34:Into The Dark Load
デルマ区に足を踏み入れたとき、ライラは一瞬だけ空気の重さを感じ取った。
暴動が続く低層の中でも、この区画はまだ比較的落ち着いている。
それでも遠くでは黒煙が立ち上り、時折、爆発音のような低い響きが腹の底に伝わってくる。
街頭モニターでは、中層ターミナル襲撃の続報が繰り返し流れていた。
映し出されるのは崩壊した駅、逃げ惑う市民、そして“リストラクション”の犯行声明。
さらに別の都市でも爆破事件が発生したという報道が続く。
上空映像では、黒煙を上げる地区と警備車両の影が入り乱れる。
誰かが倒れ、誰かが走り、画面はひっきりなしに切り替わる。
刃物を振り回す暴徒を警備ドローンが取り囲んでいる映像。
炎に照らされる夜道。
――ルクシオン全体が、静かに崩れ始めていた。
ライラは肩にかかる埃を払いながら、人気の途絶えた通りを駆け抜ける。
道の両側には、老朽化した工場や倉庫が立ち並び、鉄の匂いと錆の粉塵が入り混じっていた。
再開発計画から取り残されたこの地区は、治安はそれなりにいいとはいえ、密輸や裏取引はところどころ行われている。
(……ここが、”リストラクション”の拠点)
足を止め、深く息を整える。
地図上で示された座標の建物が視界に入った。
ひび割れた壁面に、かすれて読めない企業ロゴ。
その奥へと続く暗い搬入口――そこが、彼女の目的地だった。
工場区画に足を踏み入れた瞬間、ライラは異様な静けさに違和感を覚えた。
さっきまで耳にしていた暴動の喧騒が、まるで別世界の出来事のように遠のく。
機械油の匂いと鉄の粉塵が鼻を刺し、足音だけが無機質な通路に響いていた。
照明の半分は消え、壁のパネルは剥がれ、通路からガラス越しに見える大きなフロアには壊れた輸送ラインや様々な機械が横たわっている。
かつては物流を支えた大規模な工場だったのだろうが、
今は骨だけ残ったような廃墟だ。
錆びたクレーンが風に揺れて小さくきしんだ。
「……ほんとにここ?」
イヤモニ越しに問うと、すぐにロウの声が返ってきた。
『座標は合ってる。 ただ、もし連中が行動中なら誰もいない可能性もあるな。 もしそうなら振り出しだ。』
「……まさか、別の拠点に——」
その瞬間、空気が変わった。
背筋を冷たい感覚が駆け抜ける。
直後、鋭い音とともに何かが飛んできた。
「っ……!」
とっさに身をひねる。
影が、モノスキャナーをかすめ背後の壁に突き刺さる。
落下したモノスキャナーが砕け、壁のコンクリート片も弾ける。
粉塵が舞った。
鉄球。
直径十センチほどの球体が、壁面を深々とえぐっている。
(……狙われた!? いったいどこから……)
一発、二発、三発――。
鉄球が連続して飛来した。
どれも一直線にライラを狙い、まるで意志を持っているかのように襲い掛かってくる。
「……ッ、数が多い……!」
ひとつを避けるたびに、別の鉄球が視界の端から迫る。
ライラは身体をひねり、壁を蹴って体勢を変えた。
狭い通路を縦横に使い、床を滑りながら距離を取る。
コンクリートの欠片が弾け、粉塵が光の筋を描いた。
鉄球の一つが足元を掠め、靴底をかすめて転がった。
ライラは反射的にそれを拾い上げ、手の平に紫電を集める。
投げられた鉄球が一直線に飛んでいく。
反対側の暗闇に向かって突き刺さり、重い金属音が響いた。
(……止まった?)
ライラは息を整えながら、静まり返った通路を見渡した。
粉塵の向こうからは、何の反応もない。
まるで先ほどの殺気が嘘だったかのように、音が消えている。
それでも気配は、確かにそこにあった。
金属がこすれる音――低く、重い共鳴。
目を凝らすと、闇の中に“人の手”が見えた。
通路の向こうから、ゆっくりと足音が響いた。
乾いた音が、通路に反響して近づいてくる。
やがて、薄暗い照明の下に一人の男が姿を現した。
短く切りそろえられた黒髪。鋭く光る眼差し。
映像で見た男――。
彼は、先ほどライラ投げ返した鉄球を手の中で転がしていた。
そのまま無造作に指先で放り上げ、軽くキャッチしながら口を開く。
「来ると思っていたぞ。」
ライラは息を詰めた。
男の声音には威圧でも怒気でもなく、奇妙な“確信”が混じっている。
そしてこの威圧感は、以前にも感じたことがあるものと同じだ。
「偶然とはいえ、よくもまぁ俺たちに繋がったもんだ。
……いや、お前と俺に関しては、必然かもな?」
「俺はカイン。 解放を目指す”リストラクション”の指導者だ。」
その言葉に、ライラの眉がわずかに動く。
「“解放”だなんて、笑わせないで。 おかげで平和なルクシオンが台無しじゃない。」
カインは一瞬だけ無表情になり、手の中の鉄球を止めた。
静寂が戻り、空気がわずかに震える。
「平和だと……?」
低い声が、ゆっくりと空間を満たす。
次の言葉が落ちるたび、空気が冷えていくようだった。
「低層の惨状を知らないわけじゃないだろう。
上の連中には見えていない。 認識しなければ無いのと同じだ。
お前が言う“平和なルクシオン”というのには、
ライラは言葉を詰まらせた。
カインは続ける。
「上層の連中はお前たちを助けに来たか? お前たちのために何かしたか?
“中層のことだから”、“低層のことだから”――そうやって切り捨ててきただけだ。」
「その通りだけど?」
ライラの声には、冷たい棘があった。
「低層にいるような人間は、救いようもないクズばっかりじゃない?
自分たちの不幸を誰かのせいにして暴れまわるなんて、意味わかんない。」
カインはフンと鼻で笑う。
「生まれ落ちた環境を考えたことがあるか? 家族、人間関係、教育、コミュニティ、そして遺伝までもな……。
努力や誠実さじゃ越えられない壁が、数えきれないほどある。 望んで不幸になりはしない。」
ライラは何も言わなかった。
カインは一歩前に出る。
「――ライラと言ったな。お前はNC高の生徒だ。高層にある……さぞ恵まれた環境で育ったんだろう?」
「……私だって元は同じ
「ほう?」
カインの口元に笑みが戻る。
「なら聞くが――お前のその力は何だ? それがあるから、そんなことが言えるんだ。
お前が生まれ持った偶然の“力”があるから、俺たちをクズと吐き捨て、見下しているんだろう。
努力でもなんでもない。ただの運だ。 ……一体どこが“同じ”なんだ?」
ライラは言葉を失い、握りしめた拳をゆっくり下ろした。
自分の中にあった傲慢さを、今さら突きつけられる。
確かに、カインの言う通りだった。
彼女は低層で生まれ、今とは比べ物にならないほどの劣悪な環境で幼児期を過ごしていた。
だがPSIを持っており、育っていく中で偶然にも低層を訪れていたA.R.I.S職員に発見された。
そして経済的な支援を受けて中層へ移り、高校に通えるほどに環境が整った。
そこには両親の努力もあったが――結局は、選ばれた側だった。
沈黙の中で、ライラは視線を落とした。
そして、再び顔を上げる。
「……だからって、善意や努力を否定して、暴れたり、人を殺していい理由にはならない。 そこに上層とか下層とは関係ない。」
その瞳には、迷いと怒りが同居していた。
カインは静かに鉄球を掌で転がしている。
「そんな言葉は聞き飽きた。やっぱりお前は違うな。
“努力”や”善意”という言葉が、上の連中にとって都合のいい免罪符でしかない。
“善意”とやらが何かを変えたことがあるか?
行動を起こして根本を変えない限り、俺たちは永久に踏みつけられるだけだ。行動の引き金は、いつだって不平等だ。」
「それに、歴史は誰かが誰かを殺して得た椅子の積み重ねだ。 この国の階層構造も例外じゃない……。」
鉄球を軽く上に投げ手を握ると、鉄球が潰れて縮んでいく。
抱いていた疑念が確信に変わる。
「……!!」
(やはり、この男も……!!)
「何もかも潰してやるよ。 “上”も、お前もな!」
カインの周囲の空気が変わる。
髪は逆立ち、彼の手足、目さえも漆黒に染められていく――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます