15:Calm Down
轟音とともに吹き飛ばされた巨躯が床に沈み、広間は一瞬にして静まり返った。
ライラはその光景を確かに目に焼きつけた――だが、安堵よりも先に、膝が勝手に折れ落ちる。
全身の力が抜けていく。擦り傷からは鈍い痛みが広がり、痺れは指先までじわじわと這い上がる。それでも一番の原因は、肉体の消耗ではなかった。
襲いかかるような眠気――意識を根こそぎ持っていく異常な倦怠感が、脳を重く締めつける。
「うぅ…」
瞼が焼けるように重く、視界は霞んでいく。呼吸も荒く整わず、言葉を紡ぐ余裕すらなかった。
その隙を見逃すはずもなく、周囲に潜んでいたダリウスの部下たちがざわめき、次々と影を揺らす。
「やりやがったぞ……!」
「おい、囲め! 今ならまだ――」
倒れ込むライラに迫る複数の足音。立ち上がろうとするが、痺れる脚は力を拒み、指先は床を掻くだけだった。
ライラが床に伏したその刹那、黒い影が彼女のそばへ駆け寄った。
ロウだ。息を切らせながらも、ためらいなくライラの体を肩に担ぎ上げる。
「ったく……なんて奴だ」
短く毒づきつつ、視線は素早く周囲を走らせる。近づこうとしていたダリウスの部下たちを睨み据えると、口角をわずかに吊り上げた。
「通報はもう済ませた。お前らの悪事、全部筒抜けだ。警備隊が来りゃ終わりだぜ――観念しろ」
鋭い一言にざわめきが広がる。男たちの足が止まった瞬間、ロウはすでに次の手を思案していた。
警備の到着は時間の問題。あとはその混乱に紛れ、この場を抜けるだけだ。
肩に担がれたライラは微動だにせず、荒い呼吸を残したまま深い眠りに落ちていた。
「おい……起きろよ。お前にはまだ用があるんだ、こんなとこで終わらせんじゃねぇ……」
呼びかけても反応はない。小さな寝息すら聞こえるほどに、ぐっすりと眠り込んでいる。
「……マジかよ。緊迫感ゼロだな」
呆れたように吐き捨てながらも、ロウの足取りは迷いなく出口へと向かっていた。
建物の外から、重いブーツが床を打つ音と警笛の響きが近づいてきた。
次の瞬間、武装した警備隊が広間に雪崩れ込み、逃げ惑う人々の怒号が重なり合う。
怒鳴り声、悲鳴、崩れた家具が軋む音――。混乱が一気に広がる。
ロウは肩にライラを担いだまま、素早く視線を走らせた。正面から突破するのは得策ではない。
敵の部下達が警備に気を取られて足を止めた隙を突き、影のように身を滑り込ませる。
「こっちだ……」
誰に聞かせるでもない声を呟き、物陰から物陰へと駆け抜ける。
騒乱の中心から外れた裏通路は、幸いにも目立たず放置されていた。
崩れかけた壁の隙間を抜け、暗い通路へと身を滑らせる。背後では警備の怒声が飛び交い、部下たちの罵声がかき消されていく。
低層の奥へ奥へ――。
混乱の奔流に呑まれる前に、ロウは静かにその場を後にした。
薄暗い部屋。見慣れない天井を見上げながら、ライラは重い瞼をかろうじて持ち上げた。
喉は乾ききり、体は鉛のように動かない。それでも、指先だけはかすかに端末を探った。
震える指で画面を呼び出し、最低限の入力を打ち込む。
「……特異者がいました。危険です。……調査を……」
それ以上は続けられなかった。
事件の詳細はすべて伏せ、必要最低限の情報だけをA.R.I.Sに送信する。
送信完了の表示を確かめると、端末が手から滑り落ちた。
強烈な眠気に抗えず、彼女は再び深い眠りの淵へ沈んでいった。
そこは薄暗い部屋だった。壁際には用途不明の機材や、拾い集めてきたような資材が雑多に積み上げられている。
狭いベッドの上に、ライラは毛布にくるまれて横たえられていた。
「丸一日寝てたぞ。そりゃもう大いびきでな」
隣の椅子に足を投げ出し、モニターをいじっていたロウが片手を挙げる。
ライラは無言で視線をそらす。まだ瞼は重く、猛烈な倦怠感と筋肉痛が全身を覆っていた。
だが、しばらくしてふと漏れる声は――。
「……お腹すいた……」
その一言にロウは目を瞬かせ、次いで吹き出すように笑った。
「ははっ、元気じゃねぇか。死にかけたやつの第一声がそれかよ」
ライラは重い身体を無理やり起こし、礼もそこそこに立ち上がった。
「……ありがとう。また助けてもらって……でも、もう会わないかも」
背を向け、出口へ歩き出す。振り返ることなく、軽く片手を上げて。
「じゃあね」
ロウは何も言わず、ただその背を目で追った。
外の空気は重く、肺にまで澱が染み込むようだった。
それでも彼女は、そこから離れることに迷いはなかった。
帰宅すると、玄関先で両親に迎えられた。
ボロボロの服と傷だらけの体に、すぐさま心配の声が投げかけられる。服のこと、怪我のこと――次々に問われたが、彼女は短く答えるだけで、それ以上説明しようとはしなかった。
「疲れているから休みたい」とだけ告げ、両親の視線を振り切るようにして自室へと向かう。後ろからさらに声が続いたが、扉を閉ざすことで無理に遮った。
ベッドに身を投げ出すと、脳裏にあの広間の情景が浮かぶ。人の倒れる音、爆音、迫る掌。思い出すだけで背筋が冷たくなり、布団を握る手が震えた。死にかけたという現実が、ようやく遅れて押し寄せてくる。
そのまま深い眠りに沈む。三日間、彼女は 寝ても寝ても足りず、そして食欲は底を知らなかった。
その間、学校は体調不良で休んだ。
学習用の端末には心配する連絡や、課題、補習用のテキストがひっきりなしに届く。
ようやく起き上がれるようになり、異常なほどの眠気と食欲も、やがて少しずつ落ち着きを取り戻していった。
だが鏡に映る顔は青ざめ、目の下には濃い影を落としていた。水で顔を洗いながら、小さく息を吐く。
――しばらくは、低層に関わるのはやめよう。
呟きは誰に向けたものでもなく、ただ自分自身を落ち着かせるような響きだった。
かすかな不安と、日常へ戻る安心感を胸に抱きながら、彼女は再び学校へと歩き出す。
心の奥でそう区切りをつけ、彼女は再び日常へ戻っていった。
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