日菜子さんに水をあげたい

coffeemikan

第1章

第1話 三春さん(1)

「ぜっっったいに言わないでよ」

「……」

「ちょっと。聞いてるの?」


ホテルのロビーラウンジで何故、俺は会社の同僚せんぱいに詰められているのか。


冬城ふゆきくん?」

「あ、はい。もちろん」

「もう…」


こういうのが、たぶん生返事って言うのだと思う。


「はい、わかってますよ」

「ならいいけど」


俺の目の前に座る三春みはるさんはアイスコーヒーのグラスを持ったまま、値踏みするようにこちらを見ている。とにかく居た堪れない。誰でもいいからこの空気の中入ってくる人はいないものか…。とりあえずここはウエイターさんを呼ぶことにする。


「…とりあえず…何か食べます?」

「…頂くわ」


空気が辛い。ウエイターさんを呼んでから、小さく深呼吸をする。


何でこんなことになったんだか。


事の発端は1時間ほど前に遡る。


◆◆◆◆


4月の土曜日。桜は散り、萌黄色の木々が目立ち始めた休日に、俺は都内の博物館のへ向かった。目的は都内の博物館で開催される特別展。お目当ての秘蔵の土偶を見ることができた俺は、その足で2つ目の目的地である某有名ホテルのロビーラウンジへ。お茶の時間には少し早く、ランチタイムでもない。狙い通りに空いていたため、待ち時間もそこそこに壁際の席に通され、ソファ席におさまった。


ウエイターさんがやってくると、メニューを見るふりをしながら、アフタヌーンティーを注文。コーヒー派だけど、ここはやはりアールグレイ。


念願叶ったり!来てみたかったアフタヌーンティー。ホテルのロビーラウンジはちょっと腰が引けたけど来てしまえば大したことはない。


頬が緩むのを抑えてアフタヌーンティーセットの到着を待ちながら、周囲をぐるっと見渡す。広くて高い天井。陽光が差し込む大きな窓。何やらごちゃごちゃした装飾のついた…シャンデリア?


お客さんはカフェやファミレスの客層とは異なり、年齢層は高めだが、色々な人がいておもしろい。


商談なのか書類やタブレットを広げる人…丸見えだけど、セキュリティは大丈夫なのか?


ソファ席で会話を楽しむ奥様グループ…これがセレブ?


高級なケーキを頬張る子どもとそのご両親……羨ましい。ご両親に感謝しなさい。


そして点在する……お見合いと思わしき方々は多数。うん、これはノーコメント。


「お待たせしました」


周囲に気を取られていると、いつの間にかウェイターさんがお目当てのものを携えて参上していた。


「アフタヌーンティーセットです」

「ありがとうございます」


何も言わなくても、紅茶を注いでくれる。しかもお代わり自由。ポットはでかい。学生時代から数時間は居座れる量かも。


誰に見せるわけでもないから、写真は撮ることなくウエイターさんが去った後、さっそく一番下のサンドイッチに手を伸ばす。


「…うま」


何だかわからんが、パンから挟まっている肉も野菜も何もかもが柔らかい。いつも食べている食パンとは別の食べ物に思える。そもそもこんな小さなサンドに具材の種類が3…4…⁈いや、パンを捲るのはやめておこう…。


「うま」


キッシュなんていつぶりだろ。しばらく無言で、3段あるうちの1番下の段を空にする。お腹が落ち着いて顔を上げたとき、近くのお見合い客であろうカップルが目に入った。


あれ。


女性のほうはどこかで見たことある気がする。誰だっけ。記憶の中を探る。最近見たような。近所でもないし。


毛先にウェーブがかかったセンター分けのショートヘアの気の強そうな美人。どこか気だるそうな目つき。落ち着いた薄いブルーのワンピースが、クールな印象によく似合っている。


知り合いかな?


失礼だとわかっていても気になる。誤魔化すように、紅茶を啜りながらじっとその女性を見る。と、目があいそうになり、相手の男性に目を向けた。やっぱりじっと見るのもよくない。男性の方は高そうなスーツからきちんとアイロンのかかったワイシャツの襟が見えた。見るからにお金がありそうだ。


それにしてもそこまで普段から女性と話したことがないのか、相手が美人だからか終始落ち着きがない。時折、アイスコーヒーのストローに口をつけるが一向に量が減っていないのを見ると、やはり緊張しているのか。


何を言っても女性のほうの反応が薄いので、そのせいも多分にありそう。男性に同情する。あれはキツい。


しかし。お見合いねえ。そこまでして、今の生活どくしんを手放したい訳じゃない。まあ、結婚したくないといえば嘘だし、帰ったら話し相手や絶対的な味方がいるのはいいなと思う瞬間はある。………あれ、俺もしかして願望あるのか…?


そんなことをぼんやり考えていると、女性と目があった。


「!!!」

「??」


気のせいか?女性の目が見開いた後、さっと目を逸したような…。


まあいいか。ここまで考えてもわかんないし。


俺は思い出すのを諦めて、スコーンに手を伸ばした。クロテッドクリームなんぞそう食べる機会はない。味わって食べよう。


「…うま」


◆◆◆◆


しばらくして、カップルが立ち上がるのが見えた。お開きのようだ。何となく目で追った。


あ。


席から遠ざかるその後ろ姿が会社の同僚に重なって見えた。


あ!


三春みはるさんに似てるんだ。三春日菜子みはるひなこさん。同僚かつ先輩だ。三春さんはいつもメガネをしているし、服装もビジネスカジュアルなパンツスタイルだからピンとこなかった。


うん。思い出せば出すほど三春さんにそっくりだ。でも…本当に三春さんか?


ホテルでお見合いとかそういうものは結婚相談所やその類に登録している人が顔合わせで行く。そんなイメージがある。今日も見たそれらしき人は初対面っぽさがあった。


三春さんが強めの結婚願望があって、しかも婚活をしている…そんなイメージは全くなかった。許嫁がいるとか言われた方が納得するし、俺は何となくだが、年上の彼氏がいるのではとこっそり思っていたりする。


もっとも、三春さんのプライベートは謎に包まれてはいるけど。


そこからかけ離れたお見合いの姿は、よく似た別人かもしれない。…と思うものの、知り合いに似ているとわかると途端に妙な気持ちになってくる。何か見てはいけないものを見た気分…。


うん。今日は見なかったことにしておこう。忘れよ。会社で三春さん見ても思い出しちゃうし。


そう思ってカップを持ち上げたとき。


さっき帰ったはずの美人がカツカツとまっすぐに近寄ってきて、目の前にどさっと座った。


「………」


見るからに機嫌が悪そうだ。予想が当たっていた…らしい。


◆◆◆◆

あとがき


新作です。読んでくださった方ありがとうございます!

よろしくお願いします。12時更新予定です。

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