第26話

 寝たり起きたりの状態は二日間続いて、その間ずっと、結花は春希の傍にいた。水ばかり欲しがる春希に、野菜ジュースを飲ませると、「これ嫌いなんだよ」と顔をしかめる。それでも、ひとりでは動けない春希は、結花が口元に運ぶ飲み物を素直に飲んでいた。


「俺、おまえに飼われてるみたいだな」

 四日目の朝、やっと起き上がることが出来た春希が、淡く笑んでそんなことを言う。

「なんか、食べたいものある? 私、買ってくるよ」


 アルバイトまでには、まだ時間があった。窓際の壁に寄りかかって外を見つめる春希が、「煙草」とぼそりと言う。春希らしい、そっけない言い方が嬉しくて、結花は満面の笑みで頷く。

 アパートの階段を下りると、いつも夕方に来ていたリョウが、細い道の向こうに見えた。


「リョウ!」

 呼んで笑顔で駆け寄る結花に、リョウは口元だけの癖のある笑みを見せる。


「春希、熱下がった?」

「うん。もう起きてるよ」

「買い物?」

「うん。煙草」


 嬉しそうに答える結花に「そっか」と小さく呟いて、千円札を一枚渡す。


「ごめん。僕の分もお願いして良い? コンビニでは売ってない銘柄だから、道の向こうの自販まで行かなきゃいけないんだけど……」

 言いながら、見慣れないパッケージを結花に渡す。

「それ、持ってって良いからさ、同じの買ってきてくれる?」


 春希と行った、商店街の外れにある酒屋の自販機を思い浮かべて、結花が頷く。


「一個でいいの?」

「うん。春希の分も、それで払っていいよ」

「わかった。ありがとう」


 何も知らない結花が、明るく言って駆け出す。結花の背中を見送るリョウの、切なげな瞳を、このとき結花は気づけずにいた。

 煙草を手に戻ったとき、リョウは帰った後だった。難しい顔をした春希が、じっと窓の外を見つめている。


「あれ? リョウは?」

「帰った」

「えぇー、なんで? せっかく煙草買ってきたのに」


 脱力して、お釣りと煙草を畳みの上に置く結花に、春希はそっぽを向いたまま、投げやりに言う。


「そこらへんに置いときゃいいよ。欲しけりゃ取りに来るさ」


 この時交わされただろうふたりの会話を、もしも結花が知っていたなら、それから先に起こった全てのことは、止めることが出来たんだろうか。それはわからない。けれどその時結花は、リョウと春希が置かれた立場を、何一つわかっていなかった。


 春希の包帯を替えるために、リョウは毎日アパートを訪れる。


「ねぇ、なんでおまえがいんの?」


 畳の真ん中に、お茶や水を置いて、三人で丸くなってリョウが買ってきてくれた弁当を食べていた。こんなふうに突然はじまるふたりだけの会話に、結花は小さく笑ってしまう。顔も上げずに文句を言う春希に、リョウは食べる手を休めて、片方の眉だけを器用に上げる。


「人が買ってきた弁当食いながら、何を聞く?」

「目の前にあるもん食って何が悪い! 食われたくなきゃ持ってくんな!」


 春希がガツガツと弁当の残りを平らげる。まるで今にも取り上げられはしないかと、呻りながら食べる仔猫のように。そんな春希を、リョウは兄が弟を見るような優しい瞳で、見つめている。


 リョウと春希の関係は、ずっと前にリョウに聞いたきりの、「両極端の天秤」という言葉しか知らない。けれどふたりを見ていると、あの時感じた底冷えのするような印象は、まるでなかった。それよりも、普段決して見ることがなかった、春希のどこか子供っぽい拗ねたような態度が、ユカの胸を甘酸っぱく擽る。いつも遠くばかりを見つめている春希が、リョウといると身近に感じられた。


 ―― このままずっと、リョウもいるといいのに。


 春希がいないときもリョウがいたらいい。そうしたらあんまり寂しくない。そんな風に簡単に、考えていた。

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