第七話 歌垣

 船木ふなきのさとの赤見山にのぼり、十六歳以上の男女だけで、歌をうたい、おおきな焚き火のまわりを回りながら踊る。

 おのこが、


「※赤駒あかこまを  うまやに立てて


 黒駒くろこまを うまやに立てて


 そをひ くがごと  おもづま  心に乗りて


(赤い馬を馬屋うまやで立たせ、黒い馬を馬屋で立たせ、それを飼うオレが馬に乗って行くように。オレが愛しく思う妻は、心から離れず、オレの心の上に乗っています。)」


 と唄い、


「※高山たかやまの みねのたをりに


 射目いめ立てて


 鹿猪しし待つがごと とこ敷きて


 が待つ君を いぬな吠えそね


(高い山の峰の鞍部あんぶ[くぼんだところ]に罠を仕掛けて鹿や猪を待つように、床を敷いて、あたしが待っているあの人を、もし見かけても犬は吠えかからないでね。)」


 おみながうたう。

 昔から郷に伝わる決まり歌だ。


 おのこは馬に乗り、おみなは罠をしかけておのこがかかるのを待つ。

 女のほうが強くない? と、小古根ここねはこの歌を聞くたび、いつも思う。


 あかあかと焚き火に照らされ、ぽつん、ぽつん、と男女が、光の届かないヤブに消えていく。

 あらかじめ、ヤブを切り開き、足でふんで、床を整えてあるのだ。

 自分が整えた、他の奴はとるなよ、と、印の布を、枝からぶらさげて、場所を確保する。


「ごめん、オレ、小古根ここねが帰ってくるかわからないから、小床おどこを作ってなかった。今から、作ってくるから!」


 松麻呂がヤブにむかい、足を止め、


「他のおのこに声をかけられても、断るように。いいね?」


 すこし怖い顔をして、念押しする。

 小古根ここねは、くすっと笑い、うなずく。

 小古根ここねは人々の輪にはいり、しばらく踊った。何人かのおのこ小古根ここねに、歌いかけた。

 個人的に歌いかけたその歌に、返歌すると、率寝ゐねを受け入れた事になってしまう。

 だから、小古根ここねは、無言で首をふる。


「ちぇっ。」


 おのこたちは残念そうにしつつも、あっさりと、他のおみなに、歌をうたいかける。

 だんだん、人が減ってゆく。

 踊る小古根ここねが汗ばんできた頃、松麻呂に肩を抱かれた。


「お・ま・た・せ。」

「うん。」


 小古根ここねがヤブに足をむけた時である。


「待て! そこの二人!」


 ここにいるはずのないおのこの声がした。

 継人さまだ。


「えっ、どうして────。」

「誰だ?」

「ふうん、これが百姓ひゃくせい歌垣うたがきか。実に興味深い。むこうのヤブで、すごい人数がいたしておるな。おーぅ。」

「答えろ!」


 郷のなかは、皆、顔も名前も、住まいも年齢も家族構成も、お互い知っている。知らないおのこが歌垣にいる事自体が、異常事態なのだ。

 松麻呂がいらだつ。


大伴おおともの宿禰すくね継人つぐひと小古根ここねを妻にするおのこだ。」

「!!」


 あまりに冷静に、力強く言うので、小古根ここねのほうが圧倒されてしまう。


「ふざけるな! 大屎小屎おおくそこくそ(クソ野郎)、小古根ここねはオレのおみなだ!」


 松麻呂が怒鳴り、小古根ここねの肩を強くにぎる。


「選ぶのは小古根ここねだ。小古根ここね。………おいで!」


 継人さまが真剣な顔で、両腕を広げた。

 焚き火の赤い色に照らされた顔が、緊張でこわばっている。

 それを見てとった時、小古根ここねの口は自然と、


「松麻呂、ごめん。」


 とつぶやき、手は松麻呂の手をふりはらい、足は継人さまへむかって、走りだしていた。


「継人さまっ!」

小古根ここね!」


 小古根ここねは継人さまの胸に飛び込んだ。継人さまは小古根ここねを力強く抱きしめてくれた。


「どうして、どうして。今頃、府田売ぶためと………。」

「仮面をしてるから、わからないと思ったか。顔がわからなくても、おまえのほうが、五百重いおへにも美しい。

 はじめから今までずっと、府田売ぶためのふりをしていたのは、小古根ここね、おまえだったんだな。」


 小古根ここねは、こくり、とうなずく。


「あたしです。あたし。あたし………、ずっと、つらかった。府田売ぶためのふりして抱かれてるのがつらかった。本当は小古根ここねですって、何度も、何度も言いたくなった。」

「言ってくれれば良かったのに。まんまとだまされたわ。」


 その声音は、怒りというより、優しさに満ちている。継人さまは、抱きしめる腕にますます力をこめ、小古根ここねの頭に顔をぴたっとくっつけた。

 松麻呂がいきり立った。


小古根ここねっ、どういう事だ。なんだそのおのこー!!」

「ごめん、松麻呂。あたし、あなたと率寝ゐねできない。

 あたし、継人さまに恋しちゃったの。他のおのことは、誰とも率寝ゐねしたくない!」


 小古根ここねが大きな声ではっきり言うと、


「そんなあー。」


 松麻呂ががっくり肩を落とし、まわりの者が、おおー、と声をあげる。


「あはは、ふられちゃった、松麻呂ぉ。じゃ、あたしと率寝ゐねしよっか。」

「あたしでもいいわよぉ。」


 焚き火のまわりで踊る、まだ、今夜の相手をみつけられない女たちが、松麻呂を囲んで、きゃっきゃと声をかける。

 そんなあ、という松麻呂の声が再度聞こえてきた気がするが、小古根ここねと継人さまは、つれだって赤見山をおりた。


「どうしてここがわかったんです?」

「ふむ、まずだな。いつものように府田売ぶためを抱こうとしたら、声とはだかで、別人と気がついた。

 そのあとは、女官をしめあげて、衛士をしめあげて、ここに来た。

 小古根ここね、なぜ府田売のふりをしていた?」

「………。」


(あたしは、秘密を府田売ぶために握られているからです。

 ………ごめんなさい。言えないわ。

 その秘密を言ったら、継人さまは、きっと、あたしを見限る。)


 小古根ここねが重苦しく沈黙すると、


「無理に聞き出そうとは思わない。いずれ、話せ。」


 継人さまが余裕のある微笑みで、小古根ここねの頭をわしわしした。


(優しい。このかたは十八歳だけど、もっと年上みたい。器がおおきなかただ。)


 小古根ここねは、胸が、きゅん、と切なくなった。

 赤見山のふもとには、一頭の馬が木につながれていた。

 小古根ここねは、継人さまと一緒に馬に乗る。


「あの………、あたしを、さっき、つ、つ、妻にするって………。」

「ああ、妻にする。」


(ぶひゃー!)


 金持ちはもれなく一夫多妻制である。

 お遊びの相手ではなく、妻の一人として扱ってくれる、というのは、今は郷長の娘にすぎない小古根ここねにとっては、破格の扱いだ。なにしろ、継人さまは貴族なのだから。


小古根ここね

 私は、おみなを一人しか愛さないわけではない。

 おのこも好きだし、出世の足がかりになるようなら、おまえより身分の高いおみなのもとに通うこともあるだろう。

 私が一番大事なのは、出世だ。

 だが、おまえに恋した。

 おまえが私の心に乗る妻だ。

 どうだ。私を愛せるか。」

「もう。なんて横暴な人なの。」

「正直だろ?」

府田売ぶためには、おのこと寝てるなんて噂だって取り繕ったくせに。」

「ああ。愛ではなく、打算の関係だったからな。必要な嘘ならいくらでもつく。」

「最低。」

「くく、否定しない。私を愛せないか?」

「ぐぅぅ………。」


 なにか悔しくて、小古根ここねはうなる。


「はは。小古根ここね、愛してる。」

「うっ。」


 あまりにまっすぐに、照れることなく、継人さまは想いを口にした。小古根ここねの全身が、かっ、と熱くなる。

 小古根ここねが黙っていると、そっと、耳の近くに、


小古根ここね、愛してる………。」


 甘い言葉がささやかれた。


「こんな私を、受け入れてくれ。愛してると言ってくれ。」


(ああ、もう駄目。)


 身体がふるえる。愛してる。愛してる。秋津島のすべてに向かって叫びたい。


「変態だけど、愛してる。」

「あははは! ありがとう。小古根ここね、大切にする。なにせ、おまえの身体は非常に美味しい。まだまだ、味わい足りなくてな。」

「この色魔!」


 感動がふっとんだ。

 小古根ここねはジト目で、相乗りして馬を駆る継人さまに、思い切り肘打ちをくらわした。


「あはははは!」


 継人さまは笑った。ちらりと振り返ると、その笑顔は明るく、幸せそうで、陰険なところはなかった。


「さ、私をたばかった府田売ぶため馬麻呂ままろに懲罰を与えにいくぞ。」







     *    *   *



 ※万葉集 作者不詳

《参考》 万葉集 岩波書店




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