異世界転生×ユニークスキル 【アイアン】で無双する!?

月神世一

鉄の勇者

灰色の人生と、一瞬の勇気

部屋の空気は淀み、カレンダーは7年前で止まっていた。

青田勇気、25歳。彼の世界は、この薄暗い四畳半の自室がすべてだった。高校卒業後、近所のパン工場に就職したものの、たった3日で逃げ出した。それ以来、彼は7年間という途方もない時間を、モニターの光だけを浴びて過ごしてきた。

家族にとって、勇気は「置物」だった。食事はドアの前に置かれ、会話はない。たまに聞こえるのは、母親の深いため息か、父親の無関心な舌打ちだけ。存在しているのに、存在していない。それが勇気の日常だった。

その日も、小遣いなどあるはずもない勇気は、リビングにいる母親のハンドバッグから慣れた手つきで一万円札を一枚抜き取った。罪悪感と自己嫌悪が胃を焼くが、欲求はそれらを麻痺させる。目的はコンビニの一番くじだ。虚しい日々の中で、射幸心だけが彼を外へと駆り立てる唯一の起爆剤だった。

サンダルの踵を引きずり、久しぶりに浴びる太陽に目を細める。コンビニの自動ドアが開こうとした、その時だった。

甲高い女性の悲鳴と、男の怒声が響き渡る。

「もう俺の女にならないなら殺してやる!」

店の前で、若い女性が男に腕を掴まれ、もみ合っていた。よくある痴話喧嘩か。そう思って目をそらそうとした勇気の目に、鈍い銀色の光が飛び込んできた。男の手には、刃渡り十数センチの包丁が握られていた。

「きゃあああ! 止めてぇぇ!」

足がすくむ。見て見ぬふりをするのが、いつもの青田勇気だ。関わらない。面倒はごめんだ。そう脳が命じるのに、なぜか足はアスファルトに根が生えたように動かなかった。

(ここで逃げたら、俺は……本当に、ただの置物以下じゃないか)

心の奥底で、何かが小さく叫んだ。

次の瞬間、勇気は駆け出していた。自分でも何が起きたのか分からなかった。ただ、震える足で、泣き叫ぶ女性と狂気に満ちた男の間に立ちはだかっていた。人生で初めて、誰かを守るために。

「!」

ストーカーの男は驚愕に目を見開いたが、振り上げた腕は止まらない。

ズブリ、と生々しい感触が胸に広がった。心臓を貫いた包丁から、自分の命が流れ出していくのが分かった。

「きゃあああ!」

助けようとしたはずの女性は、悲鳴を上げて逃げていく。

「うわああ、知らねぇ、俺は知らねぇぞ!?」

ストーカーもまた、血に濡れた包丁を握りしめたまま、闇の中へ消えていった。

アスファルトの上に一人、取り残される。遠のく意識の中、勇気は自嘲気味に笑った。

(あぁ、俺……死ぬんだ。ろくな人生じゃなかったな……)

それでも、胸の痛みとは裏腹に、心のどこかが少しだけ温かい気もした。

青田勇気、25歳。彼の灰色だった人生は、最期の瞬間に、ほんの僅かな勇気の色を残して終わった。

審判の場

真っ白な光の中、意識が浮上する。

「起きてください。起きてください、勇気あるニートさん」

柔らかな声に導かれて目を開けると、そこは雲の上にいるかのような、どこまでも白い空間だった。そして目の前には、水の女神と見紛うほどに美しく、青い髪をなびかせた女性が微笑んでいた。

「え? あ……」

「やっと起きましたか」

「ここは……? 貴方は?」

混乱する勇気に、女神はくすりと笑う。

「はい。ここは審判の場。私はこの場を管理する女神、アクアと申します」

「じゃあ、俺はやっぱり死んだのか」

「う〜ん、そうですねぇ」

アクアは少し考えるそぶりを見せると、まっすぐに勇気を見つめた。

「貴方は、どうしようもなくろくでもないニートでした。親のお金を盗んで、無為な日々を過ごして……正直、情状酌量の余地はありません」

辛辣な言葉に、勇気はぐうの音も出ない。

「ですが」と、アクアは続けた。声のトーンが、慈愛に満ちたものに変わる。

「最後の最後で、貴方は勇気を出しました。自分を顧みず、見ず知らずの女性を助けようとした。正直に言って……私は、感動しました」

「いや、別に……体が勝手に動いただけだ」

「だから、貴方にチャンスを差し上げます。ここではない別の世界、『アナステシア』で、赤子として人生をやり直すチャンスを」

「異世界転生ってやつか?」

「はい、そうですね。もちろん、手ぶらで行かせるわけではありません。スキルを授けましょう。まずは【言語理解】。そして、もう一つは……【アイアン】にしましょうか」

「アイアン?」

「はい。半径10メートル以内にある鉄を、貴方の意のままに操れる能力です」

「それって、凄いのか?」

「それは貴方の使い方次第です。最強の武器にも、最高の農具にもなります。それをどう使うかが、貴方の二度目の人生そのものです」

アクアは人差し指を立てて、少し悪戯っぽく笑った。

「ただし、【アイアン】のスキルが使えるようになるのは、3歳になってからです」

「どういうこと?」

「アナステシアの世界では、魂が肉体に完全に馴染み、スキルという形で力が発現するのが3歳頃なんです。それまでは、準備期間だと思ってください。【言語理解】だけは、赤子の頃から使えるようにオマケしておきますね」

女神からの、あまりにも都合のいい提案。だが、勇気に断る理由はなかった。

「ありがとう、アクアさん」

「どういたしまして。ではこれにて、青田勇気さん」

アクアの表情が、ふっと姉のように優しくなる。

「もう、親を悲しませるんじゃありませんよ?」

その言葉に、勇気は前世の両親の顔を思い浮かべ、何も言えずに、ただ深く頷いた。

体が眩い光に包まれていく。意識が溶けて、引き絞られて、そして一つの小さな器へと注ぎ込まれていくのを感じた。

次に目を開けた時、最初に映ったのは、温かい木目の天井。そして、自分を覗き込む、愛情に満ちた二つの顔だった。

「おお、マリア! 見てみろ、目を開けたぞ!」

「まぁ、あなた……なんて可愛らしい……私の、赤ちゃん……」

優しく力強い男の腕と、慈愛に満ちた女の眼差し。

前世では決して向けられることのなかった、純粋な歓迎と喜び。

(これが……俺の、二度目の人生……)

理由も分からず、赤子となった勇気の目から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。

マンルシア大陸の片隅、ルミナス帝国の辺境にあるルーカス村。農家のカーナス夫妻の長男として、彼の新しい人生の産声が上がった。

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