第8話 城の女の嫉妬

それから五日間、綾女姫は出来る限りの時間を見つけて、幸之進の子供の頃の小袖を修復した。

五歳児の子供が着る小袖を、大人となった現在の幸之進が着られるようにするのだ。

そのため足りない部分の布は、自分が故郷から持って来た岩瀬郷の布で出来た着物を解き、それで補った。

幸い、彼女が持って来た着物も同じうぐいす色の着物で、柄はやはり淡い色で小鳥と山や川を描いたものであり、継ぎ接ぎをしても不自然さは無かった。


五日目の夜、夕食の後で綾女姫は出来上がった着物を幸之進の居室に持って行った。

(自分では上手く出来たつもりだけど……幸之進様はどう思われるだろう? 満足して頂けるだろうか?)

そう不安を感じながら、居室の前で

「綾女でございます。先日、お預かりした着物をお返しに参りました」

と声をかける。

すると障子がサッと開き、幸之進が姿を見せた。

「これは義姉上、ありがとうございます。どうぞお入りください」

「失礼します」

綾女姫は頭を下げながら部屋に入ると、手にしていた風呂敷を開き、修繕した着物を差し出した。

「どうぞお改めになって下さい」

幸之進は差し出された着物を手に取ると、丁寧にそれを広げる。

修繕された着物を見て、しばらくは幸之進は無言だった。

その沈黙が、綾女姫を不安にさせた。

「お気に召しませんか? でしたら元の子供用の小袖に直す事も可能ですが……」

綾女姫がそう言った事で、幸之進はハッとしたような顔をする。

「いえ、そうではありません。あまりに素晴らしい出来なので、言葉を失っていました。ありがとうございます! 着てみてもよろしいですか?」

「はい、勿論でございます」

すると幸之進は、その場で着物を脱ぎ始めた。

その事に綾女姫は目を丸くする。

彼からすれば早く母親の形見の着物を着たいだけであり、その場に綾女姫が居る事も忘れていたくらいなのだが、彼女としてはやはりあまりに突然な事だった。

そして褌姿となった幸之進のまだ十代の身体は美しかった。

白く輝くような肌に、引き締まった駿馬を思わせる筋肉。

若さが身体全身から光り輝ているように見える。

それが綾女姫には眩しくさえ感じられた。


修繕された小袖を身にまとった幸之進は、嬉しそうな笑顔で言った。

「ピッタリです! 着心地もとてもいい! 母上が作ってくれた当時と全く変わらない! あの時のままです!」

普段の落ち着いた雰囲気とは全く違った、意外に子供っぽい笑顔を見せる。

そして幸之進は綾女姫の手を握った。

「ありがとうございます。義姉上のおかげで母上の形見の着物が生き返りました! 本当に感謝しています!」

そう言われて綾女姫も悪い気はしない。

「こちらこそ、幸之進様にそこまで喜んで頂けて嬉しいです」

「きっと母上も天国で喜んでいる事と思います。義姉上、このお礼は必ずします。いえ、させて下さい!」

綾女姫の手を固く握って、そう口にした幸之進の目には薄っすらと涙すら滲んでいた。



領主となった幸之進には、沢山の女が近づこうとしていた。

無論、正室の座には綾女姫が着いているのだが、彼女たちはそれに遠慮する様子は無かった。

誰もが「綾女姫は形だけのお飾りの奥方」である事を知っているからだ。

幸之進への接近を狙っているのは女たちばかりではない。

家臣たちも同様だ。

「もしかしたら長男である典勝は、遠征途中で命を落とすかもしれない。その場合は、幸之進がそのまま領主の座に座る事になる。そうなった時のために、今の内に幸之進との関係を築いておいた方がいい」

そう考えた家臣たちは、自分の娘を幸之進の元に送ろうと力を入れていた。

女たちもそれまでは「差別されている岩瀬郷の血筋の子」という事で、幸之進に近づこうとはしていなかった。

しかも幸之進は城下の町外れに一人で暮らしていたため、ほとんど目に止まる事すらなかった。

だが成人して領主として城に入った幸之進の美貌に、女たちは夢中になった。

その上、彼はこの国の領主だ。

親や兄に言われずとも、女たちは何とか幸之進とお近づきになりたいと、その機会を伺っていたのだ。

「幸之進様、今宵は私どもの家で一緒にお食事をなさいませんか? 美味しい旬の魚が手に入りましたよ」

「幸之進様は今までお独りで暮らしていられたとか……身の回りの事など、大変でございましょう。私に身の回りの世話などをさせていただけないでしょうか?」

「幸之進様はお酒の方はたしなめるでしょうか? 上方より上等なお酒が届きましたので、ご賞味いたしませんか?」

などと数々の誘いが舞い込んできた。

幸之進は「現金なものだ」と辟易しながら、次のように返答して断っていた。

「いえ、私はまだ若輩者ですので、そのようにお気遣い頂く必要はありません。それに私も今は綾女姫という妻がいる身です。家の事は全て彼女がやってくれていますので、ご心配には及びません」

だがその言葉は、幸之進も、そして綾女姫にも思いもよらぬ所で、城の女たちの反感を買っていた。



その日も綾女姫は家族の着物を洗濯し終えて、物干竿に干していた。

そこに四人の女たちがやって来た。いずれも家臣の娘だ。

彼女たちは館の庭にいる綾女姫を見ながら、会話を交わしていた。

「ここって幸之進様のお館よね? あそこで洗濯物を干しているのは下女かしら?」

「下女にしても随分と薹が立っていること。幸之進様はご領主なのだから、同じ下女でももっと若くて綺麗な娘をお側に置けばいいのに」

「あら、もしかしてあちらは……先代ご領主の典勝様のご正室であられた綾女姫ではありませんか? 今は幸之進様の奥方になられたとか?」

「まさか、あんなみすぼらしい女が?」

「着ている物だって古びて何度も手直しした痕があって……ご領主の奥方があんな貧しい姿のはずはありませんわ。我が家の端女はしためだって、もっとマシな物を着ていますもの」

「着物すら持ってないのでしょうか? それとも歳と一緒に着物も老化してしまったとか?」

「もしもあんな女が本当にご領主の奥方だとしたら……幸之進様があまりにお可哀そうですわ。貧乏臭い上に色気も何もない年増女を妻に押し付けられたなんて……」

そう言って彼女たちは黄色い声で笑っていた。

彼女たちは大きな声でわざと聞こえるように話しているのだ。

綾女姫は下唇を噛み、そんな心無い言葉にじっと耐えていた。

(実際、私のような若くもない美しくもない女が、あの若くて美しい殿方の妻であるなんて、大殿の命令でもなければ有り得ない事だ……)

そうは解っていても、改めて他の女たちからそれを耳にするのは、彼女としても悲しく悔しい事だった。


「綾女姫」

屋敷の中から涼やかな声が聞こえる。

ハッとして綾女姫が声の方を振り向くと、いつの間に帰っていたのか、外廊下に幸之進が立っていた。

「いつも私の着物を洗濯してくれてありがとう。だけど今日は一緒に城下に着物を買いに行く約束でしたよね? さぁ、着替えて準備をしてらして下さい」

「え?」

一瞬、意味が解らずに呆然としている綾女姫に、幸之進は庭に降りて来るとその手を取った。

「あなたのその飾らない姿が私は好きですし、真心のこもったお世話には本当に感謝しています。私が慣れない領主としての仕事に専念できるのも、綾女姫が身の回りの世話を全てしてくれるからです。今日はそのお礼で、一緒に着物を買いに行く約束ではないですか。お忘れですか?」

そう言って幸之進は優しく綾女姫の背中に手を回すと家の方に向かった。

ここで綾女姫も、ようやく幸之進の考えを理解した。

きっと彼は、家の外にいる女たちの無礼な言葉を聞いていたのだろう。

そして千徳丸は今日は夕方まで本丸の別屋敷にて手習いをしている。

幸之進はその事も踏まえて、こう言ってくれているのだろう。

「あ、はい。すぐに支度して参ります」

そう答えると逃げるように家の中に入った。

その時にチラリと生垣の外にいる女たちに視線を向けると、彼女たち四人は悔しそうに綾女姫を睨んでいた。

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