第4話 春分、反転する放送
お昼のチャイムが鳴った瞬間、校内放送のスピーカーが変な風に鳴った。声が、壁の向こう側から届くみたいに遠い。軽い冗談ほど消えて、短い言葉ほどよく響く。
「——食堂、混み、注意」
たったそれだけが、体育館の裏までクリアに届いた。
「反転してる」私は呟いた。「春分のせいで、音の影が入れ替わってる」
宵は顎を上げて天井を見た。「じゃあ、長い言い訳は、届かない?」
「たぶんね」
昼休みが終わる前に、私たちは放送室へ走った。顧問の先生は不在。鍵は職員室にあるはず——と思ったら、扉は半分開いていて、風がノブを押していた。
「失礼します」
部屋の片隅。古いダンボール箱。上に、手書きマジックで「未送信」。
宵が箱を覗き込む。「なんだろう」
「……テープ、だ」
細い指で一本を取り出す。ラベルに「三年前 卒業式 追加アナウンス」。
私は右耳を傾け、テープの中の“紙の音”を想像した。乾いた紙が、まだ誰にも読まれていない音で擦れている。
「流していい?」
「長い言い訳じゃなければ、届く」
宵が再生ボタンを押した。少しザラついた音のあと、短い声が流れた。
『——ありがとう。あのとき、手伝ってくれた皆へ。伝えるのが遅れて、ごめん』
それだけ。けれど、昇降口のスピーカーから、校庭の片隅まで、はっきりと届いた。立ち止まる足音、振り返る肩。
私はマイクに向かって、短く言った。
「三年前の放送委員からの、遅れたお礼でした」
停止ボタン。静けさ。すぐに、いつもの昼休みのざわめきが戻ってくる。
宵が私を見る。「短い言葉は、届く」
「うん。春分の日は、とくに」
ふと、窓の外を見た。体育館の壁に伸びる影が、いつもと少し違う方向に傾いている。
「御影さんにも伝えよう。未送信箱、全部じゃないけど、短いやつをいくつか解放できるかも」
図書館へ行くと、御影さんはすでに噂を聞いていたようで、笑って頷いた。
「春分は“未送信”に効く。だが、長文はだめだ。今日のうちなら、短い謝辞と告知だけにしなさい」
「はい」
再び放送室。私と宵は、箱から三本だけ選んだ。どれも、短い。
『明日の朝、正門側は工事のため通行止めです』
『貸出カード、見つかりました。図書館カウンターまで』
『体育祭の忘れ物、赤いタオル——ありがとう』
それだけの言葉なのに、廊下の空気が少し澄んだ気がした。言いそびれた一言って、思っている以上に町を曇らせるのかもしれない。
チャイムが鳴り、午後の授業。帰り際、港のほうから小さな拍手が聞こえた。三年前の誰か——なのかもしれない。
「ねえ、澪」
「なに」
「私、明日も名札を返さないでいい?」
「露の朝まで、まだ少しあるから大丈夫」
宵は名札の角を、そっと撫でた。
「短く、届く言葉だけでいい。わかりやすいのが、一番」
「うん。——次は、歌だよ」
(つづく)
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