第2話 怪獣

 街に現われた怪獣は映画やアニメで御馴染みの怪獣等が混ざったような既視感のある造形で、ゴツゴツとした背中に鋭い牙、腕は短く、尻尾を引きずっている。


「う、嘘だろ。冗談だ。夢でも見てるんだ。」

「嘘じゃないわ。現実よ。稲葉くん。」


 椅子を引きずりながら後ろに下がる僕に一歩ずつ近づいてくる。爆風で彼女のスカートが波を描くように広がる。

 僕は恐怖した。だって、仕方がないだろ?本当に怪獣が現れるなんて夢にも思っていないのだから。ましてや、四階にいる僕らと同等の背丈を持っている巨大生物が目の前にいるんだ。そんなものがいれば怖気づくのも無理ない。


「夢だ。絶対夢だ。ありえない。」


 夢じゃないならこれをなんと説明できようか。夢以外の何物でもないだろう。そうじゃなければ、僕の脳処理の範疇を超える。

 有栖川さんは僕の反応を面白がるように


「そこまで言うなら頬をつねりましょうか?」


 と手を伸ばしてきた。


「お、お願いします。」


 痛みなんて感じないはずだ。自分で引っ張るよりも他人の方が思いっきり引っ張ってくれるだろう。

 遠慮なく、彼女の透き通るような白い肌が僕の頬を掴む。

 そして、


「いっ、たっ!」


 じんじんと頬に痛みが広がる。有栖川さんはひねったり、つねったり、僕の頬を伸ばしたりと、やりたい放題だ。


「痛い。痛い!ちょっ、有栖川さん!」

「信じてくれるわよね?夢じゃないって。私の妄想が現実になるって。」


 真顔で僕の頬を揉みくちゃにする。片手に飽きたらず、両手を使い、脅迫めいたことを言う。流石にここまで現実だと分からされるほどつねられたのなら、頬だって赤くなるし、多少涙目になるのはしょうがないことだ。


「信じる!流石に信じるよ‼」


 有栖川さんは満足気に僕の頬を挟む。まるで子供をあやすような優しい手つきで。でも、信じるって言ったのに一向に手を離してくれない。なんなんだ。


「あの、有栖川さん……?」

「ふふふ、分かればいいのよ。分かれば。」


 満足したのか、飽きたのか、僕の顔をじっと見た後、パッと手を離した。


 怪獣が咆哮をあげる。その悲鳴は凄まじく、僕の肌に突き刺さるほどの振動だ。間近でその声を聞いたのならきっと鼓膜が破れるだろう。

 これが現実なら有栖川さんの力が本当ならこれは世界の崩壊だ。破滅に繋がるおぞましい力だ。

 恐怖のあまりに失笑が漏れ出す。現実逃避というべきか。


「この力があれば、世界征服出来るじゃないか。」

「あらあら、あらら。稲葉くん、面白いこと言うじゃない!」


 有栖川さんはその言葉に目をキラキラと輝かせた。まるで宝石を目に宿したように。


「世界征服いいわね!当分の人生目標にするわ!」

「えっ⁉」

「なにをそんなに驚くのよ?あなたが言ったことじゃない。この力があれば世界征服出来るって。」


 改めて口に出されると馬鹿馬鹿しいな。何が世界征服だ。確かに世界征服が出来そうとは言ったけど、ここまで本気にされると逆に冷静になってしまう。

 僕は頭を搔きながら、一時の感情の高ぶりだったと目をそらす。


「いやー、だって。世界征服なんて子供のころに夢見た幼稚なものじゃん?冷静になればなるほどそれはありえないなって。」


 また、有栖川さんは興奮気味に上げていた口角を棒のように真っすぐに戻し


「そう。つまらないわね。」


 と僕を一瞥した。

 再び、沈黙が流れる。乱れた机と椅子、そして窓の外を見渡す。

 時計の秒針だけは変わらずにカチカチと音をたて、その沈黙を破るように怪獣は咆哮をあげ、さらには暴れだした。

 目の前にある住居を手にとり、まるで赤ん坊が積み上げられた積み木を壊すように乱暴に投げる。真っ二つに割る。破壊活動を繰り返す。街がただ壊されていく瞬間を、怪獣が雄叫びを繰り返しながら街を練り歩くその姿をただ茫然と立ち尽くして見ていた。このままどうなってしまうのだろうか。


 ぼーっと外を眺めていると有栖川さんは窓から身を乗り出して、窓枠に両足を載せているのが目に入った。


「ちょっと!有栖川さん⁉」


 僕は咄嗟に彼女のそばに寄る。


「何してるの?危ないから早く降りないと。」

「止めないでくれるかしら。稲葉くん。」


 彼女は真剣に、されど、どこか楽しそうに僕の目を捉える。


「止めないでって、何する気?ここから、飛び降りないよね?」

「さあ?」


 首を傾げる有栖川さんはきっと飛び降りる気満々なのだ。僕に背中を向けてこちらを一切振り返らない。

 僕は仕方なく有栖川さんの腕を掴む。


「妄想が現実になるとは言え、飛び降りるなんて馬鹿げたことやめた方がいいよ。」

「馬鹿げてる?そう。だったら、もっと馬鹿になった方がいいわね。稲葉くんは。」

「は?」


 有栖川さんは僕を引っ張るようにして、掴んでいた腕に手を絡める。


「今の状況、あなた楽しくないの?怪獣が登場した。稲葉くんはそれを眺めているだけなの?」

「だって、どうする事もできないじゃないか!怪獣だよ?ただの高校生がどうするっていうのさ?」

「怪獣が現れたなら、答えは一つ。戦うのよ!私の力を使ってね。」


 怪獣の牙がこちらを向く。こいつはビームだか、火炎放射が使えるのか、口から得体のしれない光を吐き出す。

 それが僕らに向いた。

 いやいやいや、どうやっても無理だ。

 怪獣は光を集めているようで、一時停止し、こちらに向かって大きく口を開ける。


「有栖川さん、逃げよう!無理だって、あんなの!今から学校出れば多分あのビームから逃れられるかもしれないし。きっとここにいるよりはましだって。」


 僕は半分半べそだ。ここで死ぬんだ。さようなら、僕の短い人生。


「稲葉くん、しっかりしなさい!怪獣なんて所詮私の妄想よ?勝つに決まってるでしょ?」


 メタい、メタメタな発言だ。


「勝つなんて、そんなフラグ立てて言いわけ?」

「怪獣と戦うのよ?だいたい、怪獣と戦った人なんてみんな勝ってるじゃない?勝利フラグは立ってるわよ。」

「甘く見すぎじゃない?」


 有栖川さんは怪獣を指さした。


「あれを見なさい。ほら、私たちの会話を待ってるでしょ?私が作り出したんだから当然よね!」


 確かにギザギザな鋭い歯が丸見えのまま、ギュインと音を立てて未だに光のようなものを集めている。

 待ってるようにも見えなくないけど、妄想って随分と都合がいいな。


「それで、本当に戦うの?」

「ええ、もちろん。……うーん、何がいいかしらね?ロボットを操作して戦うのも魅力的よね?」

「えっ⁉も、もしかして、の、乗れるの?」


 少しだけ、ほんの少しだけ、胸が高鳴った。怪獣とロボット、その2つが組み合わされば無敵だ。男の浪漫だ。怪獣とロボットが戦うところを見てみたいと思ってしまった。ロボットに乗れるなら乗ってみたいと思ってしまった。

 不謹慎だが、非現実的な日常を楽しいと思ってしまうアレだ。カタストロフィー・ファンタジーだっけ?


「ふふ、稲葉くん、案外楽しそうじゃない?ロボットにしましょう。怪獣なんかイチコロよ!」


 崩壊した建物、粉々の住宅。当たり前が崩れていく中で不自然に止まっている怪獣、更に空から砂埃を大量に巻き上げ、振ってきた一体の巨大人工物が姿を現した。怪獣とはまた別な騒々しい地響きが教室を揺らす。

 人型の巨大兵器は跪いた体勢からゆっくりと立ち上がる。

 窓に腰を掛け、得意げにする有栖川さんの隣で首を傾げた。


 僕らの目の前に現れたロボットは細身のシルエット。頭の部分はツインテール。リボンとレースをふんだんに使われたボディに、ピンクで統一された図体。

 確かにロボットだ。あのツルツルとした素材に、曲線と直線が入り交じったフォルム。よく見るあのロボットアニメたちを総合させたような、よくある人型兵器なのだが、装飾がイメージと違う。


「可愛い?」


 ……僕はロボットをゴツくて、強そうな、どんな敵が来ても頼もしく思え、そして、洗練されたフォルムで見るたびにかっこいいと言わざるを得ない、それがロボットだと思っている。手に持つのは剣や盾。ビームが撃てるようなものを搭載しているのもいい。

 でも、彼女と僕の想像は違ったようだ。


「ねぇ、有栖川さん。あのロボットも有栖川さんの妄想なんだよね?」

「ええ、そうよ?可愛いでしょ?」


 可愛いけど、あれで戦うのか。


「うんまあね。いや、僕のイメージと違かったから……。」

「私、常々思っていたのよ。ロボットってあんまり可愛くないなって。」


 正直に言おう。僕は不満だ。あれは言うなれば、ロボットの遊び方を知らない女児がお人形遊びの一環として着せ替えとして遊んだ。そんな感じの装飾だ。

 有栖川さんは僕をチラっと横目で表情を読んだ。微妙な表情が知らず知らずのうちに表に出ていたらしい。


「……不満なの?私が作ったロボットが不満だって言うの?」

「あ、えっとえーと、ぶっちゃけるとあのリボンとか要らないかなって。」

「あれが可愛いんでしょうが⁉もう、稲葉くんはあの可愛さがわからないわけ?」

「うん、はい、可愛いです。」


 僕が何を言っても納得するどころか言い返され、そんな彼女に面倒くささを感じた。彼女が可愛いって言うならそれでいいのだ。どうせ、彼女の妄想だ。


「まあいいわ。あの子、見た目だけじゃないんだから!」


 有栖川さんは窓の縁に足をかけ、立ち上がる。僕は見上げる形で彼女を見る。

「見た目だけじゃない」その言葉と連呼するように、怪獣は僕らに向かって眩い光を放つ。辺り一面真っ白に覆われ、僕は何もすることができず、反射的に瞼を閉じただけだった。

 教室の壁が破壊されるような爆発音が耳まで届く。

 死を悟った。流石にこれは無理だろう。教室で、しかも、怪獣のビームにやられて殺されるとは思ってもみなかった。生まれ変わったら、何になろうかな。今世はダメダメだったし、来世に期待しよう。


 あれ?


 まったく走馬灯が流れず、僕はゆっくりと目を開ける。黒い影が僕らに覆いかぶさっていた。

 僕はまだ死んでいないようだ。有栖川さんも平然と、傷ひとつない後ろ姿を見せた。

 彼女の目の前には深紅のアーモンド型の瞳を持つピンクのロボットがいた。

 まるで僕らを怪獣から守っているように手を広げ、後ろで怪獣の攻撃を静かに受け止めていた。

 怪獣はのろりと方向を転換し、僕らから遠ざかる。今度は住宅に、ビルに光の放射を打ち放つ。

 ピンクのロボットはこちら側に手を差し出す。あんなにビームを受けていたのに傷一つもないボディは妄想の賜物だろうか。

 有栖川さんはロボットの手のひらに乗って


「稲葉くんも来なさいよ。」


 と彼女も手を僕に向かって差し出した。

 有栖川さんのスカートと、髪が一方に流れ、夕日が彼女を美しく照らしていた。その描写がまるで現実ではない、映画やアニメのワンシーンのように思え、つい見惚れてしまっていた。


「稲葉くん?」

「え。あ!」


 口が半開きになっていたのを戻し、彼女の言葉に流されるようにして恐る恐る近づく。机に登り、窓の縁をつたって彼女の手を取った。

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