The next researcher of architecture from 31F

 遥か下からの振動で目を覚ました。思いの外、首に負担のかかる寝相であったらしい。忠告をしてくれなかった佐野川研究員に、僅かながらの憤りを覚えた。別に論理的ななにかがあるわけではないが。


 腕時計が0:39:12を指したまま止まっている。一週間ほどゼンマイを気にかけていなかったことを思い出した。後悔とも憤りとも取れないような、不思議な気持ちを確かに抱いた。


 上司から言われた通り、必要な資料を携えて螺旋階段を登っていく。本が数冊だけとはいえ、一つ一つの分厚さが祟っている。この重さは身体に応えるものがあった。無駄に上司と仲良くしてきた弊害を身を持って感じていた。


 ようやく赤色の鉄扉を視界に捉えた。よく見ると、鉄扉の前にものが置かれていた。ここをゴミ捨て場としている人間の仕業だろう。適当なところに追いやろうと思って近づいてみる。


 それらは縛られた資料の束であった。『できれば2806階の研究室まで』などと生意気なことが書かれている。あの辺りには科学系の研究室があったはずだ。

 おそらく佐野川研究員のものだろう。彼はどこまで自分勝手な人間なんだろうかと、静かに一人呆れ果てている。

 

 とはいえ、通り道に置かれているのも、どこか邪魔くさくて腹が立ってしまう。

 何を思ったのか、その束を持ち上げては、運ぶべき荷物の一つとして加えてしまった。分厚さも重さも、私が抱えている本に引けを取らなかった。実質的には、運ぶべき資料の数が増大しただけになってしまった。だが、不思議と悔いも何も沸き立たなかった。


 向かうは2136階。私の上司が根城にしている研究室兼書斎を目指す。

 いつまで経っても戻ってこないエレベーターを待っている間、上の紙束を適当にめくってみる。


『――アメリカでハツの価格が急高騰―― 2040年、突然心臓が消失した牛が大量に発生。これを発端に、アメリカ全土で牛肉、特にハツの価格が急激に高騰している。今や、牛肉100gあたり――』


 学生時代に習った覚えがある。世界中で牛肉の価格が大幅に上がって阿鼻叫喚だったとか。今じゃ考えられないような話だ。


 ぼんやり既往の日々を考えていると、目の前にある扉がようやく開いた。すぐさま乗り込んで、行きたい階層を入力する。抱えている資料を落ち着かせるのは、なかなかに骨が折れる。


 未だ、エレベーターの動く感覚に慣れることができない。なんだか頭がふらつくようで、どうしても少し気持ち悪くなってしまうのだ。

 普段から頻繁に利用していてこのザマであるから、よく上司からは小馬鹿にされている。「お前のほうが年下だろうが」とはよく思ってるが、別に上司へ負の感情があるわけでは無い。だからこそ……ある種の無礼講のような……なんとも言えない関係が続いている。


 上司が作り置きしているらしいポトフについて考えていると、エレベーターは電子的なベルを鳴らして、私を現実に揺り戻してくれる。表示板が2136階を示していた。


 いつもの見慣れた風景が広がっていく。歩を進めるたびに景色は変わっていく。驚きのない単調な景色が、とっくに見慣れた平凡な景色に変わっていく。


 触り慣れたドアノブを掴んで奥に押しのける。

 しばらく足を動かせば、いつもの書斎と丸テーブルがお出迎えしてくれた。そのさらに奥では、ペンがテーブルを引っ掻いている、そんな音が聞こえてくる。

 丸テーブルの上に資料を置くと、中央に置かれている花瓶が音を出して揺れる。


「ひっ……!びっくりしたぁ……え?」


 目線の先からそんな声が聞こえてくる。紅色に染まった艷やかな瞳には、畏怖と困惑が表立って現れていた。


「ほら、呆けてないではよ作業の続きしぃ〜?」

「いや、そんっ……な、えぇ?」

「言われた通りの資料は持ってきとんのやから別にええやろ?」

「それはっ……いやっ、そうやけどさぁ……」

「何?研究に没頭しすぎて周りが見えてなかった責任を全部私に擦り付けるつもり?」

「いやっ……そういうわけじゃないけど……」

「じゃあ何?」


 思い通りに行かず苛立っているのか、右耳につけている特徴的な金色のピアスを指で弾いている。

 こうやって、お互いがお互いをからかいあえる関係でいれて、万感の思いだなぁと思いながら会話を続ける。

 このあとは、大体は私が折れるか、


「もういい!ほっといて!」


 とか言われることで会話が終わる。まさに今のような感じだ。


 連れてきていた資料をまた抱え、2806階へと向かう。2806階あそこは未踏の場所だ。だが仕事柄、どんな構造かはなんとなく見当がつく。が、どの部屋に向かえば良いのかは皆目見当がついていなかった。


――――


「……藤原さん、連絡取れます?」

「いやぁ……どうも無理そうな気が……」


 佐野川さんと連絡が取れない。休暇中なのだろうが、やってもらわなければならない事ができてしまったのだ。彼と連絡がつかなくなる事態なんて、同じ研究所に入ってから一度としてなかった。だからなのか、今は怒りや焦りよりも不安が勝っている。


「なんにも無いと良いけどなぁ……」


 その時、正面からある一人がこちらをめがけて走ってきているのに気づいた。


「すみません……佐野川研究員の……研究室って……」


 白髪、いや、銀髪……なのか、おおよそそういう感じの髪色をしている。俺のほうから見て右側の髪が、水色の髪と合わせて三つ編みにされている。外側にハネた……ショートヘアー……?が、彼女の耳を覆い隠していた。

 随分と痩せ型な体型が祟っているのか、息が絶え絶えになっている。

 

「その研究室なら、このまま15部屋先に進めばありますけど……どうかな……」


 彼女の目的は佐野川さんなのだろう。だが、彼は今不在な上、連絡も取れていない。ただ、ここまで来てもらったのに引き返させるのも何だか悪い気がして、どうにもこうにも言い出せない状況になっている。


「ん〜……今いないからな……こっちの方で佐野川さんに届けておく……ってことで良いですか……?」

「良いですか……!すみません、ありがとうございます!」

「お名前だけ伺っても……?」

「ソウミョウ マコトです!」

「あっ……りょ、了解です」


 マゼンタ色の綺麗な瞳を携えた顔からはとても想像できない名前で、一瞬言葉に詰まってしまった。

 そんな名前を持った彼女は、自分の後ろを振り返りどこかへと消えてしまった。

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