第15話 ハルスタット領の状況はどんなもの?
一日経って引っ越しの荷物も落ち着いた。
リュシアンも旅立った。
今日はまず、領主としての仕事をしなくてはならない。
まずは、このハルスタットの代官と会う予定が入っている。
私は時間まで錬金術工房の片づけをし、水が使えるように用意してから、館の執務室へ向かう。
その時窓をふと見た。
城の石壁に囲まれた中庭の様子が見える窓だったが、領地で雇った兵士達が走り込みをしている。
その向こうから、白い動物がやってきていた。
いや、白いロバに乗った、白い髪の老人だ。
「……あれが代官をしているギベルさんかな?」
私が領主になるにあたって、代官は離任するしかない。
そこでローランドはギベルに尋ねたそうだ。
代官としての仕事を続けたいのなら、別の領地へ。
家令になってもいいなら、ハルスタットにいてもいいと。
ギベルは家令としてここに残ることを決めたのだという。
私も、あの四角四面なローランドが『真面目』だと評したので、彼に家令を頼むことで合意した。
それに私も初めて住む土地だし、色々と把握している人がいてくれる方がありがたい。
(錬金術の方にも力を入れたかったら、一人で領地を治めるのは難しいものね)
小さな領地だから、それほど仕事が忙しいわけじゃない。
でも何かを見落とした時に困るのは、そこで生きている領民だ。
それに税を納められなくなったら、私自身も王家への税が滞って罰則がある。
双方が不幸になるのは避けたい。
だからギベルには今まで通りに、代官のような形で仕事をしてもらいたいと思っている。
が……。
「けっこうお年の人だけど、体力とか大丈夫かしら……?」
小さな領だけど、あちこち歩くことになるけど……。
というか今までどうやってたのか?
私のつぶやきが聞こえたのか、執務室として整えた部屋に、お茶を運んできたメイドのミカが言った。
「ギベル様はいつもロバで移動していらっしゃいますよ。ご近所から遠くまで」
「あのロバ、いつも乗っているの?」
ミカはうなずく。
「白いロバはよく目立つから、遠くからでもこっちを発見して近づいて来てくれるので、無駄に動き回らずに済む、と言っているのを聞いたことがあります」
ハルスタット領で採用されて、今日から勤めているミカは、ギベルのことについて詳しいようだ。
この際色々聞いておこう。
私は、赤茶色の髪を高く結い上げているミカに尋ねた。
「では、足腰が悪いわけではないのね?」
「そうです。ただ年齢が年齢ですから、走り回ったりとかは難しいようですし、重たい物を持つと『腰がやられた』と数日お休みしていました」
なるほど。
年相応の身体能力だけど、ロバがあるので補えているのか。
代官の仕事ができているので、頭もはっきりしている人なのだろう。
まだ数年、私が領地に慣れるまでは頑張ってもらえそう。
ほっとして少しお茶を楽しんだところで、ギベルが来訪したという知らせがやってきた。
ややあって執務室に入って来たのは、やはり先ほどの老人だった。
ロバと一緒だと、頭から服まで白い印象を受けてしまったせいで、なんだか神さびた雰囲気があった。けれど、今目の前にいるギベルは好々爺という感じだ。
「初めまして領主様、ハルスタットで代官をさせていただいておりましたギベル・モストンでございます」
「シエラ・レーヴェンスです。早速領地についてお話を聞かせてもらえますか? そちらに座ってください」
「それでは失礼して」
ギベルが執務室の端にあるソファーに座る。
私もその向かい側にあるソファに腰を落ち着けたところで、ミカが新しいお茶を運んできた。
「まず前提のお話をさせてください。グレイ伯爵から、あたしが領地のことは家令にほとんど任せたいと思っている、と聞いていますか?」
「統治に積極的ではない、というお話は伺いました。それゆえ、家令とはいえ代官のような仕事になるかもしれないと」
良かった。ローランドは否定的ではあっても、一応私の意見をそのまま伝えていたらしい。
「たぶんギベルは、離婚後の生活費のために領地をいただいたと思ったでしょうし、それならどうして王都から離れた領地に来たのかと不思議に思うでしょう」
ここを説明しておかなければ、と私は話を進める。
「実は私、とりあえず王都から離れて、錬金術の研究ができる場所に引っ越したかっただけで」
「錬金術……ですか?」
ギベルが不思議そうに首をかしげる。
「私の趣味のようなもので、これで食べて行こうと思ったら、元伯爵夫人が……と嫌がられまして。統治に力を入れなくてもいいから領地を持つよう、グレイ伯爵に勧められたのです」
離婚する妻が平民になって手に職を持つのは、貴族にとっては不名誉だ。
ローランドは自分の名前に傷がつくのが嫌だったから、私に領地と爵位を持たせたんだけど……。
だからって領地や爵位をぽんとくれてしまうあたり、気前が良すぎる。
なかなかそんなことはできないし、帰る家がない妻を放り出したり、修道院に押し込める貴族が多い中では、ローランドはとても真面目な人ではあった。
惜しむらくは、行動の理由が気の毒とかそういう優しい気持ちからではないことか。
話を聞いていたギベルは、一拍置いて笑い出す。
「あいや、済みませぬ。このおいぼれも領主様のなさることに度肝を抜かれまして。なんというかこう、破天荒なお方ですな、領主様は。普通の貴族夫人なら選ばない道を進まれるため、ハルスタットにいらしたのですな」
良かった、ギベルは私の突飛な行動を許容してくれるらしい。
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