守れなかった過去と、守ることのできない未来の約束を抱えた彼の話。



今回のお話は、綴視点のお話です。


時間軸は現在です。


―――――――――――――――――――――――



 あの後、調が鍋の火加減を見ながら、横目で俺に指示を飛ばしてくる。


「綴、そこにあるネギ切って。小口切りね」

「こぐち……? あぁ、輪切りのやつね!」


 包丁を構えている俺を、調はちらりと見てため息をつく。


「……指、切るなよ」

「たぶん、だいじょーぶ」


 ぎこちなく包丁を動かし俺がネギと格闘している間に、調は味付けをし、卵を溶いて鍋の中のお米の煮え具合を確かめていた。

 そして俺の作業を見越しているかのように、テンポよく調理は進んでいく。


「調っ見て! 意外と上手く出来たよ」

「……まぁ、形にはなってるな」

 言葉ではそう言いつつも、僅かに口角が上がったのを俺は見逃さなかった。


 そこからも鍋に卵を流し入れたり、味見をしたりといった簡単な作業を任されて、隣で手際よく調理を進める調はまるで魔法を使っているかのようで。


 思い返せば、調が本格的に料理をするようになったのはあおいが来た頃だったと思う。

 

 元々器用で、大体のことは何でも出来るタイプの調。ある時、急に食事にこだわりを見せるようになり、栄養バランスを気にして毎日美味しいごはんを作ってくれるようになった。

 初めは簡単な料理から始め、和食や洋食問わず、中華にフレンチ、イタリアンなど今では作れるものは数えきれない。

 

 その内に料理だけでは飽き足らず、スイーツにも手をのばした。特に能力の使用に糖分の必要な和が来てからは、一段とそのバリエーションも増えていったように思う。

 特に桜は調が作るお菓子を気に入り、よく貰いに行っているのを見かけるし、悠や湊もよくもらっている所をみる。


 調はそれを当たり前のように続けているのだから、本当に頭が下がる。


 ――本当に、調は凄いな。

 

 口には出さないけど、心の中でそう呟いた。もっと頑張れば俺も少しは、近づけるだろうか……。


 湯気を立てる雑炊を器によそって、その上に俺が切ったネギを散らす。


「完成ー! ありがとう、調」

「どういたしまして」

 七割くらい調が作ったようなものだけど、初めて俺も誰かのために料理を作ることが出来たのは嬉しくて。

 慣れないことをするのは大変なところもあったけど、完成したときの達成感が凄くて。

 

 苦手な料理が楽しいと思えたのは、調のおかげだ。

 

「じゃあ、これ燎のところに持って行くね」

「こぼさないように気を付けてね」


「はーい、気をつけます……」

 調に釘を刺されるが、この仕事は毎回の事なので慣れている。だけど、油断しているときが危ないというし、いつもより少しだけ慎重に部屋まで運ぶ。

 

 燎はその少し強面な見た目に似合わず可愛いものが好きだったり、甘い物を好んだりする。

 出会った頃から変わらないくしゃっとした笑顔を見せて、先頭に立ち俺たちを引っ張っていってくれる。

 

 燎はとても優しくて、強い子だ。そしてそれが故に、あまり我儘を言わない。痛くても、辛くてもそれを上手に隠してしまう。


 三個も年下なのに、俺よりも遥かにしっかりしていて頼りになる。

 

 俺はあの時、燎のお母さんを助けられなかったことが、今でもずっと心に残り続けている。

  

 燎の父親は親権はいらないと、突っぱねたらしい。妻子とは縁を切っていて、自分にはもう新しい家庭があるから関わりたくない。

 だから、二度と連絡をしてくるなと――。


 実の父親にも関わらず、息子に対してそんなことを言える人間の心を、俺は一ミリも理解なんてできなくて。

 

 母親にはなれなくても、本当は寂しがり屋さんな燎を体調の悪い時くらいは、出来るだけ甘やかしてあげたい。


 だから燎が珍しく言った我儘を、どうしても自分の手で叶えてあげたかった。

 

「燎、入るよ」

 部屋に入ると、燎はベットの上へぐったりと横たわっていた。


「雑炊できたけど……食べられそう?」

「……たべる……」

 俺の声にゆっくりと目を開けて、小さな声で呟く。


「おっけー、ちょっと待ってね」

 そう言いながら持ってきたお盆をベットの上へ座る、燎の膝の辺りに置いた。

 

 ふぅふぅと息を吹きかけながら、燎は口へと運ぶ。

 

「……あつっ」

 

「……おいしい」

 目尻を下げて、ふわりと笑ってくれたその様子に心がじわりと温かくなった。


 殆ど調に助けてもらって完成したようなものだが、それでも俺が頑張って作ったものを「美味しい」と言ってもらえた。

 それが凄く嬉しくて、自然と頬が緩んでしまう。


「よかったぁ……俺、ちょっと料理の腕上がったかも」

 少し冗談めかして言えば、調に手伝ってもらったんでしょ? なんてすぐバレる。


「……でも凄く嬉しいよ……ありがとう、綴」

 柔らかく笑ってくれたその表情を見られただけで、作った甲斐があると思えた。

 

「どういたしまして、燎」

 俺は嬉しくて、へらりと笑ってみせた。


 そしていつもの通りに、持っていった薬を飲む所まで見届ける。


「頑張ったね、燎」

 そう言って頭を撫でてあげれば、燎は少し唇を突き出しながら眉を寄せて言った。


「子ども扱いしないでよ……」

 口では嫌がりつつも、目尻は嬉しそうに垂れているのを俺は気付いている。


 本当は嬉しいんでしょ? なんて言えば拗ねてしまうのは分かっているから言わないけれど。

 そんなところも小さい頃から変わらない、燎の可愛い所――。


 だから――俺の秘密が知られてしまったときに見せられた驚きと抗いようのない恐怖に染まった燎の表情を、俺は忘れることができない。

 

 ――あの日は朝から体が軽く、調子がよかった。


 普段あまり人の来ることがない屋上で風に吹かれながら目を閉じれば、いつもより頭の中は透明な気がして、イメージ通りに思い描くものを形成できる。

 

 だから俺は、少し調子に乗ってしまったのかもしれない……それが楽しくて仕方なくて。

 まずいと思った時には、もう遅かった。


 鼻の奥が熱を帯びて、じわりと液体が垂れる感覚。その刹那、喉の奥からも鉄の味が込み上げてきて、吐息と一緒に赤が零れ落ちた。

 俺はそこで初めて、自分がやりすぎたことを自覚した。

 

 血を流しすぎたことにより、頭がぐらついて瞬きの間に視界は反転していて、揺れる世界に目を開けていることすらしんどくて。

 空と地面も区別がつかないほどの酷い目眩が収まるのを待とうとした。


 だがその油断が、いけなかった。


「……っ!」

 微かに俺の名前を呼ぶ声が耳に届いて、足音が駆け寄ってくるのが聞こえた瞬間。

 朦朧とする意識の中でその糸は、ぷつりと切れた。

 

 そしてその後すぐ体を揺さぶられる感覚がして、現実へと引き戻される。


「ねぇ! お願い、しっかりして」

 真っ青な顔で俺を呼ぶ、燎。心配させてしまった。その事実だけが俺の胸を強く刺した。


「ごめ、んね……心配かけて……能力の使い過ぎ……だから、だいじょうぶ」

 視界はまだぐるぐると回っていて、それでもなんとか笑顔を作って見せた。

 こんな時でさえ、笑えば安心させられると――そう、思ってしまう。


「でも……!」

 必死な声、揺れる肩。

 

「燎……おねがい……み、んなには秘密に、して……心配かけちゃうから……」

 俺はかすれてしまう声で、懇願する。

 燎の目は不安そうに揺れて僅かに逡巡した後、渋々といった感じで頷いてくれた。


 ここ最近は加減を間違えることなんて滅多になかったが、念の為にと用意していたタオルが役に立った。


 血が目立ちにくいように、誰にも気付かれないようにと考えて選んだ黒色のもの。

 

 それを燎に取ってもらって、血を拭う。タオルに血が染み込んでいく感覚が、どうしようもなく惨めだった。


 俺らしくない、強い言い方で燎に口止めををしてしまった。


 燎が怯んだ顔をしたことには気づいたが、そうでもしなければ……この場を押し切ることはできなかった。

 

 ――本当は、誰にも知られたくなかった。


 家族同然のリヒトの仲間にすら心配をかけたくなくて、俺が俺らしくいるためには、隠し続ける選択肢しかなかった。


 その本音が、心の奥底で熱を持つ。

 

 ――沈黙が落ちた。

 

 燎は何か言いたそうだったけど、言葉が見つからなかったようで唇を噛みしめている。

 心配を隠そうともしない視線が、俺を真っすぐ射貫く。

 

「綴、俺みんなにはちゃんと秘密にする。……だから、俺にだけは隠さないって約束して」

 そう言った燎は真剣で、その縋るような視線に胸が痛んだ。


 けれど俺は首を縦に振ることは出来なくて、喉の奥に言葉がつかえてしまって……どうしても「うん」と言えなかった。

 

 だから、はぐらかした――。

 

 あの子は約束を守ってくれると言ってくれたのに、俺はそれを守ることを約束できない。


 卑怯だけど、燎の優しいところに俺はつけ込んだ――。

 

 胸の奥で、どうしようもない声が囁く。


 ――いつか俺はいなくなる。


 俺のサクリファイスは「命」


 少し前に病院で定期検診を受けた際、医師は俺に静かに紙を差し出した。

 

「この数値を見てください。赤血球も白血球も、正常値の半分以下です。まるで血液そのものが消えているように……」 

 その言葉に心臓が冷たく跳ねて、思い出すのは真っ白な部屋で泣きながら食べる星の存在。

 

「っ……」

 口からは声にならない音が、こぼれて。


 ……あの夢はただの幻じゃなくて……やはり俺の能力は確実に命を削っている。

 そんな現実を突きつけられて、「かもしれない」は「そうだ」という確証に姿を変えた。


 この力の代償を知っているからこそ、逃げられない結末もわかっているつもりだ。

 

 だから俺のことなんて忘れて、みんなには幸せに生きてほしい……いや、本当は忘れられたくなんかない。

 でもそれは望んではいけないことなのだと、必死に自分へと言い聞かせている。

 

 俺は縁に救われたあの日から、たくさんの幸せをもらった。

 隣に並んで笑い合うこと、一緒にご飯を食べること、人は温かいのだということ。

 それらは俺には手に入らないものだと思っていた。

 

 あの日々に触れるたび、心は温かくなる。


 けれど、幸せには必ず期限がある。そして俺の場合、それは力の代償と背中合わせに存在している。

 

 俺は誰かと分け合う温もりの尊さを知ってしまったからこそ、この幸せを大切にしたい。

 

 だから俺はそれを守るため、この能力を使い続けなければならない。

 

 終わりを恐れて諦めるのではなく、残された時間が短いとしても、俺はその幸せを抱きしめていたい――。


 だから今は言えない。口にしてしまえばみんなの笑顔を、俺が奪ってしまう。

 今だけは、何も知らないまま笑っていてほしい。


 卑怯だということは、分かっている。


 ――それでも、俺は大切な人たちをこの手で守りたいんだ。

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