その2
「あれえ、どこにあるんだろ」
家にあるそれっぽいところを探してみた結果、アイロンは行方不明だった。うーん、パパが自分の荷物と一緒に持って行っちゃった?
いや、それはないか。他の生活用品は持ってってないのに、わざわざアイロンだけ持っていくとは思えない。
必要になるかもしれないのに捨てるってこともたぶんない。じゃあアイロンはいったいどこに。
「ただいま〜」
「おかえりー」
収納棚をごそごそ漁っているところに、エコバッグを肩にかけた鈴音さんが帰ってきた。のんきに鼻歌を歌いながら。
「見て見て玲夢ちゃん、今日はなんとブリが安かったの!」
ジャーンと特売シールの貼られたブリの切り身を見せつけられても、正直どうでもいい。ステーキとかならわたしも素直に喜べるんだけどなあ。
でもお魚好きの鈴音さんはテンションマックスに近いから、わたしもできるだけそれに合わせてあげる。やれやれ。
「わあすごーい!よかったね鈴音さん!」
「ねえ、今年はブリが豊漁なおかげで安くてほんと助かるー!」
ほうりょう?たぶんブリがたくさん捕れたってことかな。お肉がたくさん捕れればいいのに。
「ねね、玲夢ちゃん、ぶり大根と照り焼き、どっちがいい?」
究極の二択を迫るような勢いで鈴音さんが聞いてきた。
「照り焼き」
そのほうがまだご飯が進む。甘辛い照り焼きソースは最強だもん。
「いいよね照り焼き!甘辛いタレの絡んだ脂の乗ったブリ、最高だよね!」
想像だけで夢見るように手を組んでうっとりしている。大人なのにな。
「あれっ、ところで玲夢ちゃんなにしてんの?なにか探してるの?」
わたしの周りには収納棚から引きずり出されたあれやこれやが散らかっていた。それをここまでスルーするなんて、魚が絡むと鈴音さんの視野は狭くなる。
「んー、ちょっとね」
「なになに?なにか学校で必要なものでもあった?」
できれば鈴音さんには内緒でアイロンがけして驚かせたかったけど、しょうがないか。見つからなきゃ元も子もないし。
「アイロン探してたの」
「アイロン、って髪にするやつじゃなくて、服にかけるやつ?」
「そっちのアイロンに決まってんじゃん」
くせっ毛の鈴音さんと違ってわたしはストレートだから、髪にするアイロンなんて必要ない。
「それなら玲夢ちゃんの部屋だよ」
「えっ、そうなの?」
なんだ、灯台下暗しじゃん。
「うん、前に掃除したときにクローゼットの上の方に台とセットで置いてあったよ」
「えっ、なんでそんなところに…」
「さあ…」
顔を見合わせて首をかしげたけど、答えは出てこなかった。
晩ごはんを食べてお風呂とかも済ませた後、わたしの部屋に鈴音さんが入ってアイロンを取ってくれることになった。
踏み台に乗った鈴音さんのおしりが目の前で揺れている。
「大丈夫、鈴音さん?取れそう?」
「うん、大丈夫ー。おっと」
と返事をするそばから姿勢が崩れそうになり、おしりを支えてあげた。どっしりしてるのにぷにぷにとやわらかい。
「ありがと、玲夢ちゃん」
「もう、しっかりしてよね」
「へへ、面目ない。ちょっと支えててくれる?」
「しょうがないなあ」
「ありがと。なーんか引っかかってるみたいでねえ、なかなか取れないんだよね」
アイロンはもう取り出してフローリングの床に置いてある。あとは専用の台だけだった。
「テーブルとかでやっちゃだめなの?」
「絶対にダメです。焦げちゃうし最悪火事になるかも」
「それは、ヤバいね」
家なき子になっちゃう。
「そう、ヤバいの。だから使うときは絶対に台の上でってきゃあ!」
ドサッと音がしてアイロンの台ごと段ボール箱が落ちてきてひっくり返り、中身が散らばった。
「やだ、鈴音さん大丈夫?」
「うん、平気だよ。ありがとう、玲夢ちゃん」
ニコリと笑いかけられて、なんか恥ずかしくなって顔をプイッてそらした。
鈴音さんはそんなわたしを気にせず踏み台から下りて頭をかいている。
「いやあ、段ボールが引っかかってたんだねえ」
「もう、先に段ボール下ろしてから取ればよかったのに」
「力づくでいけるかなあって思っちゃって」
「変なとこでワイルドだよね、鈴音さん」
服にアイロンもかけないし。ワイルドというかやっぱりズボラだ。この人は食べ物のこと以外はズボラなんだ。
「へへっ、どうだいワイルドだろぅ?」
変な声で言ってニヤリと笑っている。たぶん力こぶを作ろうとして腕を折り曲げているけど、なんにも盛り上がっていない。
「なにそれ?頭でも打った?」
「あれ、通じてない。そしてちょっと辛辣」
「鈴音さんワイルドじゃなくてへなちょこじゃん」
「あっ、そうですね。すいません」
しゅんとする鈴音さんを気にせず、散らばった段ボールの中身を片付けることにした。わたしが小さいころの物を詰めた段ボール箱だったのか、床には懐かしいものがたくさん転がっている。
落書き帳にクレヨン、積み木におままごとセット、大きめのブロック、プリキュアの変身ステッキ、低学年のころのノートや教科書。そんな懐かしい気持ちになるものばかりが。
「へえ、玲夢ちゃんノートにけっこう落書きするタイプなんだね。あっ、これかわいい」
「ちょっと、勝手に読まないで!プライバシーのシンガイです!」
パラパラとページをめくる鈴音さんの手からノートを取り上げた。昔のノートを読まれるのって、なんだかすごく恥ずかしい。いや、今のを読まれるのもイヤだけど。
「はーい、すいませーん」
「早く片付けてアイロンがけするんだからね!」
「はーい」
まったく、鈴音さんはのほほんとしてるくせに油断も隙も無いんだから。
あらかた片付け終わったところで鈴音さんを見ると、また勝手にノートを読んでいた。もう一度注意しようとして、息を呑み込んだ。
「返してっ!」
そしてすぐに鈴音さんの手からノートを奪い取った。大事なノートを。
「あっ、ごめん、玲夢ちゃん。気になっちゃって、つい…」
鈴音さんをにらんでしまうのを止められなかった。だってこれは、わたしとママの思い出が詰まったノートだったから。
どこにいっちゃったんだろうって思ってたら、まさかこんなところにあったなんて。
「あの、それ、玲香さんと、ママと玲夢ちゃんが書いたノートだよね」
どこにでも売っているようなノートの表紙には、青いペンでお約束ノートとでかでかと書いてあって、名前を書くところにはママとわたしの名前。わたしはまだ自分の名前を漢字で書けなかったから、ひらがなで書いてある。
だけどそのころのわたしにとっては、ひらがなでも名前を書けるのはすごいことで、ママはたくさんほめてくれた。
表紙にも裏にも当時わたしとママの間で流行っていたキャラクターが描いてあって、ママの絵だ!ってすごく懐かしくて、さみしい気持ちになった。
わたしとママで作った、お約束ノート。大事な大事な、ふたりで決めたお約束が書かれたノート。どこにもないからてっきり、何かと一緒に捨てちゃったんだと思ってた。
「玲夢ちゃん、よかったら私にもそれ読ませてもらえないかな?どんなことを玲夢ちゃんとママが約束してたのか、知りたくて」
恐る恐るハリネズミにさわるみたいに聞いてくる鈴音さんに、わたしは作り笑いを返していた。
「いいよ、こんなの読まなくて。わたしがちいさいころに書いたノートだもん。読んでもしょうがないよ」
「でも…」
「ほら、こんなのいいから、アイロン教えてよ」
まるでどうでもいいものみたいに、バサッと机の上に投げ出したノートに胸のあたりがキュッと痛くなった。でもから元気を出して鈴音さんの手を取った。
「ほら、早くしよ!明日着る服をさっそくピカピカに伸ばしてやるんだから!鈴音さんのも!」
「えっ、私のもアイロンがけしてくれるの?」
「ついでだけどね」
「ああ、うん。ありがとう玲夢ちゃん。でももう遅いし明日とかにしない?」
「だめ!今日やるの!」
鈴音さんの目はチラチラとノートに向いていたものの、わたしに手を引かれるがままについてきてくれた。
お約束ノートを鈴音さんに読んでほしい気持ちはあった。わたしとママのことを知ってほしいって気持ちが。
でも読んでほしくない気持ちも同じくらいあって、わたしの中でぶつかり合っていた。
なんだかママを取られちゃうような気持ちがして、嫌だなって思っちゃった。もうママはいないのに、変なの。
それにパパとの約束も思い出していた。鈴音さんの前でなるべくママの話はしないという約束。ママの思い出が詰まったこのノートを読まないほうが、きっと鈴音さんは楽しい気持ちでいられるのだと思う。
でもそういうのをどう説明したらいいのかわからなかったから、鈴音さんをノートから離すしかなかった。もっと上手に、いろんなことを伝えられるようになれたらいいのに。
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