第7話 大統領歓迎レセプションにて 1
「山藤さん、天保銭の着け心地はおいかがですか?」
「悪くないですぞ。これでワタクシも自信をもって人前に出られますがな」
「しかし、岡山の地元でこの格好は・・・(苦笑)」
「そこはわきまえるがな。この格好で街中をうろついたらオオゴトじゃ。どうせなら堀田君も大礼服を新調してこられたらよかったかもな」
「案内ではドレスコードにグレーのスーツとありますから、そんな大げさな格好で出向いては、人騒がせでしょう」
「まあな。そこにきて自分の場合は先方の御希望であるから、これでよかろう」
会場前のテーブルで参加者の受付が行なわれている。すでに話がついていることもあって山藤氏一行はすんなりと会場に入った。なんと、先ほど天保銭を授与した長田元陸軍少将が平服、つまり背広姿で岡田元海軍大佐とともにいるではないか。
「山藤閣下に敬礼」
元軍人の老人たちが後輩で陸軍の軍服を着た山藤氏に敬礼をする。山藤氏が敬礼を返し、ここからは普通の話に。状況を知らない堀田教授に、元軍人たちがそれぞれドイツ駐在時の話をする。
「堀田教授、自分は陸大卒業後、駐在武官としてドイツに赴任しておりました。軍法面での研究も兼ねたものでして、駐在時には現大統領のハイネマン氏と何度かケルンの大学でお会いしたこともあります。かのナチ政権には私自身はいささかならず懐疑的でありましたが、そんなこともあって、ハイネマンさんとの御縁があったわけです。あの方はしかし、あの時代をうまいこと乗り切られたものであります」
「実は私もその頃ドイツに駐在しておりまして、そこで長田閣下とお会いした次第ですが、私は海軍ですから、どうもドイツのあの頃の情勢はいささか危険な兆候があると思っておりました。しかし、あの頃出会った方々のおかげで、こうして大統領になられたハイネマン閣下にお会いできることになるとは全く光栄です」
「いやあ堀田君、私もなぁ、陸軍が戦時中でなければドイツに駐在武官で赴任できたとは思うが、まあ仕方ないわ。天保銭も取り上げられて、何だかな」
「そこにきて山藤さん、本日は天保銭も得られてドイツ大統領にお会いできたわけですよね。これで幾分なりとも夢がかなったのと違いますか?」
「まさに堀田君仰せのとおりであります(苦笑)」
まだ開始には時間がある。少し遅れて五反田氏夫妻と金岡女史がやってきた。
「しかし山藤さん、人目を引かれていますね。「天保銭」の御威光でしょうか」
確かに五反田氏の指摘の通り、日本人同士で固まっているこの一団で目を引いているのは、陸軍軍人の姿をした山藤氏である。
「それもあるかな。実はわしなぁ、陸士でも陸大でもドイツ語組で、ドイツには結局行けずじまいで今日に至っておるが、偶然とはいえドイツの大統領にお会いできるとは思ってもみなんだ。五反田君も、24歳のときにヘルマン・ヘッセに手紙を送っていなければ、今日ここに招待などされておるまい」
「確かにそうですね。もともとはロシアやフランスの文学を読んでいたところに、どういうわけかある親戚がヘッセの本を持ってきましてね、クヌルプでしたが、これを読んだのがきっかけでした。ドイツ出身でスイスに住む大文豪がなぜまた東洋思想に詳しいのか、その疑問を持ったゆえ、何とか広島一中時代に習った英語の教科書を読み直して英語で手紙を書いたのがきっかけでした」
「五反田さん、ヘッセへの手紙、最初は英語で書かれましたか。しかし貴方は何だかんだでドイツ語はある程度堪能と伺ったが、それは独学で?」
堀田教授の疑問に、五反田氏が答える。
「はい。何と申しても原爆被害調査委員会に翻訳員として勤務しもってでしたが、英語だけではどうかということで、この際ということでドイツ語もそこから独学で学びました。何より喫緊の課題として、ヘッセからの手紙を読もうということがきっかけでした。職場の同僚からも、どうせなら英語以外にも何かやったらどうかと言われていて、そんなことならもうこの際ドイツ語をマスターしたらどうかと言われて、自分で辞書と文法書を買いましたよ。高等商船時代は御存じのとおり戦時中で語学どころではなかったですから、一中時代に習った英語が最初の頼りでした」
「私も陸軍士官学校でドイツ語を学んだときは、岡山の関西中で勉強した英語が頼りであった。何だかんだで英語は勉強して置いてよかった。同じゲルマン圏の言葉であるからな。フランス語を学んだ同期の人らは、抽象語が英語と共通のものが多いのはありがたいと云っておられた。だがどうも、ラテン系の言葉はなじみにくいのう」
「堀田先生は、三高時代の外国語はどちらを?」
この質問は、元陸軍少将の長田氏。彼はドイツ駐在武官時代、陸軍法務を中心にドイツで法学を学んでいた。ナチ政権発足前後の時代であった。
「私は理科甲類で英語でした。ただ、兄が文科丙類でフランス文学を専攻していた影響もありましてね。独学で幾分フランス語もドイツ語もかじりましたよ。私は石村君みたいにアインシュタインにあこがれてドイツ語を何が何でもというほどでもありませんでした。しかし、フランス語も学んでおいてよかったと今は思っています」
「ところで堀田教授、一般教養で法学は学ばれましたか?」
「ええ、幾分は。しかしながら、国際法を意識するきっかけになったのは、山藤さんに姫路の連隊で「どやされた」ときでした。戦争というものは気に入らん国の奴らをぶっ殺せばよいというものではない、そもそも陸海軍とも法のもとにあり、それは国内にとどまらず国際間においても同様であると、それはこんこんと説諭されました」
「そうですか。いやあ、山藤君は無天組(陸軍大学校出身でない陸軍将校のこと)に終らせてしまうにはあまりに惜しい人材でした。ただ彼も、お話に聞くお若い頃の堀田さん以上に血の気の多いところがありましてね、それをうまく抑えていくにはやはりそのような方面の知識と学びが必要であると。それが身に着けば。彼は立派に参謀も務まるだけの素養と才能は当時から見られました。学徒兵候補の堀田さんを説得された話を聞くに、彼に陸大進学を勧めて、本当によかったと思っております」
この歓迎会の開始時刻は16時30分。もう少しで開始である。
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