第8話 橘と遊ぶ その③

「しかし、あんたの部屋汚いね」

 橘は怪訝な顔で部屋の中を見る。

 ゴミはゴミ袋にまとめてあるし、衣服は散乱しているが、汚れている訳でもない。

「綺麗だろ……」

「何言っているのさ」

 呆れたと言った顔を見せる橘。

「足の踏み場もないじゃない」

「いや、その段ボールの上を行けばいいだろ」

 俺こそ、呆れたといった様子で嘆息を漏らす。

「いやいや、どこの世界に段ボールを敷いている部屋があるのよ。あんた、バカァ?」

「……ない、のか?」

「え。なんで驚いているのさ?」

「いやだって油汚れや水はねから守ってくれるぞ?」

 橘は引きつった笑みを浮かべている。

 そんな顔をされるいわれはない。

 俺は俺の知識に基づき最高の部屋を演出しているのだ。

「それに何、あのエロいの」

「は? ラノベはエロじゃないだろ?」

 ラノベの表紙を見ただけでエロと認定している橘に怒りの念を抱く。

「いや知らないけど……」

 苦い顔をしている。

 なんでそんな顔になるのか、俺にはさっぱり分からん。

「あーもう。片付けるわよ」

「は? いや、は?」

 俺は事態を飲み込めずに混乱する。

「いいから。掃除道具だして」

「ええっと」

「掃除道具くらいあるでしょう!?」

「いや、どこにあるかが分からん。一人暮らしの時に買った記憶はあるんだが……」

「めちゃくちゃね!?」

 橘がまるで異世界に取り残された少年のごとく、ショックを受けたような顔をしている。

 いや、そんなに驚くことか?

 俺は普通に暮らせていた訳だし。

「ゴミ袋は?」

「そっちにある」

「そっちってどっち?」

 俺が指さしているビニール袋をまとめたエリアを怪訝な顔で見やる橘。

「あのゴミの山にゴミ袋があるの!?」

「ゴミの山じゃないだろ。節穴か?」

「あんた。ゴミとそうじゃないものの区別がつくわけ? このゴミ」

 苛立った様子で腕を組む橘。

「いや、ええ……」

 最後の一言は余計だろ。

「しゃべらなきゃ美人なのにな」

 俺も腕組みをし、橘を客観的に評価する。

「そう。ありがと」

 最初からその表情をしていれば気になったかもしれないのにな。

 まあ、これはセクハラか。

 難しい世の中になったもんだぜ。

「で。ゴミ袋は?」

「あ。はい」

 一瞬で冷静になった俺は自らゴミ袋を探しに行く。

 ゴミの山からゴミ袋を探すという苦行をこなしていく。

「あれ? どこいった?」

「ちゃんと片付けておかないからよ」

 そう言いながら廊下にある衣服をつまみ、洗濯機に放り込んでいる橘。

 どうも雑な扱いをしているが、大丈夫か。

 まあ、あいつの方が掃除に強いみたいだし。無理に介入する方が危険だろ。

 暴行されるのも怖いし……。

 あいつ凶暴だからな。

 暴力系アイドルだものな。

 うんうん。

「なんか失礼なこと考えていない?」

 ちっ。勘の良い奴だ。

「あー。今晩の夕食を考えていた」

「どうせ、できあいのものでしょう?」

「バカにするな。俺だってレンジとケトルくらいは使える」

「はー。なんで自信満々に言えるのよ……」

 こめかみでも痛いのか、指で押さえている。

 なんだよ。俺だって冷凍食品やカップ麺くらい作れるぞ。

「なんでこんな奴のこと好きになったんだろ……」

 声が小さすぎた上に、探していることに集中していたため聞こえない。

「なんか言ったか?」

「あー。あんたがバカで助かったって話」

「どういう意味だよ。あった」

 俺はちょうどゴミ袋を見つける。

 家庭ゴミ用と、プラスチックゴミ用だ。

 ちゃんと袋のまま見つけたぞ。

 誇らしげに橘に見せつける。

「……あんた大丈夫? 脳腐っていない?」

 本当、なんでこいつ余計なことを言うんだ。

「お前、口を閉ざすことってできないの?」

「何を言っているのかな。これでも言葉を選んでいるのよ?」

「それが標準ならもうしゃべるの止めた方がいいぜ?」

「あんたが標準以下ってことよ」

 おいおい。そっちが下がるのかよ。

「じゃあ、俺だけに辺りが強いのかよ」

「ええ。そうね」

 うんうんと満足げにうなずく橘。

「いや、ええっと。ははは……」

 俺は酷く乾いた笑みがもれる。

 ああ。なんで俺の周りはこんな奴ばっかなんだよ。

 最近、厄日多くない?

「さ。片付けるわよ」

「はい」

 威圧的に眼光を刺してくる。

 返答は必然的に肯定ぎみになる。

 イエスマンだ。

 だって俺が否定できる余地ないし。

 暴力的な意味でも、家事的な意味でも。

「これとこれ、いるの?」

 俺の視線の先にはレシートがある。

「ああ。捨てていいよ」

「ならお店で捨てなさい。どうせ家計簿なんてつけていないのでしょう?」

「よく分かったな」

 橘に言い当てられて怪訝な顔になる俺。

「分かるわよ。この部屋を見ていれば」

「ははは。言い返せねー」

 なるほど。俺ががさつだから、分かったのか。

 俺は否定できずに顔を伏せる。

「まったく、あたしがいないとなんにもできないんだから」

 あ。なんだか幼馴染みのサツキみたい。

「どうしたのよ? 懐かしむような顔をして」

 橘が俺の過去を読み取ったかのように言い当てる。

「ははは。何言っているんだか」

「あんたは顔に出るタイプだから気をつけなさい」

 橘はそう指摘すると、ゴミを捨て始める。

 衣服も捨て始める。

「ええと。それお気に入りなんだけど?」

「そう。捨てるよ」

「……」

「何よ。あんた、このかび臭いのを着るつもり?」

「え。か、カビ?」

「ええ。だってこれカビ生えているよ?」

 あー……あの黒いのカビ、なんだ……。

 俺はカビを着ていたのか?

 なんだか考えただけで気持ち悪くなってきた。

 俺、生活能力ないのかな。

「まあ、こっちも捨てていいよね?」

「あ。ちょっと……!」

「捨てるわよ?」

 問答無用とはこのことか。

 俺のお気に入りのジーンズがゴミ袋に投入される。

 明日から俺は何を着ればいいんだ。

「はい。こっちは終わり」

 よく見ると廊下の方に落ちているものがなくなっている。

「す、すげー!」

「まあ、あたしの家族、姉弟が多いからね。なれているのよ」

「プロのおかんなのか……」

「その言い方やめて」

「なんで?」

 そんなことも分からないの、と言いたげな顔でため息を吐く橘。

「あんたと同い年でしょ……」

「は? なんでそんなこと分かるんだよ?」

「だって、あんた学校じゃ有名人だよ?」

 有名なのか? なんかテンションが上がるな。

 良かった。俺嬉しい。

「いや、悪い意味で、だからね?」

「はっ? それってどういう意味だよ」

「あんたボッチで目立っているんだって」

 ボッチで目立つのか?

 困惑を隠しきれない俺。

「つーか。誰かと一緒にいるのが普通の人間でしょ」

「え。ボッチに人権はないのか?」

「ないね」

 ハッキリと告げる橘。

 まるで断頭台の上で血祭りに上げる断罪人のようだ。

 いや俺、人権ないのかよ。

「あんた、顔はいいんだから、髪切りなさいな」

 俺のおでこにかかる前髪を上に上げて、じっと見つめてくる橘。

 顔が、近い……。

 なんか柑橘系の匂いがする。

 クラクラしてきた。

 でも俺はこいつとは……。

「あ、あんた何顔を赤くしているのよ?」

「あ、いや、ええっと。慣れなくて……」

「あははは。ボッチだものね! 彼女とかいたことないんだ!!」

 嬉しそうに罵倒してくる。

「なんだよ。うっせーな。お前だって彼氏いたことないだろ!」

「え。それ聞いちゃう?」

「いた、のか……?」

 こんな暴力女に?

「まあ、いないけど?」

 自信満々そうに言っておいてこれかい。

「だから、初めてなの……」

「初めて? 何が?」

「あー。くそ。バカやろう」

 なんで罵倒されたの!?

 あとゴミ袋投げるの禁止!!

「ああ。せっかく綺麗になったのに!!」

「あんたがバカなこと言うからよ。バーカ、バーカ!!」

 ガキのように文句を言い散らかすと、帰っていく。

 なんだったんだ。

 しばらく呆然とする俺だった。

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