DAY4 - :君のために飛ぶ朝
「おはよう、みなみー!おきてーっ!笑」
朝の空は、いつも通りだった。
寝癖のついた髪をぐしゃぐしゃと整えながら、
ボクはリビングから声をかける。
ベッドからぬぼっと顔を出したみなみが、少し目をこすりながら答える。
「んん……おはよ……空くん……」
「今日なにしたい?ボク、なんでも付き合うよ!」
みなみはちょっと考えてから、嬉しそうに微笑んだ。
「うーん……ピクニック、したいな。
公園とかでお弁当食べたり、のんびりしてみたい」
「OK、決まり!じゃ、北海道行こっか!」
「……は?」
まるで意味がわからないという顔のみなみをよそに、
ボクはスマホを操作しながら航空券を手配し始める。
「場所は……うん、美瑛の青い池!ピクニックにちょうどいいよ。
さ、急ぐよ!もう時間ないからっ!」
「えっ、ちょっと待って待って!
カメラとか、お弁当とか、着替えとか準備しなきゃ……」
「ふふん。じゃーん!」
ボクはそっと黒いケースを差し出した。
中には、Canon EOS R50のミラーレスカメラ。
「え、これ……」
「この前、お客さんからもらったやつ。キミにピッタリでしょ?
弁当は空港で買えばいいし、着替えは現地で調達すればいいじゃん!」
みなみは笑いながら、しぶしぶうなずく。
「……なんなのこの人。やっぱちょっと変。」
⸻
タクシーに乗り込むと、みなみはカメラを嬉しそうにいじりながら窓の外を眺めていた。
ボクは隣で航空券を確認しながら、心の中で小さくつぶやく。
「青い池で……今日の笑顔も、ちゃんと残せますように」
羽田空港に到着。
国内線のチェックインを済ませると、
手際よく搭乗ゲートへと向かった。
みなみは少し緊張した様子で機内に乗り込み、
ボクが窓側の席に彼女を促すと、
座って5分もしないうちに、ウトウトと寝息を立て始めた。
⸻
💤 その隣で、ボクはスマホを開き、ある重要な予約を入れる。
「……洞爺湖ウィンザーホテル。よし、空いてた」
カチカチと入力する指先の音を、
みなみは眠っているふりをしながら、ほんの少しだけ聞いていた。
飛行機は静かに千歳空港へ着陸した。
外へ出ると、空気が東京とはまるで違う。
少しひんやりしていて、鼻の奥が澄んでいくような感覚。
「さて、移動どうする?」とボクが尋ねると、
みなみは周囲を見渡して言った。
「レンタカーでよくない? ドライブって北海道っぽいし」
「……っ! キミ、最高。じゃあ、ボクずっと乗ってみたかったやつ借りちゃお!」
⸻
空が手配したのは、マツダのロードスター。
深い赤のボディが日差しにきらめいていた。
「え、これ開けられるの? 屋根」
「もちろん。オープンカーで行こう、青い池まで!」
そうして2人は、北海道の広大な景色を駆け抜けた。
小麦畑、森、山々、そして空。
道の両脇を流れる緑のうねりに、みなみは何度もシャッターを切る。
⸻
「うわ……」
みなみの声が、感嘆と共に漏れた。
そこには、本当に“青い”水面が広がっていた。
ただの池じゃない。絵の具をたらしたような不思議なブルーが、
光に反射してきらきらと揺れていた。
「涼しい感じ、するね……」
「でしょ。写真、いっぱい撮ろうよ」
⸻
午後が過ぎ、夕方になると池の色が少しオレンジを帯びはじめた。
「夕暮れだ……オレンジ池だね」
「そんな名前あったっけ?笑」
「今、ボクがつけた」
ふたりは笑い合った。
やがて陽が落ちていき、ライトアップが始まった。
青の中に幻想的な光が差し込み、
世界はまるで夢の中のような風景に変わった。
⸻
その時だった。
「やあ、君たち。また会ったね」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは——
「カフェの店主さん!? 北海道に来てたんですか!?」
「うん、ちょっと休みでね。で、写真でも撮ろうかなーと思ってさ。
……よかったら、2人を撮らせてくれないか?」
元プロのカメラマンだったという彼は、手慣れた手つきで2人の立ち位置を整える。
「もう少し近づいて。……そう、そのまま——はい、チーズ」
カシャ。
「え!? 今の……キス……」
「ふふ、自然だったよ。とてもいい写真が撮れた」
「うそぉ……やられた……」
みなみは顔を赤くして、ボクの肩をぽかぽか叩いた。
でも、その目はどこか嬉しそうだった。
カメラを返され、2人は店主に軽くお礼を言って別れた。
みなみは少し名残惜しそうに空を見上げたあと、ぽつりとつぶやく。
「ねぇ、これ……もう旅行っていうより、逃避行じゃない?」
「逃避行? いい響きだね。でも、ちゃんと帰るよ。帰る家があるもん」
「……ふふっ、そうだね」
⸻
車は洞爺湖方面へ向かい、山を越えて夜の街へと入っていく。
やがてたどり着いたのは、洞爺湖ウィンザーホテル。
高台に佇むその建物は、どこかおとぎ話の中の館のようだった。
フロントを通って部屋へ入ると、
広々とした窓の向こうに、夜の闇が広がっていた。
「……あっ!」
空がそっとカーテンを開けると、
夜空に大輪の花が咲いた。
ドォンッ……
洞爺湖では、毎晩小規模な花火大会が行われているのだ。
みなみは夢中でカーテンに寄り、窓ガラスに手をつけてじっと眺めていた。
その背中にそっと手を添えて、空は言った。
「……結婚、しない?」
「……え?」
「また、じゃなくて。いま、ここで。
ちゃんと、もう一度、結婚しよう。ボクたち」
みなみは、窓に映った自分の顔を見た。
赤くなって、少し涙ぐんでいた。
「……ほんと、なんでここまでするの……
記憶もなくなるかもしれないのに。
明日には忘れてるかもしれないのに……」
「知ってるよ。でも、それでも……ボクは、何度でも」
ボクは、優しくその手を握った。
「……じゃあ、うん。結婚しよう」
「ちょっと車に忘れ物した。すぐ戻るね」
プロポーズを終えた空は、慌ただしく部屋を出ていった。
みなみはその場に立ち尽くしたまま、ぽつんと微笑んだ。
「ほんとに、変な人……」
と、ふと彼のスマホがソファに落ちているのに気づいた。
「空くん……忘れてるし」
手に取って、画面をのぞき込む。
ロック画面が表示されているが、すぐに気づく。
(……これ、わたしの誕生日?)
0915——みなみの誕生日を入力すると、
ロックはあっけなく解除された。
その瞬間、画面に溢れるのはみなみの写真たちだった。
笑っているみなみ
泣いているみなみ
パジャマ姿の寝起きのみなみ
料理に失敗して困った顔のみなみ
水着で砂浜を走るみなみ——
ざっと数えて、約2万枚。
「え……なにこれ……」
その一枚一枚が、全て愛おしげに残されていた。
そして、その中に一枚だけ違和感のある写真があった。
⸻
その写真には、ひとつの指輪が写っていた。
シンプルなプラチナのリング。ブランド名は「俄 - 彩(いろどり)」。
拡大すると、内側の刻印が読めた。
「空のかわいい最高の奥さんみなみへ」
撮影日:5年前
「……え……?」
みなみの指が震えた。
(……これって……5年前に、私たち……結婚……?
いや、“繰り返してる”ってこと……?)
その時、部屋の扉が開いた。
「ごめーん、戻ったー! 落とし物、これ!」
息を弾ませながら戻ってきた空に、みなみはスマホを見せた。
そして、何も言わず——
抱きついた。
「……そっか……そっか……」
空の胸の中で、みなみはぽろぽろと泣いた。
それは、どこか懐かしさのある涙だった。
空はその涙の意味を、聞かない。
ただ、そっと頭を撫でながら言った。
「また、はじめよう」
みなみは涙を拭いて、ふと立ち上がった。
そして、ソファに置かれていた小さな箱を手に取った。
「これ……もしかして、探してた“忘れ物”ってこれ?」
「……バレた?」
空は照れ笑いを浮かべる。
箱を開けると、そこにはあの指輪——
俄(にわか)の「彩」が静かに輝いていた。
みなみはしばらく見つめたあと、
空の方を一度だけまっすぐ見て、何も言わずに——
自分で左手の薬指にはめた。
ぴたりと、まるで最初からそこにあるべきだったかのように、指輪は馴染んだ。
「……ボク、言葉用意してたのに」
「いらないよ。たぶん、ずっと聞いてたから」
「……え?」
「空くんの想い、6年分、いやもっと前から……
ちゃんと届いてたんだと思う。わたし、全部覚えてなくても、
身体が、心が、ちゃんとわかってた気がする」
窓の外では、最後の花火が夜空に咲いていた。
ふたりはただ黙って、手をつないだまま見上げた。
記憶は消えても、心が覚えていれば、それでいい。
たとえ明日、彼女がすべてを忘れても——
空は、また何度でも恋をする。
そしてきっと、彼女も——
また、空に恋をする。
DAY4 end
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