Op.1「新世界より」
『あなたが人生最後に聴きたい曲は何ですか?』
世間がクリスマスで賑わう、肌寒い冬の夜。
暖房が効いたリビングのテレビでは、街頭インタビューの映像が流れている。
内容は、先ほどから人生最後についての質問ばかりだ。
『人生最後に一緒に過ごしたい相手は誰ですか?』
『人生最後に食べたいものは何ですか?』
『人生最後の時間をどこで過ごしたいですか?』
何故、このような質問が続いているのかというと……
『明日が終末の日と話題になっていますがご予定は?』
この『終末の日』というのが世間を賑わせている。
事の発端は突如として世界各地で謎の声、予言を聞いたという人が続出したオカルト染みた話だった。
その人たちが口を揃えて12月25日のクリスマスに世界の終焉、『終末の日』を迎えるなどと発信したことがSNS上で話題となって、今ではテレビでも特集されている。
『クリスマスなので彼女とデートでーす!』
『仕事ですよ。仕事多すぎて世界が終わってくれた方がありがたいですよ』
『疲れてるので帰って寝るだけですね』
『特に何も予定はないかなー、恋人でもいたらよかったんですけど』
『いつも通り家族で過ごしますかね』
『友達と遊びに行きまーす!』
変わらぬ日常。
誰もクリスマスに世界が終わるなどという荒唐無稽な話を信じていない。
俺も例に漏れずその一人だが、興味深いトピックなのでテレビに意識を向けつつ、テーブル越しに座る黒髪ロングの可憐な美少女とチェスに興じている。
まぁ、ひとつ年下の妹である
「
「あぁ、悪い。ちょっとボーっとしてた」
「なるほど。私が相手では集中する必要もないというわけですか」
「違うって。もうちょっとで世界が終わっちゃう日が来るのかーって考えてただけだよ」
「違わないじゃないですか。無駄なことを考えるほど余裕があるのですね。ちなみにチェックですよ」
「マジか」
世界が終わる前に盤上で終わりを迎えそうだった。
テレビに気を取られている間に窮地に追い込まれている。
「テレビも消しておきましょう」
「あっ……」
負かした時の言い訳を許さない盤外での追撃も鮮やかなものだ。
さすがは優等生の妹。
『神様の声を聴いちゃったんだよね!』などと騒ぎ、この深夜にフラっと出掛けていったもう一人の妹である
「せめてBGMくらいは欲しいんだけど」
「そうですね。リクエストはありますか?」
「輝夜さまのおすすめで」
「分かりました」
輝夜はスマホを取り出し、慣れた手つきで音楽アプリを操作した。
優雅に紅茶を嗜みながら選んだのは、予想通りのクラシック。
タイトルは、ドヴォルザーク交響曲第九番『新世界より』。
紅茶の香りと共にリビングの室内に満ちるのは、まるで最終決戦を思わせるような壮大な旋律。
その音色を背に互いに盤上の駒を動かしていく。
一時は追い込まれていたが、現在は
美少女の妹は盤面を見据え、眉間に深い皺を刻み、難解な謎を解くような表情で考え込んでいる。
「考え込み過ぎて可愛い顔が台無しになってるよ」
「少し黙っていてください」
「はいはーい」
輝夜に茶々を入れてウザがられつつ、互いに譲らない攻防が続く。
盤上を白と黒の駒が縦横無尽に駆け巡ること約一時間。
現在の時刻は、23時57分で日付が変わるまで残り3分となった。
もし日付が変わったと同時に世界の終わりを迎えるなら、俺の寿命は残り3分ってわけだ。
「輝夜、あと3分で死んじゃうとしたらその前にやっておきたいことってある?」
「チェスで勝ちたいですね。兄様を倒す、いえ、ボコボコにするのは私の夢ですから」
「是非ともそんな物騒な夢はやめてもらいたいね」
「ふふっ、嫌です。今日こそ勝利して祝杯を挙げたいと思います」
「真昼じゃあるまいし、未成年はお酒飲んじゃダメでしょ」
「ご心配なく。オレンジジュースで祝杯を挙げますから。冷蔵庫に準備済みです」
「なにそれ可愛いな」
妹の
そんな輝夜は俺との勝負事に強いこだわりを持っている。
幼少期から比較されてきたせいか、暇があればチェスやオセロなど俺の得意な分野で挑んでくる。
ちなみにチェスの対戦成績は99戦99勝で負けたことはない。
俺としては真面目ちゃんの妹がオレンジジュース片手に祝杯挙げている姿の方が見物なので負けてもいいのだが……
「勝ちを譲ろうなどと思わないでくださいね。手を抜かれたら分かります。私の目はごまかせませんよ」
「ハハハ……」
バレていた。さすが17年間も我が妹を務めてきただけはある。
「同じ質問を返しますが、兄さまは死ぬ前にやりたいことがあるのですか?」
「絶賛考え中だな」
「私との勝負に集中してください」
「はい……」
輝夜には悪いがテレビを消された後くらいからずっと考えている。
しかし、アイデアの一つすら浮かんでこないのだ。
やりたいこともやり残したことも出てこないのが、俺の空虚な人生をよく表している。
そして何も思い浮かばないままリビングの時計の針がゆっくりと進んでいく。
日付が変わるまで残り30秒となった。
自分の人生を客観的に振り返ってみると歪なものだ。
幼少期から徹底して英才教育を叩きこまれ、両親の手で作り上げられた神童。
容姿に恵まれ、才能と環境に支配され、習い事、進学先、就職先、結婚相手、交友関係さえも両親が選べる都合の良い初期キャラ。
自分の意思など捨てて優等生の仮面を被り演じ続けたピエロ。
勉強は好き。恋愛ごとは苦手。料理は好き。
ゲームは好き。でも協力プレイは嫌い。
スポーツは好き。でも団体競技は嫌い。
楽器は好き。でも合奏は嫌い。
名家と呼ばれる家庭に生まれ、何事も常にトップであることを求められる環境の中で、他人に結果を左右されにくいことを好むようになった。
自分を端的に説明するなら、初期能力値が高く、プライドの塊である両親が願望を押し込んでレベル上げに励んだゲームの初期キャラといった感じだろうか。
そのキャラを育て上げた両親はというと、罰でも当たったのだろう。
二年前に交通事故で無事死亡。それ以降は妹の真昼と輝夜と三人暮らし。
俺はようやく面倒くさい親から解放されて自分の人生を謳歌し始め……
「兄さま。また違うことを考えていますよね」
おっとこれはマズい。輝夜がスッと目を細めて声のトーンも低くなっている。
先ほどから二回の警告。既に二枚のイエローカードをもらっている。
サッカーなら既に退場。
さすがに家から追い出されることはないが、三枚目をもらえば明日からしばらく掃除当番は俺になってしまうだろう。
ここは上手く誤魔化さなければならない。
「輝夜が強くなってることに感心してたんだよ。あ、曲が終わりそうだな」
「……そうですね。次の曲はどうしましょうか」
ちょうど今流れている曲が終わるタイミングだったこともあり、ギリギリ誤魔化せた。そして次の選曲を考えているところで、ふと先ほどの街頭インタビューの冒頭部分が頭を過った。
「次は、輝夜が人生最後に聴きたい曲にしようか」
「難しいリクエストですね。少し考えたいので兄さまが決まっていればお先にどうぞ」
「俺は……あの曲のタイトルなんだったかな……」
頭の中でメロディは再生されているのにタイトルが出てこない。
一番好きな曲だというのに、思い出せそうで思い出せない歯痒い感覚に陥る。
自分のスマホを手に取り、その曲のタイトルを確認しようとしたところで、画面に表示されている時刻表示が23時59分から0時に切り替わる。
それに伴って、当然ながら日付も12月24日から12月25日へ切り替わり……
クリスマス当日を迎えた。
すなわち、世間で噂になっていた『終末の日』を迎えた。
「っきゃ!」
「っ!? なんだ!? 輝夜! とりあえず外に――」
一瞬の出来事だった。
テーブル上のチェス駒やコップが揺れ動いたと思ったのも束の間。
深夜だというのに窓の外が閃光に包まれ、部屋に鋭い白光が射し込んだ。
そして次の瞬間、ドンっという轟音ともに体に強い衝撃。
まるで近くで何かが爆発したかのような強烈な衝撃で壁に叩きつけられ、気づけば俺も輝夜も床に倒れ込んでいた。
「うっ……」
何が起こったんだ? 意識が朦朧とする中で全身に痛みが込み上げる。
多数の切り傷からの出血、全身を強打したせいか立ち上がることもできない。
室内には飛散したガラスの破片、倒れた家具、崩れた壁の残骸やらで滅茶苦茶になっている。
「兄さま……」
血塗れたチェスの駒が床に散乱し、その側からこちらに手を伸ばす輝夜。
俺も倒れ伏しながらゆっくりと手を伸ばすが届かない。
「か……ぐや……」
そして二度目の大きな地響きと共に視界は真っ暗闇に包まれていく。
まさか本当にこんな事態になるとは……
地震? 雷? ガス爆発? 終末の日? 本当に世界が終わったのだろうか。
それとも我が家だけ爆発したのか。真昼は大丈夫なんだろうか。
あぁ、あっけない。死ぬ時なんてこんなものなのか。
今は身動き一つ取れず体の左半分の感覚がない。
恐らく家が崩れて瓦礫の下敷きになってしまったのだろう。
息苦しく、特に右半身に痛みを感じ、意識が遠くなっていく。
これから数十秒か数分か自分の命が尽きていくのを待つだけのようだ。
あとは瞼を閉じてその瞬間を待つのみ。
そう思い、ゆっくりと瞼を閉じたところで頭部を覆う瓦礫の隙間からポタポタと水滴が顔に零れ落ちてきた。
「これは……オレンジジュースかよ」
爽やかな酸味のある柑橘系の匂いと味。
輝夜がチェスで俺に勝利して祝杯を挙げるために用意したオレンジジュース。
しかし、結局のところ勝負どころではなくなってしまい決着つかず。
せめて輝夜だけでも俺に勝利し、少しでも満足して死を迎えてほしかった。
「はぁ……」
ため息が零れる。俺には本当に何もないのだと実感した。
この死に直面した状況で足掻くこともせず命の終わりを待っているだけ。
やはり後悔も満足も未練もない。
ただただ、この閉塞感と痛みが終わってほしい以外の感情が芽生えてこない。
どうすれば涙を流すような後悔や未練を感じながら死を迎えられたのだろうか。
どうすれば笑顔を浮かべ満足感や幸せを感じながら死を迎えられただろうか。
俺には何が足りなかったのだろう。
冥土の土産としてその答えくらいは欲しい。
薄れゆく意識に抵抗しながら考える。自分の人生を遡っていく。
思考を止めない。
むしろ加速させるように。それでも中々ピンとくる答えは思い浮かばない。
「そんな都合良く見つからない、よな……」
意識も遠くなり始め諦めかけた時、口元に零れ落ちたオレンジジュースが答えに導いてくれたような気がした。
「あぁ……それかよ」
見つけた。とてもシンプルで子供っぽい答え。
俺はずっとその答えの近くに居たのに気づけなかった。
それは抱くことすら不必要と切り捨てたもの。
それは抱けば抱くほどに辛くなると自分の中で蓋をしたもの。
それは輝夜が俺を対象として抱いていたもの。
「夢、か……」
俺には『夢』がなかった。
追いかけたい、挑戦したい、実現させたい、と熱中できる夢も目標もなかった。
自分のやりたいことではなく親のやりたいことを遂行してきただけの日々。
何事も作業のように義務感だけで淡々とこなしていただけの人生。
もし次の人生があるのならもっと自由に、自分の夢を持って生きてみたい。
こうして最後に満足な答えを見つけた俺は、遠くなっていく意識を手放して自らの死を受け入れた。はずだったのだが……
「なんだこれ……」
何もない真っ白な空間。目の前には重厚なデザインの白く小さな箱。
箱の表面にはラベルのようなものが貼られており、そこに何かが記されている。
「天使系-
理解が追い付かぬままその小箱の蓋がゆっくりと開いていく。
同時に、心地の良いオルゴールの音色が響く。
箱の中からは、音符記号に似た無数の文字が不規則に浮かび上がる。
その中心には『夢』というタイトルと五線譜のみが描かれた一枚の譜面。
最後に目にしたのは、その小さな譜面が神々しい光を放つ神秘的な光景だった。
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