【アンティーク恋愛短編小説】アフェット~記憶を紡ぐ骨董店、あるいはガラクタの中の宝石~(約13,000字)
藍埜佑(あいのたすく)
序章:シグナルと、ノイズ
私の世界は、
そして、その九十九パーセントは不要なノイズだ。
壁一面の本棚。読み返しもしない思い出の小説たち。ノイズだ。
クローゼットを圧迫する流行遅れの服。感情的な衝動買いの残骸。ノイズだ。
スマートフォンに溜まり続ける元恋人の写真。過去への未練という名の、最も有害なデジタルノイズ。
だから、私は捨てる。
ノイズを徹底的に排除し、純粋なシグナルだけを抽出する。
それが私の仕事であり、哲学であり、そして存在意義そのものだった。
ウェブメディア「Signal」でカリスマ的な人気を誇るミニマリスト。
私が提唱する「
白で統一された私の完璧な城。所有するモノは厳選された九十九個だけ。
その静寂に満ちた空間で、私は誰にも縛られず、何にも執着せず、自由で研ぎ澄まされた人生を送っている。
……はずだった。
しかし、本当は知っていた。この完璧すぎる空間に、私自身が息苦しさを感じていることを。毎朝目覚めると、まるで無菌室にいるような孤独感が胸を締め付ける。友人たちは口々に言う。
「零ちゃんの部屋、まるでホテルみたい」と。
それは褒め言葉のつもりだろうが、私には皮肉に聞こえた。ホテルは一時的な滞在場所だ。誰の記憶も宿らない、誰の物語も紡がれない、ただの通過点でしかない。
私の人生も、まさにそうだった。
完璧だが、何も残らない。
美しいが、誰も愛さない。
自由だが、誰にも愛されない。
その日、私の完璧な世界に最大級のノイズが混入した。
一通の速達郵便。
十年以上絶縁状態だった母方の祖母、一条静子の訃報。
そして弁護士から送られてきた遺言書の写し。
私は眉をひそめた。
鎌倉の、あの家。
私の記憶の中で、それはガラクタの屋敷だった。
私がミニマリストという哲学に目覚めた、全ての元凶。
モノに異常なまでに執着し、家をガラクタで埋め尽くしていた祖母。古いお皿から壊れた時計まで、まるで何かに取り憑かれたように収集し続けていた。幼い私は、その混沌とした空間で息が詰まりそうになった。どこに座っていいのかわからない。何を触っていいのかわからない。そして何より、祖母が私よりもモノを大切にしているように見えて、深く傷ついたのだ。
そのカオスな空間が、私の幼少期のトラウマだった。そして、今の私という人間を形作った根源的な体験でもあった。
私はすぐに業者に連絡し、あの家にある全てのモノを処分しようと思った。
だが、遺言書の一文が私の足を止めた。
『――私が死んだら、家のモノは全て孫の零に譲ります。ただし、処分する前に必ず小町通りの骨董品屋「
九頭竜、刻。
知らない名前だった。
面倒なことになった。
だが、遺言は絶対だ。
祖母との最後の約束を破るわけにはいかない。
たとえ十年間口をきかなかったとはいえ、私の中には確かに、彼女への複雑な想いが残っていた。愛情と反発、憧れと拒絶。それらが入り交じった、整理のつかない感情。
私は重い溜息をつき、数十年ぶりにあのノイズだらけの故郷へと向かう決意をした。
この時点では、この旅が私の人生を根底から変えることになるとは、夢にも思っていなかった。
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