第6話
――なんで、お前は普通になりたい。
それは、僕が口にした言葉だ。放課後の廊下。夕陽が差し込む窓辺で、ほのかが「今日、体育館に行ってもいい?」と言ったとき、反射的に出た。
「特別になれないやつもいるんだよ。どれだけあがいても、ふつう以上になれないやつがいるんだよ。――なのに、どうして、お前は普通になりたいんだよ」
ほのかが、大きく目を開いた。廊下の埃が、夕陽の中で舞っている。僕は息を吐ききれず、喉が焼けるみたいに熱い。声は震え、言葉は刃になって勝手に飛ぶ。
「僕は、ずっと特別になりたかった。なのに、なれなかった。見つけてもらえなかった。君は、生まれつき『見つけられる側』だ。歩くだけで誰かが見てくれる。なのに、どうして――」
どうして僕の欲しかったものを、君は手放そうとするの。
言いかけた瞬間、ほのかが静かに、言葉を置いた。
「――湊が、いつまでも普通でいるからだよ」
空気が止まった。
「湊が普通でいてくれるから、わたしは安心する。湊が、そこにいてくれるから、わたしは星でいられた。けど、星のままじゃ、湊に触れない。だから、普通になりたい。――湊が好きだよ」
好きだよ、は、刃ではなくて、救急箱みたいにそっと置かれる言葉のはずなのに。僕の内側で、なにかが割れた。音はしない。なのに世界が遠くなる。視界の端が黒くなり、足元の床が一瞬だけ柔らかくなる。
「……やめろよ」
声が出ていた。誰の声だかわからないほど低い声で。
「冗談、やめろ。ふざけるなよ」
「ふざけてない」
「ふざけてるよ。僕が、普通で、君が、星で、好きだとか、そんな――」
世界が遠い。僕はその場を離れた。足が勝手に階段を降り、校門を抜け、信号を渡り、家に向かって歩いていた。どこかで雨の匂いがする。雲は薄いのに、土の中で雨が準備をしている匂いだ。息が浅い。胸が痛い。あらゆる感情が一度に押し寄せて、形も境界も失って、ただの「重さ」になっている。
家に着いたとき、鍵がうまく鍵穴に入らなかった。手が震えている。なんとか部屋に入って、ベッドの上に倒れ込んだ。スマホが鳴る。通知が光る。無視する。枕に顔を押し付ける。音が遠い。僕は、崩れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます