第2話 ポーションは無色透明
ポーションは無色透明な液体で手のひらサイズの小瓶に詰められている。この小瓶は割れやすい。馬車で運ぶ際には粘土と藁を緩衝材にして木箱に収めて割れないようしている。とはいえ、さすがに馬車ごとひっくり返らされてはひとたまりもなかったようだ。多くのポーションが割れてしまっていた。
無事だった数少ないポーションのうち二本を私は飲んだ。飲み終わった瓶には使用済みの印をして、後で説明がつくようにしておいた。
ポーションを飲んですぐに身体が元気になるわけじゃない。効果が出るまでには少し時間がかかる。ひっくり返った馬車の中で私は身体を横たえていた。積荷が散乱している中で休める場所を探すのはちょっと難しかった。樽と木箱が重なり合って尖った木片や金属片がないところに身を落ち着けた。背中が若干ごつごつとして痛いけど、なんとか我慢はできる。
「日が落ちるまでにはみんなを蘇生したいけど……」
『そう焦るな。こういう時こそ落ち着いてゆっくり慎重に動くんだ』
「そうは言っても獣や魔物に亡骸を食べられちゃったら蘇生できなくなるし」
『お前の魔力が失われてはそもそも蘇生ができないんだ。大丈夫、いまのところ周囲に魔物たちの気配は無い』
兄様に言われるまでもなく、私も魔力探知で辺りの様子は把握していた。魔物たちに嗅ぎつけられないうちにみんなを蘇生できるのが一番良い。それだけのことだ。
みんなの亡き骸に加えてもうひとつ、気になることがあった。
「兄様の身体がないみたいなんだよね」
『俺の身体は剣になってしまったようだぞ?』
「もとの肉体があれば戻せると思うんだけど」
『そうなのか?』
「憑依の応用でいけると思う。でも……」
憑依というのは意識や魂を元の肉体から別の物体に一時的に移す魔法だ。この物体とは人間とは限らない……動物や植物、それこそ剣や盾といった道具でも良い。蘇生と同等かそれ以上に高等な魔法。もちろん魔女の私なら扱うことができる。
私は兄様という白い剣の柄を握り、その刀身に指を這わせた。強い魔力の流れが感じ取れる。
『な……なんかくすぐったい……ふふふ……』
「気持ちわる」
『おい』
「肉体ごと剣に変容したっぽいんだよね」
『どういうことだ?』
「そのままの意味だよ。兄様の肉体が剣になったの。剣に兄様の魂が移ったわけじゃないっぽい」
つまり憑依ではないということだ。憑依の場合、元の肉体との繋がりがある。というより元の肉体との繋がりが絶たれると死ぬ。そのため憑依の魔法には時間的距離的制限がある。
表象的な現象で言えば変身に近い。でも変身の場合、視覚的に見せかけているだけで実体が変化しているわけじゃない。
「私の知らない魔法現象だ」
師匠なら知っているかもしれない。もし師匠が知らなくても魔女共和国中を探せばなんらかの手がかりは得られるだろう。
『よくわからんが俺は不便をしてないから気にするな。とにかく、元気になったら他のみんなを蘇生させよう』
「不便をしてないって……」
『剣っていうのは持ち主のそばにいれば安心するものさ。あと鞘に入れてくれるともっと良い』
「鞘なんてないし」
『後で適当に見繕ってくれ』
「うーん……わかった」
しばらく兄様と話していて気づいたことがあった。
兄様の考え方や価値観が人間の時より少しズレている。憑依するときにもよくあることで、魂は肉体の影響を強く受ける。兄様は身も心も剣になりつつ……いやすでになっているのかもしれない。
――剣の心ってなんだろう。
想像するのは難しい。
私は考えるのをやめた。
小一時間ほどもするとだいぶ魔力がみなぎってきた。
赤い日差しがひっくり返った馬車の中に入ってきている。
完全に暗くなってしまう前にみんなを蘇生しよう。そう意気込んで馬車を出ようとした。
『待て。何かいる』
兄様に言われて踏みとどまった。
私の魔力探知にも反応があった。
魔力探知でわかるのは魔力の大きさと流れだ。人間か獣か魔物か……実際の大きさはわからないし、見かけ上重なり合うような位置にあると区別がつかなかったりする。だからその何かの危険性を判断するためにしばらく馬車の中で息を潜めて様子を探ることにした。
いま私たちは平原の真っ只中、近くの集落まで歩いて三日程度はかかる場所にいる。夕方から夜にかけては獣や魔物の危険が高まるので、商隊などの人間の集団が近づいてきたとは考えにくい。
――魔物じゃなければ良いけど……
そんな私の期待は裏切られた。
馬の鼻息と人の話し声が聞こえてきたのだ。
「まさかワイバーンを返り討ちにするとは」
「大きな魔法を使った痕跡がありますね……さすがは魔女です」
「ワイバーンを失ったのは痛いですが作戦は成功と言って良さそうですね」
「生き残りがいないか念の為探すぞ。もし見つけたら女子供だろうと殺せ。間違っても慰みものにするとか奴隷にするとか考えるなよ」
「了解です」
最低でも三人はいるようだ。どこの国の人間たちかは不明。ただわかったことがふたつある。
ひとつは、このワイバーンの襲撃が人為的に仕組まれたものであったこと。
もうひとつは、見つかったら殺されるということだ。
私のような魔女がいるのを把握していたということは、彼らは私たちが魔女共和国の、少なくとも国家組織の集団だと知っていたことを示している。魔物を使役して国の使節団を襲わせるなんて只事じゃない。
並の兵士が相手なら私ひとりでも撃退できなくはないけれども……規模や力量がわからないこの状況で戦いに打って出るのは危険だろう。魔力探知の届かない範囲にも敵勢力がいるかもしれないのだ。
そして見つかれば殺される。どうすれば良い……と考えたところで樽が目に入った。飲み水が入っていたものだ。ひっくり返って空になっている。剣の兄様を抱き抱えて身体を縮こませれば身を隠せそうだ。さらに認識阻害の魔法をかければやり過ごせるだろう。
私は樽に身体を押し込み、木箱で蓋をした。そして樽ごと認識阻害の魔法をかける。よほど嗅覚の鋭い獣や魔物、あるいは魔力妨害の使い手や魔力探知に極端にすぐれたものでなければきっと気づかれないはずだ。
「こっちの馬車には誰もいません」
「こっちもいませんでした」
「食料や交易品は接収しますか?」
「そのままにしておけ。近衛騎士団から魔物に襲われたと皇帝に報告をさせないと意味が無い」
「わかりました」
近衛騎士団……皇帝……断片的な単語から彼らが帝国の人間だとわかる。それも不穏分子だ。帝国内に反乱勢力がいるとは聞いていたけれどももしかすると彼らが……
足音が近づいてきて思考が中断される。息を潜め、できる限り魔力の流れを留める。私は樽……私は樽……そう自分に言い聞かせる。隠れている樽にできるだけ同化させて認識阻害の魔法の効果を強めなくては。
「凄い……共和国の連中、良いもの食べてる」
「保存魔法も発達してるからな。羨ましい……皇帝が魔女共和国との関係強化を図るのも納得だな」
「奥はどうだ?」
ひとりが馬車の中に乗り込んできた。積み重なった樽や木箱がきしんだ音を立てる。木箱に足をかけ、樽に登っていくのが音でわかる。
ついには私が隠れている樽の上にまでやってきた。
「……ん、これは……?」
「なにかあったか」
「ポーションの空き瓶だな」
――しまった! ポーションの空き瓶を片付けることまで頭が回ってなかった!
「生き残りがいる?」
心臓が胸の中で暴れだした。鼓動が頭に響く。全身がきゅっと締め付けられるような気分だ。冷たい汗が背中を伝う。
「どこかへ逃げ出したか?」
「その割には食料とか装備とかを持ち出した形跡がないね」
「じゃあ近くにいるのか?」
「そうは言っても隠れらせそうな場所はないぞ」
「樽の中とか木箱の中とか」
「こんな小さい空間に入れるとは思えない。子供なら別だけど」
「……子供ねぇ」
私は剣の兄様をぎゅっと握りしめた。いざとなれば剣と魔法で暴れ回るしかない。
次の瞬間、木の板を貫く乾いた音が響いた。私の目の前を剣の切っ先がかすめる。
「……ふむ」
剣が引き抜けられた。
「なにか聞こえたか?」
「いや」
「生き残りはいるかもしれないが、ひとまずこの馬車にはいなさそうだな」
そう言って彼らは馬車を出て行った。
「隊長、この場には誰もいないようです」
「ただ生き残りはいるかもしれません。まだそう遠くへは行ってないと思われますが」
「わかった。念の為、すべての死体には聖水をかけて蘇生不能にしろ。馬も含めてだ。その後、二手に分かれて街道をたどろう。怪しいものがいればその場で殺せ」
「わかりました」
やがて鐙と拍車が擦れる金属音が聞こえ、馬の足音が遠ざかっていった。
魔力探知からも反応がなくなったのを見計らって私は樽から這い出した。辺りはすっかり暗くなっている。
「ちょっと漏らした……」
『悲鳴を上げなかっただけ上出来だ』
「死んだと思った……怖かった」
下着がじんわりと濡れて気持ち悪い上に、身体が小刻みに震えて止まらない。
『抜け目のない連中だったな。戦争に慣れてる。蘇生の可能性まで潰すなんて』
「魔法使いがいなくて本当に良かった」
『あの様子だとこの街道を進むのは危険だな』
「ここに留まって誰かが通り過ぎるのを待つのはどう?」
『お前がこの使節団の生き残りだと知られた時が怖いな』
「……確かに」
迷わず殺しにくるだろう。理由はわからない。根拠もない。ただ確信だけはあった。
『平原を南に突っ切ろう。そうすればギルド自治領に入れる』
「帝国に行かないの? 騎士団に助けを求める方が良くない? あるいは共和国に戻るのは?」
『帝国に行けばどの道奴らの知るところになる可能性が高い。共和国に戻るのは悪くない案だけどさすがに遠過ぎる。その点ギルド自治領はここからそれほど遠くないし、何より中立地域だ。素性を隠すことも難しくない。ギルド自治領で共和国行きの商隊に混ぜてもらって帰国するのが確実で安全だと思う』
「なーほーね」
兄様の言うことはもっともだ。
ただひとつ問題がある。
「……でも魔物に襲われずにギルド自治領まで無事にたどり着ける気がしない」
『大丈夫だ、心配するな』
兄様が自信満々に言う。
『俺がなんとかする』
「その姿でどうなんとかするの?」
『ワイバーンを倒したじゃないか』
「あれは運が良かっただけだよ」
『運じゃない。俺がお前の動きをアシストして二人で倒したんだ。俺たちなら魔物にやられることはないさ』
「……アシスト?」
『そうだぞ。非力なお前がブロードソードを振り回せるわけないだろ』
「私は何も考えずに闇雲に剣を振り回しただけだよ」
『だから俺の思い通りに動けた。お前の魔力で能力も底上げできたし、おとぎ話に出てくるエンシェント・ドラゴンでもない限り、問題ないと思うぞ』
「疲れて眠っているところを襲われたらひとたまりもないよ」
『俺は剣だから疲れないし眠らない。お前が寝ていても、剣さえ握ってくれていればお前の身体を使ってお前自身を守れる』
「それ、信じていいやつ?」
『ワイバーンを倒したろ?』
「……うーん」
正直言って信じられなかった。
「まあでも、他に良い案も浮かばないし、ギルド自治領目指そっか……」
『出発は明日朝にしよう。しっかりと寝て、体力を回復させるのが先だ。その後、馬車に残ってる食料や水を持てるだけ持って、ギルド自治領に向かおう』
「わかった」
きょうはもう疲れた。たった一日で色んなことが起こり過ぎだ。帝都に向かう途中にワイバーンに襲われ私を残して全滅、なぜか兄様は剣になっていて、帝国の反乱勢力らしき者たちに追われる身になってしまった。
――無事に明日を迎えられると良いけど……
野営に備えて私は魔物避けの結界を地面に書き始めた。
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