4 侵入

「そら、ちゃんと落としたぜ」

 失神し、ぐったりとした門番を地面に横たえながら、ロバールが言った。

 ヴァンがシプレ修道院に入った、少し後のことである。捕縛されたはずの男が現れたことに驚いた門番は、はじめこそ強い警戒を示したが、どうやら旧知の密猟仲間であるらしい。「命からがら逃げてきたんだ、俺を助けてくれ」との頼みを断り切れず、ロバールを通そうと門に手をかけたところで、後ろから頸を締められたのである。

 〈シアン〉とユーゴが急いで男の衣服を剥ぎ取ると、〈犬〉がその衣服をまとい、門番になりすます。それから男を縄で拘束し、修道院の向かいにある茂みへと放り込むと、音を立てぬように門を押し開いた。

「この場は私が確保します。万が一の時は加勢に向かいますが……どうぞお気を付けて」

 そう言って、ユーゴとロバールを通したあと、残った〈犬〉は扉を閉めた。

 墨を塗り込めたように真っ暗であった外との差に、ユーゴは顔を顰めた。聖堂の頂にある聖火灯が、敷地内に碧く静謐な光を落としており、目を凝らせば周囲のものを見分けられるくらいの明度がある。

「こっちだ、付いてこい」

 ロバールが素早く先導し、人気のない場所を忍んで進む。その背を追いながら、ユーゴは懸命に平静さを保とうと、努めて深く呼吸を繰り返した。いま見ているもの、吸っている空気、そのどれもがおぞましい。追う背はイネスを攫おうとした密猟者で、足元を照らすほのかな碧光は、精霊の死骸から作られた道具が発している。食人さえ崇高なものだと宣うペルマナント人たちが、この修道院内に溢れているのだ――

(……吐きそうだ)

 喉の奥にえたものがこみ上げる。それと同時に、目の前のロバールの背に短剣を突き立てたい衝動をも抑えていた。


 ロバールを使おうと言ったのは、マルセルであった。

「気が進まねえのはわかるが、とにかく俺たちには時間がない」

 納碧院から横領された個体は生死の瀬戸際にあり、捕まったばかりのエイムも、いつまで無傷でいられるかはわからない。できる限り早く救出せねばならず、ヴァンはすぐにでもテランスの喚び出しに応じなくてはならなかった。

 ジスランは考え込むように髭をざりと撫でてから、マルセルに問う。

「修道院地上部についての調べは、間に合わないか」

「間に合わない。地下部を優先すべきと判断した。〈犬〉四人とも動きっぱなしで、この昼間に休息を入れてやらないと、さすがに夜の作戦に支障が出る」

「信用できるのか? もともと敵側の人間だろう」

 ユーゴの問いに、マルセルは首を振った。

「もちろんできない。だがな、教国の建築物に不慣れなおまえさんが、迷わず、騒ぎを一切起こさず、秘密通路の絡繰りを動かして地下に侵入できるか? 内部の人間はもれなく〈翼生会〉の会員だそうだ。……おまえさんを、シャンタルのようにはしたくない」

 ロバール曰く、単独で乗り込んだシャンタルは、修道院の正門から逃げようとして修道士らに囲まれ、致命傷を負ったのだという。

 それゆえエイム救出後の退路は、樹海側に繋がる枯れ井戸の扉を想定していた。修道院へ侵入したユーゴがエイムと横領された個体を助け出し、そのまま樹海側へと脱出する。そして樹海側で待機していたジスランが、開いた枯れ井戸の扉から通路内に侵入し、テランスに囚われたヴァンを救出する。そのあいだ、退路である扉の死守を担うのがマルセルだ。

 ユーゴが修道院内で捕まることなく、内部から枯れ井戸の扉を速やかに開くこと。それができなければ、計画そのものが成り立たない。

「密猟者に案内させるにしても、素直に従うのか? 修道院侵入後、すぐにでも裏切るかもしれないじゃないか。そうなれば敵に囲まれて、地下に入るどころじゃなくなる」

「いや、おそらくそれはない」

 ユーゴの疑念を否定したのはジスランだ。

「ロバールの弱みは、密猟を知るヴァンを始末し損ねたことと、〈翼生会〉の方針に反しているテランスにくみしたことだ。院内で軽々に騒ぎ立て、おまえからヴァンの情報が洩れれば、自身も処罰の対象となる。あらかじめよく言い含めておこう」

「もし敵と戦闘になることがあれば、ロバールをうまく使え。敵の油断を一瞬でも作り出せるなら、利用価値は十分ある。最後まで従順でいるならそれでよし。だが人けがない地下に入ってから、寝返ることがあったなら……ユーゴ、忘れるなよ」

「おまえがロバールに勝てなければ、エイムとヴァンは喰われる」

 放たれた言葉の重みに、ごくりと唾を飲む。

 だれかにエイムを助けてもらうのではなく、自らの手で救うと決めた。だが粛清官ふたりに真剣な口調で改めて認識させられると、覚悟していたはずの重責に、胃の腑がきりりと痛みだす。

「わかってる。……どうにかしてみせるさ」

 己の小心に嫌気がする。

 しかしそんな自己嫌悪になど、いまはかかずらってなどいられない。


「よっこいせ、っと」

 ガコン、という絡繰りが組み合う硬い音がしたあと、ロバールは碧の御使いセレストワイエ像の祭壇を引く。ざりざりと石材が床を擦る音が狭い礼拝堂に反響し、ユーゴは肝を冷やした。だれかに聞かれやしないかと、何度も入り口を振り返ってしまう。

「びびりだなぁ、兄ちゃん」

 にやにやしながらロバールにそう言われ、苛立ちながら短剣を抜いた。

「黙れ」

「心配すんなって。終課の鐘のあとに起きてる修道士らは、院内の聖堂で祈祷してる。墓地にも地下にも、来ねえって言ったろう」

「無駄口はいい。さっさと進め」

「わかってるって。ちゃーんと働くから、安心しろい」

 ロバールが床に置いていたランタンを拾い上げると、灯がふたりの影を妖しく揺らす。「さあ、降りるぜ」と階段を先導する彼の影は、魔物の手招きのようであった。

 実際のところ、ジスランの読み通り、ロバールは従順であった。ジスランが提示した、という見返りが効いているのだろう。正門をくぐってからこの墓地併設の礼拝堂に至るまで、ロバールは怪しい動きなど見せず、危なげもなく人けのない道を選んでユーゴを導いた。

(問題は、ここからか)

 ロバールの背を追い、地下へと潜る長いつづら折りの階段を下りる。しばらくは無言であったのだが、なかばまで下ったところで、ふとロバールが足を止めて声をかけてきた。

「なあ、兄ちゃんは何者だ? あんたも粛清官か?」

「ふざけるな。違う」

 密猟者であるロバールに、出自は明かしていない。いまは確かにペルマナント人の見た目をしているが、同胞殺しと勘違いされたのが癪に障り、思わず語気を荒らげて否定した。それでもロバールはこりもせず、にやつきながら話し続ける。

「じゃあジスラン・グラース個人の配下か? マルセル・ガルディアみたいな、忠実なわんちゃんかい」

「違う。黙って進めと言っただろう」

「へえ、違うのかい。ふーん……」

「蹴り落とすぞ」

「おお、怖い」

 ようやく黙ったロバールが、ランタンを掲げ直し、また階段を下り始める。最下層まで達すると、石造りの地下通路に辿り着いた。

 ヴァンが言っていた通り、通路はきれいに整備され、天井に蜘蛛の巣も張っていなければ、足元に鼠の糞も落ちてはいない。等間隔に置かれた瀟洒な銀の燭台がランタンの火を照り返し、通路に満ちる闇をてらてらと揺らしている。

 階段横にある夜鷹の浮彫が施された扉ではなく、ロバールは通路の奥に向かって歩みを進めた。分岐路に差しかかると、ランタンを掲げ、それぞれの道に置かれた彫像を確認する。「こっちだ」と言ってロバールが選んだ道は、有翼の胸像トルソが飾られた道だ。

 かつん、かつんと、ふたりぶんの足音が、迷路じみた通路に反響する。取っ手の金具がわずかに軋む音でさえ、気を張り詰めたユーゴには、大きな音に感じられた。

 だからであろう。足音に紛れて響いた異音に先に気が付いたのは、後ろを歩いていたユーゴであった。

「止まれ!」

 ヒュ、と風を切る音と、間合いに踏み込む足音が、光の届かぬ闇から聞こえた。ロバールの肩を強く引く。尻をついて倒れたロバールの頭上を、きらりと光る白刃が一閃した。「あ、あぶ、危ねぇ」と狼狽えながら、ロバールが後ずさってランタンを掲げる。照らし出されたのは、剣を振りかざしたひとりの修道士だった。

「ロバール?」

「ドニ! なんだよ、危ねぇじゃねえか!」

 どうやら顔見知りであったようで、驚いた修道士が振りかざしていた剣を降ろした。しかし、それを鞘に収めはしない。

「後ろの男はだれだ」

「こいつは、あー、あれだ。最近新しく雇った密猟者だよ」

 訝しげな誰何すいかに、ロバールが咄嗟に嘘をついた。修道士が品定めするかのように、じろじろとユーゴを見る。ロバールへの牽制に抜いていた短剣を背に隠し、ユーゴは「どうも」と不愛想に言いながら嘘に乗じた。マルセルから渡されていた夜鷹のメダイユを取り出して、よく見えるように掲げてみせる。

「……これで問題ないだろう」

 道中敵に遭遇して誰何されたとき、駄目もとでもいいから出してみろと、マルセルに渡されていたのだ。このメダイユは、人の出入りを厳しく管理しているシプレ修道院に入るための、〈翼生会〉関係者用の通行証であるらしい。隙のある相手なら、侵入を欺くことができるのだが――

 突如眼前に閃いた刃を飛び退いて避けながら、そううまくはいかないか、と舌打ちを漏らした。メダイユを確認するふりをして近づいてきた修道士が、不意に剣を薙いできたのである。

「白々しい。おまえらが来ることは想定済みだ、侵入者め!」

 祈りを生業とする修道士とは思えぬ猛攻であった。二度、三度と振るわれる凶刃を避けながら、相手の動きをつぶさに見る。呼吸。踏み込み。腕の振り。ここだ、と動きの隙を見定めた刹那、相手との間合いを一気に詰めた。

 短剣が喉を裂く、鈍い手ごたえがする。素早く身体を離したが、血飛沫の生温かさを頬に受けた。

 滾々と湧き出る血だまりの中心で、修道士がくずおれる。血走る眼でユーゴを睨みながら、声にならない呪詛を吐き、そのまま絶命したのだった。

「お、おお……びびりのくせに強えな、兄ちゃん」

「一言余計だ」

「いやいや、褒めてるんだぜ。ほんとうに」

 通路の壁に貼り付くようにして様子を伺っていたロバールが、ランタンを壁際に残したまま、恐る恐る動かぬ修道士へと近づいた。

「ドニは、べつに弱くねえ。護法僧っつってな、万が一内部で騒ぎが起きたときのために、〈翼生会〉を守る役割を担う修道士だった。それを一撃でとは……恐れいる」

「俺たちが来ることを想定済みと言っていた。この先にも、こいつみたいな敵がいるのか」

「心配すんな、たいしていやしない。なんなら、告発を恐れて地下の人員は最小限にしてるはずだ。ドニは俺と似てずるいところがあるやつだからな、おおかた金かエルアの肉で買収されたんだろ。幹部でもねえのに先に喰わしてやる、とかな」

 暗がりの中、かつて仲間だった男の死体をつつきながら、ロバールは「馬鹿なやつだ」とくつくつ嗤っている。返事をする気にもなれず、侮蔑を込めた溜息だけを吐くと、ユーゴは返り血に汚れた顔を拭った。それから壁際に置かれていたランタンを拾い上げ、薄情な男の背を照らす。

「進むぞ。そうなりたくなければ、妙な気は起こさないことだ」

 血濡れた刃で転がる修道士を指し示せば、ロバールの頬がひくりと引き攣る。

「へいへい……仰せのままにいたしやすよ」

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