近代詭弁 百物語
愚写 金石
1本目 がんばる先生
これは私が中学生の頃。朝、いつも校門の前でにこやかにあいさつをしてくれる。授業も部活も熱心で生徒に慕われている「素敵な先生」がいました。
この話はそれから私が30になったときの話です。30になったことを境に中学の同窓会に呼ばれ、顔なじみの子も、そうでない子もいました。先生方も呼ばれていたみたいで各々思い出ばなしに花を咲かせてました。でもその中に私の慕っていたあの先生は見当たらず、近くにいた友人に、不意にその話を振りました。
「〇〇先生いないね。会いたかったのになぁ」
すると友人は気まずそうにして「噂なんだけど」とつづけました。
「噂なんだけどね。〇〇先生、今、〇〇精神病棟にいるんだって」
私は先生の近況は校長先生になった。それ以降のことは知りませんでした。
それから、周りにいた同級生も先生の話に移り、その先生がどうして今〇〇精神病棟にいるか、そんな話が始まりました。
「これもただの噂だよ。先生は私たちが中学生の時、早朝から深夜までずっと学校にいたらしいよ。いつ寝てんのって感じ」
「そういえば土日も部活で来てたし、休みなんてないに等しい。俺たち社会人になって考えるとかなり異常だったよな」
「そうそう、俺が聞いた話では、その娘さんも教師になったって。そこでいじめがあったらしくてさ。しかも教師同士で。その相談相手にもなってたそうでさ」
「俺の甥がその先生が校長になった学校に通っててな。噂になってたんだよ。聞いた話だと発狂しながら廊下を走り回ったんだって。それで救急車に運ばれて、それからはどうなったかは聞いていないな。そうか。〇〇精神病棟に行ったのか。先生もずいぶん無理してたんだな」
「これだけ知ってるとか先生ってプライベートとかないに等しいのか。きつ。って板垣顔こわ。あー話題変えよ」
同窓会が終わって、日が変わり、私はその精神病棟にお見舞いに行くことにしました。
先生、先生。私は先生に憧れて。いつも朝、にこやかに迎えてくれて。先生の授業が好きで。そんな先生がいたから今の私があるんです。
私の脳裏は先生の心配よりも会える期待でいっぱいでした。
受付で先生の名前を出すと困ったような顔をして追い返されそうになります。すると、1人の看護師さんが「私が一緒に行きます」と申し出てくれました。私はその看護師さんについていきました。
地下1階の真っ暗な階、どこもかしこも真っ暗で、看護師さんは懐中電灯を片手にコツコツ、コツコツ、と歩いて行きます。周りでは鍵のかかった部屋から、音に合わせて人とも思えぬ声が聞こえてきました。
235号室。と書かれた部屋で、看護師さんは足を止め、小さな小窓を開けてくれました。
「こちらが〇〇先生のお部屋です。懐中電灯等の光は刺激になるので消します。よく目を凝らしてお見舞いになってください」
そこにいたのは紛れもなく先生でした。喜びから思わず声をかけようとします。すると
「よし。じゃあ今日も頑張ろう」
そして、先生は真っ暗な部屋の中で壁に向かって授業を始めたのです。ガリガリとなる。その音は私の知っている授業の音じゃない。ガリガリ、ガリガリ。それは先生の爪の音。真っ暗な部屋の中で先生は壁一面に真っ赤な血の跡を残していました。私は思わず声を上げそうになりました。両手で口を抑えて、足早にその場を去りました。
それから、看護師さんにお礼を言いました。
「ありがとうございます。一緒についてきてくれて」看護師さんは言いました。
「私の娘もね。あの先生にはお世話になっていたの。素敵な先生よね。それじゃあ、帰りは気をつけて」
その帰り道のことを私はよく覚えていません。先生に会ったのは日曜日。月曜日からまた出勤です。私は校門の前に立っています。
「板垣先生おはようございます」
生徒の明るい声が聞こえます。それに合わせて私もにこやかに「おはよう」と返しました。
先生のいた場所、私の学んだ場所。この学校で、私は今日も教鞭に立ちます。早朝から深夜まで。先生が病棟で言った言葉をふと思い出しました。
「よし。じゃあ今日も頑張ろう」
了
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