【アンティーク恋愛短編小説】アフェット~記憶を紡ぐ骨董店、あるいはガラクタの中の宝石~(約13,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

序章:シグナルと、ノイズ

 私の世界は、信号シグナル雑音ノイズで構成されている。

 そして、その九十九パーセントは不要なノイズだ。


 壁一面の本棚。読み返しもしない思い出の小説たち。ノイズだ。


 クローゼットを圧迫する流行遅れの服。感情的な衝動買いの残骸。ノイズだ。


 スマートフォンに溜まり続ける元恋人の写真。過去への未練という名の、最も有害なデジタルノイズ。


 だから、私は捨てる。


 ノイズを徹底的に排除し、純粋なシグナルだけを抽出する。

 それが私の仕事であり、哲学であり、そして存在意義そのものだった。


 一条零いちじょうれい、三十歳。

 ウェブメディア「Signal」でカリスマ的な人気を誇るミニマリスト。

 私が提唱する「人生のガラクタ整理術ライフデクラッタリング」は、モノに溢れた現代社会に疲弊した人々から熱狂的な支持を得ていた。


 白で統一された私の完璧な城。所有するモノは厳選された九十九個だけ。


 その静寂に満ちた空間で、私は誰にも縛られず、何にも執着せず、自由で研ぎ澄まされた人生を送っている。


 ……はずだった。


 しかし、本当は知っていた。この完璧すぎる空間に、私自身が息苦しさを感じていることを。毎朝目覚めると、まるで無菌室にいるような孤独感が胸を締め付ける。友人たちは口々に言う。


「零ちゃんの部屋、まるでホテルみたい」と。


 それは褒め言葉のつもりだろうが、私には皮肉に聞こえた。ホテルは一時的な滞在場所だ。誰の記憶も宿らない、誰の物語も紡がれない、ただの通過点でしかない。


 私の人生も、まさにそうだった。

 完璧だが、何も残らない。

 美しいが、誰も愛さない。

 自由だが、誰にも愛されない。


 その日、私の完璧な世界に最大級のノイズが混入した。

 一通の速達郵便。

 十年以上絶縁状態だった母方の祖母、一条静子の訃報。

 そして弁護士から送られてきた遺言書の写し。


 私は眉をひそめた。

 鎌倉の、あの家。

 私の記憶の中で、それはガラクタの屋敷だった。

 私がミニマリストという哲学に目覚めた、全ての元凶。


 モノに異常なまでに執着し、家をガラクタで埋め尽くしていた祖母。古いお皿から壊れた時計まで、まるで何かに取り憑かれたように収集し続けていた。幼い私は、その混沌とした空間で息が詰まりそうになった。どこに座っていいのかわからない。何を触っていいのかわからない。そして何より、祖母が私よりもモノを大切にしているように見えて、深く傷ついたのだ。


 そのカオスな空間が、私の幼少期のトラウマだった。そして、今の私という人間を形作った根源的な体験でもあった。


 私はすぐに業者に連絡し、あの家にある全てのモノを処分しようと思った。

 だが、遺言書の一文が私の足を止めた。


『――私が死んだら、家のモノは全て孫の零に譲ります。ただし、処分する前に必ず小町通りの骨董品屋「ときの記憶」の九頭くず竜刻りゅうときさんに相談すること――』


 九頭竜、刻。

 知らない名前だった。


 面倒なことになった。

 だが、遺言は絶対だ。

 祖母との最後の約束を破るわけにはいかない。


 たとえ十年間口をきかなかったとはいえ、私の中には確かに、彼女への複雑な想いが残っていた。愛情と反発、憧れと拒絶。それらが入り交じった、整理のつかない感情。


 私は重い溜息をつき、数十年ぶりにあのノイズだらけの故郷へと向かう決意をした。

 この時点では、この旅が私の人生を根底から変えることになるとは、夢にも思っていなかった。

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