貴女の抱いた花の名は

shion

負の蕾 ~トゥーバッド~

序章「魔女のアトリエ」

第1話

 深くて暗い闇の中、どれだけもがいても先には進めず。

 二酸化炭素を吐き出し空っぽになった肺、されどどれだけ吸っても新鮮な空気は少しも流れ込んでは来なかった。

 冷たい海の底へ引きずり込まれていく、手足の先から熱の引いていく感触をそのままに死を覚悟する。


 ──彼女の意識は、いつもそんな最悪の夢の中より引きずり出されるのだ。


「────……サイアク」

 ベッドより布団を押しのけ透き通った肌をした両脚を晒す。

 熱っぽいため息とともにネグリジェを脱ぎ捨て、少女は日差しを浴びて眩く輝く紺青の長髪をなびかせた。

 その紅の双眸には嫌気が差したような冷たさが宿っている。

『またうなされていたな』

「おはよう。……最近いつもそうだわ」

『共鳴現象かもしれないな』

「共鳴……? 誰と共鳴するって言うのよ。自殺願望のあるバカが近くに引っ越してきたとでも?」

『さあな、だが君はそう言った影響を受けやすい。気をつけておくべきだ』

「迷惑な話だわ」

 世界には既存の数式では証明できないものがある。

 テレビで取り上げられる謎の事件、身の回りで不意に起こる原因不明の事故。

 化学で説明できない心霊現象然り、etc……。

 彼女もまた化学や数式では証明できない存在の一人である。


 万物の法則をねじ曲げ、結び付きを解き。

 触れるものすべてを崩してしまう。

 そんな彼女のかすかな足音が響き渡る静かな廊下の中で、何もないはずの空間は肩をすくめて苦笑した。

 なにもない空間との受け答えを終えた少女がバスルームへと姿を消してしばらく、水滴を滴らせて再び姿を現す頃。

閲覧アクセス召喚サモン──

 水も滴るいい少女がそう唱えると、なにもないはずの空間に突如として展示品のように綺麗に畳まれた衣服のセットが現れた。


 今日の服などとSNSでまま見かけそうなワードとともに呼び出された装いは、胸元にグレーのリボンのあしらわれた厚手のシャツを基調としている。

 丈の短いプリーツスカート、黒のニーソックスと。

 白と黒を折り合わせた色合いは、大人びた少女の雰囲気を過不足なく引き立てていた。

 少女はその衣服に手を通しつつ、

「今日の予定は?」

『一五時から先見との会談だ。三日前、王権より受けた調査の依頼も今週中に報告書をまとめておかなければならない。前もって先見に尋ねてみるといいだろう』

「そう言えばそんな依頼もあったわね……はあ、羽振りがいいからまだ許せるけど、彼女の依頼はいつも時間がかかるのよ」

『重要な収入源の一つには相違あるまいよ。最近物騒な事件も増えている。我々も情報を集めておいて損はない』

「……この業界にいて物騒じゃない瞬間なんてあるのかしら。まあいいわ」

 紺青の長い髪を一つに束ね、下の階へと歩みを進める少女。

 階を跨ぐとそこは別世界、小綺麗な装飾が視界に麗しい刺激を与えてくれる。


 外の世界をマス目に切り取り立ち並ぶ小窓、差し込む光に当てられ生きているかのように躍動する絵画たち。

 古き年代を木目に投影したアンティークの椅子やテーブルが立ち並ぶそこは、駅前にあるようなカフェとはまた違った独特な雰囲気を醸し出していた。

「さて、今日も始めましょうか」


 ここは紺青の髪をなびかせる少女、塔條とうじょう イリアの営む小さなアトリエ。

 彼女の類まれなる美的センスにより、小さなインテリア一つに至るまでが徹底的に選び抜かれた彼女の城。


 今日もまた一人、悩みを抱えた子羊がそんなアトリエの扉を叩く。 

「あの、すみません……人を探してるんですけど」

「ようこそ、魔女のアトリエへ。まずはこちらへどうぞ」

 本日アトリエ〈いりあ〉を訪れたのは、イリアよりも少しばかり小柄な少女。

 学生服からして高校生だ。

 ガラス玉を思わせる切なげな瞳は不安に揺らぎ、落ち着いた印象を抱かせる黒い前髪に遮られているものの。

 その整った顔立ちは隠しきれない。


 名を名取なとり 七種ななくさ、気弱を絵に書いたようなその面持ち、しかしただ気弱なだけではない怯えの色をイリアは確かに感じとっていた。


 藍色と金色の折り重なる装飾のあしらわれたティーカップから香り立つハーブティーが鼻腔をくすぐる。

 これもまたイリアのこだわりにより選び抜かれた、普通に生きていればなかなかお目にかかれないであろう高価な茶葉が使われていた。

「ここのことはどこで知ったのかしら? インターネットにも載せていないし」

「学校の友達から聞きました。どんな悩みでも解決してくれるお店があるって」

「そう、じゃあ他のお客さんから紹介されたと言うことね。それで、どんなご要件かしら? さっき人を探していると言っていたけど」

「は、はい……その、変に思われるかもしれないんですが、夢の中の人を探して欲しいんです」

「夢の中の人?」

 ハーブティーの湯気の向こう側、陰る表情。

 躊躇いがちながらも、七種はおずおずとアトリエを訪ねた要件を話し始めた。


 曰く、七種はおよそ一週間ほど前から不思議な夢を見始めたと言う。

 ノイズのかかった風景の中で、全身が粘り気のあるなにかに囚われまともに身動きも取れない状態。

 暗く深い汚泥の中で必死にもがくような苦しさに耐えきれず顔を上げれば、そこにはいつも一人の女性が佇んでいる。

 顔は見えない。

 あるのはそれが女性であると辛うじて認識できるだけの人影のみ。


 顔の見えない女性から言葉にならない言葉を語りかけられ、聞き取れないながらも耳を澄ます。

 するといつも、とある一言だけを聞き取りそこで目を覚ますと言う。

 その一言が、

「私を思い出して、と……」

「ここまで聞く限り、ただの悪夢のようにしか聞こえないけれど。わざわざこんな場所にまで訪ねてくると言うことはそれなりに思い詰めているのよね」

「はい、私が悩んでるのは夢の話じゃないんです。この夢を見るようになってから、身の回りで変なことが起きるようになって……」

「変なこと? 例えばどんなことかしら?」

「学校の帰り道を歩いていると、いきなりカラスの死骸が落ちてきたり、電線が切れて降ってきたり……もう、怖くて耐えられないんです……っ」

「ただの不運、で片付けるにしては少しきな臭いわね」

『────……イリア、この少女少し臭うぞ』

(貴方もそう思う? 多分だけど、私の勘が外れていなければ……)

 肩を抱え今にも泣き出してしまいそうな七種の表情には、冷やかしのための嘘などは欠片も見えない。

 目の下に深々と刻まれた不眠の跡が真実だと語りかけている。

「ふむ……いいわ、その悩み解決してあげましょう」

「ほ、本当ですか!? あ、あの……変に思わないんですか?」

「確かに変な依頼だけど、珍しい依頼ではないわ。だってここは一般的な機関では取り合って貰えない内容を専門に扱う場所だもの」

「あの、友達からはどんな悩みでも解決してくれるお店があるとしか聞いてないんですけど、ここっていったい……」

「そうね、依頼を受けると言ったわけだし。私の素性も明かしておきましょうか……私は塔條 イリア、このアトリエを営んでいるしがない魔女よ」

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