あなたのやったことは人殺しだ

「初めから、あなたが車を運転していたことは分かっていました。倉田さんを撥ねたのはあなたですね」森が本城拓海ほんじょうたくみを指さして言った。

 森倫太郎は神奈川県警刑事部捜査一課の刑事だ。年は五十過ぎ、広い額と虫のように跳ね上がった細い眉、そして、薄い唇が彼の持つ冷徹な一面を現わしているようだ。

「な、何で・・・僕が・・・」本城が絶句する。

 若手俳優の中で、現在、飛ぶ鳥を落とす勢いと言っていい本城拓海だが、森はお構いなしだ。テレビ局の楽屋に本城拓海を尋ね、事情聴取を行っていた。

「あの時、あなたはこう言いましたね? 事故が起こった時、助手席で寝ていたと。お酒が入っていたので、助手席で寝ていて、八田さんが人を撥ねたのに気がつかなかったと」

 八田博康はったひろやすは本城拓海のマネージャーだ。

「えっ? ああ、そう言ったと思います。僕は寝ていたので、あいつが車で人を撥ねたところは見ていないんですよ」

「寝ていたのに、人を撥ねたのが分かったのですか?」

 始まった。獲物を前に舌なめずりをする肉食動物のようだ。いたぶり尽くし、食らいつくすまで止めない。石川は本城が少々、気の毒になった。

 石川肇は森の相棒、長身で、小柄な森と並ぶと子供と大人に見えてしまう。分厚い胸板に、えらの張った小さな顔、頭脳派よりも肉体派の刑事といった印象だ。

 二人は文豪コンビと呼ばれている。森鴎外の本名が森林太郎で、石川啄木の本名が石川一で、読みが同じだからだ。

「はは。刑事さん、それは言葉の綾ですよ。急ブレーキで目を覚ました時、八田から人を撥ねてしまったと言われました。だから、人を撥ねたことを知っていた訳です」

 確かに言いがかりに等しい。相手は忙しい身だ。本城の気が変わられては困る。石川が「当日の証言を確認しておきたいのですが、本城さん、あなたはあの日、品川にある榊というスナックに飲みに行った。零時過ぎまで、そこで飲んでいたのですね?」と口を挟んだ。

「ああ、うん。そう、そう」と本城が面倒臭そうに答える。

「スナックを出たのが午前零時頃、バーのママに確認したところ、零時前だったと確認が取れています。最もスナックは風営法で零時を回って営業は出来ませんがね」

「うん。そう、そう」としか本城は答えない。

「酔っていたので、八田さんを呼んで、運転を代わってもらった。その後は、助手席で寝ていたので事故に気がつかなかった。そう証言されていますね」

「うん。そう、そう」

「八田さん、あなたから電話をもらって、タクシーで駆けつけたと証言しています。三鷹台にお住まいですので、榊まで・・・そうですね~ざっと五十分、いや、深夜ですので、四十分ってとこですかね。でも、変ですね~」と石川が言うと、「何が?」と初めて本城は興味を示した。

 さあ、出番だ。森がすかさず言葉をねじ込む。「榊は専用駐車場を持っていて、あなた、そこに車を停めていますよね。あそこ、車の入出庫が分かるようになっているのです。あなたの車が駐車場を出たのが、零時十二分でした」

「ああ、そう」

「ああ、そうじゃありませんよ。あなた、榊を出る時は一人でしたよね。そこから電話を掛けて八田さんを呼んだとして、どうやって零時十二分に駐車場を出ることが出来るのです?」

「それは・・・店を出る前に八田に電話をしたからだよ。あいつが来るのを待って、店を出た」

「なるほど。では、あの時間ですから、榊から、あなたの横浜の自宅まで、ざっと・・・同じように四十分程度ですよね。ところが、事故の通報があったのは午前一時四十八分です。時間がかかる過ぎです。一時間以上、あなた方は何処で何をしていたのですか?」

「さあ? 俺、寝ていたから」

「そう来ますか」と森は闘志を燃やしたようだ。

 ここからエンジンがかかる。「八田さんのマンションに防犯カメラが設置してあるのです。あの夜の防犯カメラの映像を確認すると、零時四十四分に八田さんがマンションを出る姿が記録されていました」

「へえ~そうかい。じゃあ、あれだ。あの、榊を出て、やつが来るのを待っていたからだ」

「電話をしたのが店を出てからだった訳ですね?」

「そうとしか考えられないじゃないか⁉」

「おや? 逆ギレですか。その辺を確認する為に、我々、足を運んでいるのですけどね」

「おじさん。俺、忙しいの」

 森は、こういう挑発には乗らない。

「話を戻しましょう。では、午前一時十二分に駐車場を出た時、車を運転していたのは誰です?」

「それは・・・俺だよ。駐車場を出て、直ぐに車を停めた。酔っていたからね。運転したって言っても、ほんのちょっとじゃん。それくらい良いだろう?」

「あなたは車を運転して、午前一時十二分に駐車場を出た、だけど、車を停めて八田さんが来るのを待っていた。そうですね?」

「そう、そう。おじさん、分かってるじゃん!」

「八田さんの携帯電話の通話履歴を調べたのですけどね。あなたから電話があったのが、零時三十九分でした」

「車を停めてから、暫く寝ていたからね。ほら、さっきの問題。通報まで一時間半、どこで何をしていたのかってやつ。俺が車で寝ていたからだよ。うん。そう、そう」

 本城は上機嫌で頷く。

「上手く言いくるめたつもりかもしれませんが、そうは行きませんよ」と森が凄む。「人を撥ねたのは、あなただ。榊を出たあなたは、酔ったまま車を運転して帰ろうとした。そして、残業で終電になり、とぼとぼと駅から自宅まで歩いて帰っていた倉田さんを撥ねた。居眠りでもしていたのでしょう。倉田さんは病院に運ばれた後、亡くなっています。死亡した時刻は分かっていますが、事故に遭ったのか何時なのか分からない。それが分からないと、あなたの証言が通ってしまう。そこが非常に悩ましい点なのです」

「だから、俺は寝てたって!」

「でもね。車を運転していたのは、あなただ。あなたで間違いない。人を撥ねたことに気がついたあなたは車を停め、慌てて、八田さんを呼んだ。それが零時三十九分です」

「違う。何を言うんだ!」

「いいからお聞きなさい。八田さんはタクシーで駆けつけて来た。恐らく、現場から少し離れた場所でタクシーを降りたのでしょうね。そして、あなたと合流した八田さんは警察に通報した。自分が車を運転していたことにしてね」

「だから、違うって言ってるだろう!」

「そろそろ終わりにしましょう」と森が言う。しかし、人が悪い。いよいよ仕上げだ。「実はね。最初から、全て分かっていたのです。あなたが車を運転していたことがね」

「・・・」本城が目を丸くする。

 一生懸命、考えているのだ。何がいけなかったのかを。

「あなた、自分の車にドライブレコーダーを搭載していることを忘れていたようですね。我々は車を回収して、ドライブレコーダーの映像を確認しました」

 本城の顔が見る見る青ざめる。

「はっきり映っていましたよ。倉田さんが撥ねられるところが。そして、車を停めて出て来た運転手の顔が、ヘッドライトに照らされて、はっきり映っていました。あなただ。あなたが出て来て、八田さんに電話をかける様子が映っていたのです」

「そうか・・・」と本城が絶句する。

 下手の考え休むに似たりだ。小細工を弄するが余り、自分の車についたドライブレコーダーの存在を忘れていたのだ。もともと、矛盾だらけの証言だったが、映像を見た森たちは、本城が車を運転していたことを、はなから知っていた。

「ひとつ、あなたに言っておきたいことがあります。倉田さんを診た病院の医師の話では、もう一時間、いや三十分でも早く救急車を呼んでいれば、倉田さんは生きていた可能性があるそうです。分かりますか? あなたが八田さんを待っていた時間が、倉田さんの命を奪ったと言えるのです」森は一旦、言葉を切ると、「あなたのやったことは人殺しですよ!」と本城を一喝した。

 本城はびくりと体を震わせると、がっくりと肩を落とした。

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