第6話
都内のセレクトショップで、限定スニーカーのゲリラ販売があった。
Xの物販垢が午前8時に「○○店、今日入荷」「店頭抽選、10時集合」と投稿し、それを見た悠也は即座に支度を整えた。電車に飛び乗り、途中駅のコンビニで現金を下ろす。電車内でGoogleマップを開き、店舗までの徒歩ルートを確認しながら、手元のサブ垢で抽選情報を拡散していた。
駅から出ると、すでに十数人の列ができていた。顔ぶれは見慣れた風貌ばかり。転売界隈の空気が漂っていた。マスク、スマホ、無言。身なりはバラバラでも、目だけが似ていた。皆、同じものを狙いに来ている。その中で悠也も、ごく自然に列に紛れた。
抽選券を受け取り、整理番号は「003」。──当たる、そう確信した。
その日は、うまくいった。サイズも良かった。価格も申し分ない。店を出た時点で、すでにそのスニーカーの相場はプレ値で安定していた。帰宅する途中の電車内で撮影し、帰って即出品。4時間後には売れていた。差額は3万2千円。即金。
「この速さがたまらない」
自分だけが社会の歪みを利用して、抜け道を突き進んでいるような快感。誰も知らないルートを、ひとりで掘り当てたような優越感。もはや、仕入れは稼ぎであり、ゲームであり、証明だった。
Xのプロフィールには「月収7桁達成」と入れた。
LINEの一言欄には「大学も就職も、全部いらない」と書いた。
知られたくはない。でも、見せつけたい。
見せたくはない。でも、認められたい。
──どこか、孤独だった。
ある日、少しだけ気になる通知が来た。
「出品が規約違反の可能性があります」
見慣れたフリマアプリからの警告だった。これまでも何度かあった。だが、そのたびに再出品すれば済んでいた。
しかし、今回は違った。アカウントに「一時的な利用制限」がかかった。出品停止、購入者との連絡も不可、売上金の一時凍結。アプリを開いても、取引履歴に灰色の「処理中」が並ぶだけ。
初めてだった。心臓が軽く締め付けられた。残高には、まだ9万円分の未払い金が残っていた。
それが、凍った。
慌ててサブ垢を開く。別の端末で再出品を試す。だが、IP制限。端末制限。対応が速い。「対策済み」「複垢運用ノウハウあります」と豪語していた転売界隈の情報が、まるで通用しなかった。
これは、まずい。
「大丈夫、他にもプラットフォームはある」
「一時的なもので、また使えるようになる」
そう自分に言い聞かせながら、別アプリに出品しようとしたが、次に来た通知が決定打だった。
「通報により、あなたのアカウントは運営の調査対象となっています」
フリマアプリ内の通報ボタン。誰かが押した。誰かが、自分を敵と見なした。そういうことなのか。
取引メッセージ欄には、こんな言葉もあった。
「こんなやつが当たるとか終わってる」
「スニーカー好きの敵。死ね」
「俺たちが買えないのは、お前らのせいだ」
スマホを握る手が、じんわりと汗ばんだ。目の奥がかすかに熱を帯びた。イライラではない。怒りでもない。それは、不安だった。
その日から、悠也の動きは明らかに鈍った。抽選は相変わらず応募している。当選もある。売れることもある。だが、かつてのような無敵感はなくなっていた。
何かが、足りない。
何かが、ひっかかっている。
焦っているのかもしれない。怯えているのかもしれない。けれど、それを認めたら、全部が崩れそうだった。
「バレなきゃ大丈夫」
「たまたま運が悪かっただけ」
「次は上手くやる」
そう呟いて、次の仕入れへ向かう。夜明け前の電車に揺られながら、耳にはイヤホン、目は相場チェック。体は疲れている。頭も鈍い。だが、止まれなかった。止まったら、置いていかれる。
次のターゲットは、郊外の量販店限定のレアアイテムだった。ネットでも出回っていない、マニア向けのコレクター商品。Xの一部だけが知っている「裏ルート」。利幅は大きい。競争も少ない。
これは、行くしかない。
始発で向かった店舗。抽選列はわずか6人。悠也はその中に、何のためらいもなく並んだ。だが、その時点でもう、何かが狂っていた。
それが最初の一歩だった。取り返しのつかない崩壊への、ほんの小さな一歩だった。
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