余命30日、だけど毎日ひとつだけ奇跡を起こせる

unknown

プロローグ

 「――余命は、三十日です」

 白い部屋に、白い声が落ちた。

 春坂 悠真は、とっさに笑った。笑う以外の顔を、身体が忘れていた。

 「三十って、きりがいいですね」

 医師は目を伏せた。母は紙みたいに薄くなって、握る手が震えていた。窓の外では、夏の雲が厚みを増していく。何もかもが、やけにくっきり見えた。


 夜。点滴のしずくが、時計みたいに均等に落ちる。

 そのときだ。

 カーテンの向こうから、ひとりの少女が現れた。制服姿。黒髪。感情の置き場所が見つからないような無表情。

 「初めまして、悠真。ルカです」

 知らない名前。だけど、どこか聞き覚えがある気がした。夢の中で一度だけ会ったような、そんな既視感デジャブ


 「条件を提示する」

 少女――ルカは、丁寧に言葉を置いた。

 「あなたの寿命は三十日。その代わり、一日にひとつだけ、奇跡を起こす権利を与える」

 「奇跡、ね。病気が治る、は?」

 「寿命を延ばすことだけは禁じる。それ以外なら、可能性は広い」

 「世界を平和に、も?」

 「概念が大きすぎる。けれど、“誰かの戦いを今日だけ止める”程度なら」

 言いながら、ルカはじっと俺の目を見た。瞳は透明だった。深い湖の奥、底の砂まで見えるみたいに。

 「発動は口頭の宣言、私の承認で成立する。帳尻は自然が取る。あなたが選ぶなら、今夜、契約を結ぶ」


 俺は天井を見た。蛍光灯は白い。やけに白い。

 「……じゃあ、試しに一個。この夢が、嘘でありますように」

 言って、笑った。冗談のつもりだった。

 ルカはかすかに首を振る。

 「契約は、明日零時から有効。いまのは――ただの願い」

 「じゃあ無効か。よかった」

 よかった、のか? 心のどこかが、きしむ。冗談の形をした本音が、のどの奥に引っかかった。


 沈黙ののち、ルカが続ける。

 「覚えておいて。奇跡は万能じゃない。けれど、誰かの“次の一歩”を変える力はある」

 「俺の次の一歩は、もう三十しかない」

 「三十も、ある。三十回も、世界に触れられる」

 言葉は、意外と優しかった。無表情なのに、声だけが温度を持っていた。


 零時。目盛りが日付の線をまたぐ。

 ルカが小さくうなずいた。

 「契約、成立。最初の奇跡は、明日」

 俺は深く息を吐く。

 ――三十日のカウントダウンが、静かに始まった。

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