファミリーの事を一番に考えていると伝わってきたからだ。
ファミリーのリーダーは、アンだ。
アンがリーダーとしてしっかりしてさえいれば、自分達には何の問題もない。
アンがファミリーの事を一番に考えている。
それだけで十分だった。
「そういうのは苦手なんだがな」
そう言いながらも、アビーは軽く手を上げて応えると「なるべく上手くやる」と言い残して、その場を後にした。
残された二人はしばらく何も話さなかった。
作業場の外壁を背もたれにアンは座り込んで、買い足した二本目のコーラをゆっくりと飲み、ジョーはその隣で立ち尽くしていた。
仲間たちを乗せた乗合バスが、静寂を遮るようにエンジンを響かせ、その音が遠ざかって再び静けさが戻る頃、ようやくジョーが口を開いた。
「……アン。ごめん」
ジョーの謝罪を聞いて、アンは何も言わずに立ち上がった。残ったコーラをぐい、と飲み干すと空瓶を集積所に向かって乱暴に放り投げる。
瓶の割れる、乾いた音が響き渡った。
「謝るなよ。悪い事をしたと思っていないんだろう」
ジョーの顔を見ようともしないアンに、ジョーの胸が痛む。
謝りたい時に、謝罪の言葉を口にする事すら許されない事が、どれほど辛いか、という事を初めて知った。
「でも、言い出せなくて。アンを騙したみたいになった。その事は……ごめん」
「ああ。正直、ショックだ」
アンは相変わらず、ジョーに目を向けなかった。ジョーの顔を見たくないのか、それとも自分の顔を見られたくないのか。そっぽを向いて、ジョーからは表情すら窺えなかった。
「明日で終わりだ。本当に約束するよ。信じてくれ」
「……信じられると思うか?」
信じてくれ、という言葉にアンはようやくジョーの方を向いた。その目の今までに見た事がないほどの冷たさにジョーは何も言えなくなってしまった。
「……私がどれだけお前の事を心配しているか。お前にはわからないんだろうな」
言葉を失ったジョーにそう吐き捨てると、もういい、というようにジョーに背を向けて歩き出した。
「……アンは私の事を子供扱いしすぎだよ」
アンは、ジョーが絞り出した言葉に歩みを止めた。
「そんなに心配されても困るんだ。私だって、いつまでも子供じゃないんだから……」
「私が言ってるのはそういう事じゃない!」
ジョーの言葉を聞いて、抑えていた感情が溢れ出たように、振り向きざまに声を張り上げた。
「じゃあ、なんだよ」
アンと視線を交えたジョーがそう聞き返す。
それを聞くのか、とアンは思った。
その問いに答えを返してやれないから、今、自分は苦しんでいるのに。
よりにもよって、お前がそれを聞くのか、と。
やっぱりジョーは私の気持ちなんか全くわかっていない。
そう考えてしまうと、アンは心がざわつくのを抑えられなくなった。
「お前が……っ」
苛立ちに任せて、零れ落ちそうになる言葉を必死に堪えた。
その先を口にしたら、どうなるか。そんな事は考えたくもなかった。きっと、今まで通りの二人ではいられなくなる。少なくとも、アンにはそう思えた。
アンが、もういい、と吐き捨てて話を切ろうとした矢先、ジョーが静かに口を開いた。
「……マグダルだから、か」
ジョーが口にした言葉にアンは目を見開いてジョーを見た。
自分の口からは絶対に言うまいと思っていた事を言葉にされ、アンは咄嗟に「違う!」と声を張り上げた。
ジョーがマグダルだという事を理由に彼女の行動を束縛するのは簡単だ。
しかし、それをしてしまえば、二人は今の心地よい関係ではいられなくなってしまう。
アンは、マグダルだと言うことは隠しておけ、という事はあっても、お前はマグダルだからあれをするな、これをするな、とマグダルである事を理由にしてジョーの行動を束縛した事はなかった。
それは、マグダルとしての生き方がジョーの心の深い部分に根付いていて、それを理由に彼女の行動を束縛する事がいかに彼女を傷付けるかがわかっていたからだ。
「私にアンの気持ちはわからないかもしれないけど……。アンにだって、私の気持ちなんかわからないじゃないか」
ジョーが続けた言葉を聞いて、アンは足を震わせた。
自分が今までどれだけジョーの事を考えてきたか。
自分の事よりも、ジョーの事を一番に考えてきた。
自分にジョーの気持ちがわからない。
そんな事、あるはずがない。
「エリーは私がマグダルでも気にしないって言ってくれた」
それなのに。
よりにもよって、なんなんだ。その言葉は。
エリーって誰だよ。金持ちのお嬢さんの名前か。
どうして、今、その女の名前が出てくるんだ。
ずっと一緒に生きてきて、知らない事などないと思っていたジョーの口から、知らない女の名前が出た。
それはアンの心を酷く掻き乱した。
「……だからなんだ?」
アンは震える声でそう尋ねた。
声を震わせたのは、その先の言葉を聞きたくなかったからだ。
しかし、それでも尋ねてしまったのは、ジョーの気持ちが知りたかったからだ。
私にお前の気持ちがわからないと言うのなら、お前の気持ちを教えてみろ。
そう思ってはいたが、実際には返ってくる返事に見当はついていた。だからこそ、その言葉を聞きたくはないのだ。
嫌だ。やめてくれ。聞きたくない。
答えを促した後になって、頭の中でぐるぐると巡る纏まらない感情に後悔しながら、ジョーの言葉を待った。
「……エリーの方が、私の事をわかってくれるかもな」
その言葉に、アンは自分の中で張り詰めていた、何か大切なものが、ぷつり、と途切れてしまうのを感じた。
何かもう、何もかもがどうでもよくなってしまうような感覚を覚えた。
不思議な事に、アンの心には悲しみも寂しさも怒りもなく、ただ本当にどうでもいい、と感じていた。
自分の世界から急速に色が失われて、自分一人だけが取り残されたように全てが遠ざかっていくのを感じた。
まさか知り合ったばかりの女と同じ舞台に並べられて、比べられるとは。
自分達がどれだけの年月を共に過ごしてきたというのか。
アンにとって、その比較自体が信じられなかった。
ジョー、お前にとって私なんかどうでもいいんだな。
自分の事をどうでもいい、と思ってる奴の事を気にかけるほど、私はお人好しにはなれない。
だから、私だって、お前の事はもうどうでもいい。
アンは光を失ったように焦点が合ってるのか合っていないのかわからないような鈍色の瞳をジョーに向けた。
「もういい。好きにしろよ」
低く、小さく。ジョーに言ったのか、ただの独り言なのかも判然としない言葉を吐き捨てると、帰るぞ、とジョーを促すように手を煽ってバンに向かった。
「……そうさせてもらうよ」
ジョーもその背中に向かって、小さな声で呟いた。
その言葉が聞こえたかはわからないがアンは、ふん、と小さく鼻を鳴らして運転席に乗り込む。
ジョーが助手席に乗り込んでくると、一瞥もせずにエンジンをかけ「皆の前で気を遣わせるような態度をとるなよな」と言った。
「それくらいの言う事は聞けよ」
「……わかったよ」
ジョーがそう答えたのを最後に、二人を乗せたバンは重苦しい静寂に包まれた。
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