第4話 冷たい視線


 朝の光が、重厚なカーテンの隙間から差し込んでいた。

 セリーヌはゆっくりとまぶたを開け、天蓋の布を見上げる。


 ――ここは、グレイヴ公爵家の寝室。

 昨夜の出来事がすべて夢ならどれほど良かったかと願ったが、冷たい宣告の言葉は胸に重く残っている。

 「これは白い結婚だ」――その響きが、再び耳の奥に甦った。


 身を起こしたセリーヌは、ふと周囲を見回す。

 ……誰も来ない。

 本来なら侍女が起こしに来て、衣服を整えてくれるはずだ。だが、扉が開く気配はなく、部屋はしんと静まり返っていた。


 奇妙な静けさに一瞬戸惑う。

 だがすぐに、「まあ、いいか」と自らを納得させた。

 アルヴァン伯爵家では、病床の母を看病し、家事を手伝う日々を過ごしていた。着替えくらい、一人で出来る。むしろ、他人の手を借りることの方が落ち着かない。


 ゆっくりと起き上がり、持参した控えめなドレスに袖を通す。

 鏡に映った姿は、見慣れたはずなのに、どこか他人のように思えた。



 やがて、やってきた使用人に案内され、広大な食堂へと通された。

 長いテーブルの中央に白磁の食器が並び、銀のカトラリーが眩しく光を反射する。

 それは贅沢そのものの光景だったが、セリーヌの心を冷たくするのは周囲の視線だった。


「ご朝食をお待ちしました」

 メイドの声は形式的で、どこか張りつめていた。

 言葉こそ丁寧だが、表情は固い。

 配膳の手つきもぎこちなく、彼女を避けるように皿を置く。


 ちらちらと向けられる視線。すぐに逸らされる眼差し。

 そこには歓迎の色はなく、ただ冷たい距離感が横たわっていた。


 理由は理解している。

 ――公爵様は新しい妻を愛していない。

 ――これは契約だけの結婚だ。

 そうした噂が、屋敷中に広がっているのだろう。


 胸の奥がひりついた。

 けれど、セリーヌは顔色一つ変えず、静かにナイフとフォークを動かす。



 食後、廊下に出ると執事クラウスが待っていた。

 老齢ながら背筋を伸ばしたその姿は威厳を保ちつつも、瞳は温かい。

 彼だけが、最初からセリーヌに柔らかな態度を向けてくれる人物だった。


「お部屋にはもう慣れましたかな、奥様」

「ええ……お気遣い、ありがとうございます」

 セリーヌはわずかに微笑みを返す。


 クラウスは声を潜めるように続けた。

「使用人たちも、すぐに奥様を理解するでしょう。彼らもまた、公爵様のお心に長く振り回されてきたのです」


「公爵様のお心……?」

 問い返すと、クラウスは静かに首を振った。

「いずれ分かる日が来ましょう。ですが、奥様のようか誠実な方であれば、皆も必ず心を開きます」


 その言葉に、セリーヌの胸の奥に小さな灯がともる。

 この広すぎる屋敷で、ただ一人でも自分を信じてくれる人がいる――それだけで、足元を支える力となった。



 夕刻。

 廊下を歩くセリーヌの背後で、使用人たちの囁きが耳に届いた。


「どうせすぐ離縁されるでしょう」

「だったら、慣れ親しむ必要もないわね」


 冷たい言葉が胸に突き刺さる。

 それでもセリーヌは立ち止まらなかった。

 大理石の床を一歩一歩踏みしめるように歩を進める。


 ――たとえ誰に認められなくとも、私は私の務めを果たす。


 そう強く心に誓いながら。

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