第4話 空振り

「ちょっと委員会の仕事あるから行ってくるね」

「おっけー、行ってらー」


昼休みの時間、私は教室を出て、担当場所の水道に向かった。向かった先には三間さん、長妻さん、そして牧瀬さんが集まっていた。


「あっ、正吾さーん。由梨ちゃんも来たよー!」


長妻さんが私が来たことを確認して、三間さんに声を掛けた。三間さんは視線を私の方へ向けると口を小さく開けた。


「お、良かった。来てくれたんだね」

「ごめん、ご飯食べてたらギリギリになっちゃった」

「全然いいよ。時間までに間に合ってるから」


私は集合時間ちょうどにやって来た。三人は特に気にすることなく、優しい目で私を見ていた。良い人に囲まれたと実感する。


「じゃあささっと終わらせちゃおー?」


長妻さんはおっとりとした声でみんなに呼びかけた。それぞれ指定の場所の掃除や石鹸、消毒液の補充を始めた。男子二人は黙々と水道周りの掃除をしていた。一方私と長妻さんは水道の石鹸や消毒液の補充を担当し、雑談をしながら作業をしていた。


「それでさ、強面先生がチョーク持って、急におでこに化学式書き始めたの!」

「なぁにそれー?面白い人なんだねー」


長妻さんはどんなことでも、にこやかに聞いてくれた。ふと牧瀬さんの方へ目をやると、私たちの会話を聞いてるようで、ほんのりと笑みを浮かべていた。すると一気にプレッシャーがかかったように感じた。


しかし私にとってはチャンスでもあった。それは初頭効果、初対面の印象が相手の全体的なイメージとして固定されるというものだ。つまり最初の印象がその後にも影響してくるほど超重要だということだ。


「ま、まあ顔が怖いだけで面白い先生だよ」

「その先生の授業受けてみたいなー」


最初の絡みは身体測定の時にしたあのぎこちない会話だ。上手く話せなかったため、私の印象が悪いかもしれない。今日ここでその印象を払拭するしかない。そう思った時、長妻さんが消毒液を振って中身を確認した。


「あっ、こっちの消毒液もう無いなー」

「じゃあ私新しいの持ってくるから、他のとこ確認しておいて」

「えー、由梨ちゃん偉いねー。ありがとー」


それと同時に、他の人から間接的に褒めてもらい、好印象を与えるウィンザー効果も目指してみる。そこで必要なのは三間さんと長妻さんと仲良くなり、牧瀬さんに私の良さを伝えてもらうことだ。


「そのためにも頑張らなきゃ!」


それを思うと、よりいっそう学校生活が楽しくなったように感じる。また別の日でも他の心理学を実践してみることにした。


「由梨ー!何してるの?」

「あー、真広か。ビックリしたー……」


次の授業までの休み時間、後ろから真広が話しかけてきた。


「教室のドアの前でなにやってんのー?」


私はさっきからじっと廊下を眺めていた。それはもちろん、牧瀬さんが出てくるタイミングを窺っていたからだ。


「あっ、来た!」

牧瀬さんが男友達と一緒に教室を出る姿を発見した。真広は私の様子を見て、頭にハテナを浮かべながら私に話しかけた。


「とりあえず行こ?」

「そうだね、行こー」


次に私が挑戦するのは単純接触効果というものだ。相手と繰り返し何度も会ったり、話をしていると親近感が湧く効果とのこと。話しかけることはハードルが高くて難しいかもしれないけど、何度も会うだけで好感度が上がる最強心理効果なのだ。


「今日音楽なにやるんだろうねー」

「またピアノの練習とかじゃない?」


次の時間は移動教室で、各科目の選択者が教室に行くという流れだ。私たちは牧瀬さんを追い抜き、前に移動した。少しでも私の存在をアピールするためだ。


「あ、でも今度ギターも練習させてくれるって!」

「わっ!ビックリした。急に声大きくなったね」


なぜだか無意識に声が大きくなってしまった。後ろにいる牧瀬さんの様子など見れるはずもなく、そそくさと音楽室へ向かった。



気がつけば六時間目の数学の時間、私はずっと考えていた。


「少しは上手くできたかな?」


始めてからずっと空回りしている気がする。その不安が日に日に大きくなっていた。


「イメージも全然変えられてないだろうし、今日やった単純接触効果なんてすぐけっかでないだろうしなー……」


考えれば考えるほど気分が下がっていく。考えることを止めても、数秒後にはまた一人反省会が始まってしまう。


「はぁ……」


私が溜息をつくと、突然大きな声で私の名前が呼ばれた。


「よし小笹、問題番号の四角の三番の答えを教えてもらおうか」

「え?えーっと……」


言われた問題番号のところを見る。記憶にないが私はこの問題を解いていたみたいだ。途中式や答えがすでに書かれていた。


「x=7 y=2です」

「ん?」


私の答えを聞くと、先生が教卓に置いてある教科書をちらりと見た。


「小笹、ページ間違えてないか?」

「え?」


黒板を見るとページ数が書いてあり、私が見ていたところの2ページ先が問われていた。


「あっ、間違えてました」


問いの部分は綺麗な白紙で、授業を聞いていなかった弊害が襲いかかってきた。すると後ろから救世主が現れた。


「由梨、これこれ」


瑠花が答えを指さして教えてくれた。私は指された場所を読み上げた。


「a=1 b=4 c=4です」

「オッケー、正解。今の問題は__」


瑠花のアシストのおかげで何とか乗り切れた。


「瑠花、めっちゃありがとう」

「いいよ。なんか考え事でもしてたの?」

「いやー、ボーっとしてた……」


私の返答を聞くと、瑠花は軽く微笑んだ。


「そうなんだ。珍しいね」


会話が終わると授業をしっかりと受けることにした。しかし依然としてその日は寝る直前まで気分が下がったままだった。



そして次の日の委員会活動中のことだ。私たちはいつも通り補充や清掃をしていた。そんな時、長妻さんが私に話しかけてきた。


「そういえばさ、ミンスタ交換しなーい?」

「してなかったね。交換しよー」


何回か一緒に委員会の仕事をしていたが、ミンスタや連絡先を交換していなかった。私はスマホを取り出し、ミンスタのQRコードを見せた。


「ありがとー」


長妻さんはそれをカメラで読み取り、私のアカウントにフォロー申請を送った。私がアプリを閉じようとしたとき、最高の出来事が起こった。


「俺とも交換しない?」


声を掛けてくれたのは、牧瀬さんだった。私は驚きと喜びを必死に隠すように平静を装って答えた。


「いいよ」


私は慎重に再度QRコードの画面を見せた。そして通知が一通届く。”mks_toruからフォロー申請が来ています”、そんな通知の画面を見て、思わず自然と口角が上がってしまう。


「ありがとね」


できればマインも交換したい、そんな考えが頭の中をよぎった。ほんの数秒の間に、高速で考え悩み、葛藤した。この機会が一番自然に、かつ交換できるチャンスなのではないか?しかしそんな勇気も声も出せない。


「あの、二人とも……」


二人が一気に私に視線を向けた。より緊張が高まるものの、それに負けずに声を出した。


「良かったらさ、二人ともマイン、交換しない?」


私の言葉を聞いた二人は目を少し大きく開いた。そして微笑んで言った。


「いいよー」

「これ、俺のマインね」


そう言って牧瀬さんはマインのQRコードを見せてくれた。続けて長妻さんも示してくれ、私はそれを読み取って友だちに追加した。


「良かった……」


ホッと一息つき、肩をおろしたとき、気まずそうに三間さんが私に声を掛けてきた。


「あの、俺もマインとミンスタ交換してなくて……」

「あっ……」


すっかり忘れていたが、同じ委員会なのにもかかわらず、連絡先を一切交換していなかった。


「ごめん!交換しよ!」


やっと一歩前進できた、そんな日になった。昨日テンション下がった分、今日は一段と明るくなれた気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る