第25話 降臨

「全軍前進! 弓兵及び魔法使いは射程に入り次第一斉射撃。その後、槍兵を突撃させ、エルフ軍の前衛を崩したら騎兵で蹴散らす!」


 魔王軍後方の司令部陣地。魔王軍司令官が命じた。参謀達が立案した慎重な作戦は、すでに却下されていた。


 太鼓が打ち鳴らされ、魔王軍が前進を始めた。


 荒野の地形は、中央山脈を背にした魔王軍の陣営からエルフ軍の陣営に向かって、緩やかな下りになっている。魔王軍後方の司令部から前方が良く見えた。


 その直後、前方を監視していた兵士が叫んだ。


「エルフ軍の手前、両軍の中間点で発光を確認。何者かが転移してきます!」


「エルフ軍か?!」


 司令部の一同が目をこらして荒野の先を見た。光が消えると、少年が一人立っていた。


「あ、あれは……あの少年じゃ!」


 司令部に控えていた所長が叫んだ。所長は、周りの制止を聞かず、大きなダチョウのような生き物に乗り、走って行ってしまった。



 † † †



 敦は、前と後ろにそれぞれ展開する両軍を交互に見た。前方から太鼓を鳴らしながら多数の魔王軍がこちらへ進んでくる。


 映画のワンシーンのような光景は、現実味がなく、不思議と恐怖は感じなかった。


 敦は、肩に乗るチュン子に声を掛けた。


「チュン子。僕らで出来る限りのことをやってみよう」


「チュン!」


 チュン子が勇ましく鳴いた。


 敦は、覚えたての変身魔法の呪文を唱え始めた。


 格好良い鳥をイメージしようとしたが、色々と迷っていると、ふと、ブーヴの家で折り鶴を折ったことを思い出し、以前にテレビで見た美しいツルの姿を思い浮かべてしまった。


 その直後、荒野の真ん中に、巨大な光り輝く美しい鶴が出現した。



 † † †



「な、なんだ、あれは?!」


 魔王軍、エルフ軍それぞれの将兵が前方の空を見上げて叫んだ。すると、どこからともなく、少年のような声が聞こえてきた。


『我は中津……ナクァツァーシ。天央山に棲む神獣だ。我の安らかな日々を妨げるのは誰だ?』


 巨大な鶴の姿になった敦は、緊張して危うく本名を名乗りそうになってしまったが、誰もそれに気づく余裕はなかった。


「な、ナクァツァーシだと?! エルフ軍め、あの少年の身柄を確保していたのか!」


 魔王軍司令官が叫んだ。


「魔王軍め、少年を何者かに奪われたというのは欺瞞だったか?! しかもナクァツァーシそのものを召喚するとは!」


 エルフ軍司令官が悔しそうに叫んだ。


 魔王軍の進軍が止まった。前衛の将兵が驚き立ち止まってしまったのだ。エルフ軍も呆気に取られて動けなかった。


 その時、魔王軍の戦列から、大きなダチョウのような生き物に乗った所長が走り出て来た。


 所長が、巨大な鶴の姿になった敦の前で止まり、大声で叫んだ。


「おお、素晴らしい! 少年とナクァツァーシの魔力が共存しておるのか……少年よ、ワシに従え! ワシに従えば元の世界に返してやる!」


 面倒なことになってきた。敦は暴風をイメージして、所長を遠くへ吹き飛ばすことにした。


 巨大な鶴の姿の敦は、大きく翼を広げ、声を上げた。


『吹き飛べ』


 周囲に衝撃波が広がった。ぶちぶちっと嫌な音がしたかと思うと、所長の両腕が吹き飛び、腰の辺りが引き千切れ、腰から上が地面に落ちた。


「ひぎゃー!!」


 所長が絶叫した。血溜まりの中で芋虫のようにのたうち回る。


 衝撃波は、魔王軍とエルフ軍の前衛にも到達した。多数の将兵の手足が吹き飛び、体が引き千切れた。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


 敦は、その光景を見て、心の奥底に愉悦・嗜虐の気持ちが芽生えるのを感じた。


 何て凄い力なんだ。この力をもっと使いたい。奴らをもっとグチャグチャにしてやろうか……


 その時、敦の脳裏にブーヴの笑顔が浮かんだ。この世界でお世話になった様々な者の笑顔が次々と浮かんだ。


 ハッと我に返った敦は、自らを恥じた。自分は一瞬でも何て恐ろしいことを考えたんだろう。今、目の前で泣き叫ぶ人達を傷つけたのは自分だ……一瞬芽生えた愉悦・嗜虐の気持ちは、すぐに恐怖心へと変わった。


 敦は、必死に所長や将兵が元に戻るよう念じた。所長や将兵の体はすぐに元に戻った。幸い、死者は出ていないようだった。


「ひいいい!」


 所長は叫びながら走って逃げて行った。両軍の前衛の将兵は、その場にへたり込んだり、後方へ逃げようとしたり、大混乱に陥った。


 ホッとした敦は、気を取り直して両軍に語りかけた。


『愚かな者どもよ。我の安らかな日々を妨げた罪は重い。ここにいる全ての者を滅ぼしてくれよう』


 その時、敦から少し離れた場所に、空間転移の光が現れた。


 光が消えると、剣を手にした紅炎童子とエゼルスィギル、そしてブーヴに老鬼神が現れた。


 魔王軍から様々な驚きの声が聞こえてきた。


「側衛官の紅炎童子じゃないか?!」

「後ろの一人は、あの有名な先槍の猛鬼?」

「怪力のブーヴもいるぞ!」


 エルフ軍からは「あれはスィーじゃないか?!」などとエゼルスィギルの仮名けみょうを呼ぶ声が聞こえた。


『ナクァツァーシよ、お前の思いどおりにはさせん。我らが相手だ!』


 紅炎童子が叫んだ。混乱の中、紅炎童子の声が両軍の全将兵に聞こえたのを不思議に思う者は、幸い誰もいなかった。

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