黄色い相棒、仲間を呼ぶ。
黄色いカングーが住宅地を走り抜けて海岸線へと入っていく。
それを見届けた桂 凪砂(かつら なぎさ)は、小さく笑った。
凪砂は晶が支店長を務めるディーラーの整備部門のリーダーだ。
薫のカングーが届けられた時に納車前最後の点検をしたのは彼女だった。
この辺でカングーを乗り回しているのは知っている中で3台、そのうち黄色いカングーは薫だけ。もしかしたら地方から他のユーザーが乗り入れてきた可能性を探ろうにも、あの個性的なカングーは薫以外に該当しない。
車体の天井部にあるアンテナの先端に、特注のハートのアクセサリーをつけているのは薫のカングーであるという目印だ。
凪砂にとっても薫の黄色いカングーは特別なカングーだった。
あのカングーは薫が知らないところでもたくさん愛されてるカングーだった。
新店納車1号目ということを省いてもあの可愛らしいルックスにまず凪砂は惹かれていた。
そして、何を隠そう、そのハートのアクセサリーを取り付けたのは他でもない凪砂だ。
日々通う薫との対話の中でカングーのアンテナの話になり、少し可愛く飾ることはできないかと依頼されて様々な試作品を生み出しては提案を繰り返して採用されたアクセサリーがあのハートのアクセサリーだ。
整備には直接関係のない装備ではあるものの、自分を頼ってきてくれたことを凪砂はとても喜んでいた。
これから長く付き合っていく黄色いカングーに信頼を持って凪砂を頼ってきてくれた。整備士として嬉しいことこの上ないし、個人的にもそんな大切な選択に携わることが出来ることは誇らしかった。
そして今日は新たにカングーが世に放たれる日だ。
聞けば、あの黄色いカングーを見た別のユーザーがその魅力にハマって、買い替えるのならカングーがいいとなり、ご来店くださったようだった。そしてそのカングーが今日納車されるということで、再び納車式を執り行うからと晶から指示が下りてきていて、凪砂はその買い出しの帰り道だった。
「大切な門出を盛大に。金平さんらしいわ。」
晶の顧客がまるで示し合わせたかのように言葉に多少の違いはあれど、口を揃えて言う言葉がある。
「大きな買い物をしたことが霞むくらいに彼は温かい。」
ホッとした、安心した、この先が楽しみだと晶の顧客は皆、そう言って穏やかに幸せそうな笑顔を浮かべていたのを凪砂は何度も見届けてきた。
それは顧客だけではなく、スタッフ内でもそうで、その人柄はあのディーラー全体で太鼓判を押すほどの評判だ。
子どもが熱を出したとひとたび耳にすれば、水分補給にとスポーツドリンクと果物ゼリーをわざわざ手渡して早く帰るようにと支店長命令を出すような人だ。
あえて支店長命令としていうことで周囲からの不満が当人へと向かないようにする姿勢には凪砂も感嘆の息を漏らした。
こういうところが上層部ひいては顧客にも何らかの形で伝わり、あのディーラーが愛されているのだろう。
でもそんな晶にだって苦手なものは存在する。
そもそも晶は人付き合いが苦手なのだ。
最初にそれを知った時は何を聞かされてるのか、一体どの口がその言葉を言ってるのかと理解が追いつかなくて間抜けな顔を晒したことがある。
じゃぁこの人脈は何?沼田さんとはどうやって?とつい、追求したくなるのを凪砂はなんとか堪えた。
2人があまりにも仲が良いので、これでは恋人ができたとしても入る余地ないねーなんて冗談を交わしていた同僚はスペースキャット状態に陥っていたのを覚えてる。
それだけ自分たちの中で晶が苦手とするものが意外すぎたのだった。
あの接客はじゃぁあれか、晶の皮を被った誰かがやってるっていうの?なんてありえないことを考えてしまうくらいには。
晶の接客はおそらく、晶にとって当たり前だと思うことをやってるだけなのかもしれない。それはでも、心がこもっていなければ思った形では伝わらないだろう。
それが伝わっているということは、晶が普段から義務ではなくて自然な心持ちで接客しているから、そこに心が乗って伝わるんだろう。
晶は特に厳しくスタッフに接することはほとんどない。
経理に関わること、顧客の信頼や安全に関わること以外はそれぞれのやり方で任せてくれている。
当たり前と言えば、当たり前のことだ。
リスクマネジメントも出来ていないで安全を提供するなんてできるわけがない。
自分のところも守ることが出来ないで顧客を守ることは出来ないということなんだろう。
晶から寄せられる信頼を凪砂を含めた他のスタッフは信頼で返す、それがあのディーラーの在り方だ。
買い出ししたものを持ち帰った凪砂を出迎えたのは今しがたまで脳内を占領していた晶だった。
「ごめんね!ありがとう!助かったよ〜!」
さわやかにそう言って当たり前のように荷物を受け取り、冷えたミネラルウォーターのペットボトルを凪砂に渡す。
「金平さん、これは?」
「ん?暑かったでしょ?水分補給にと思ってね。良かったら飲んで〜!」
「えぇ!わざわざ、ありがとうございます!」
こういう気配りが晶の魅力の一つだと改めて体験した凪砂は、やっぱり人付き合いが苦手だなんて嘘だと内心で漏らすのだった。
天性の人たらしでしょ、なんて付け足してクスッと笑って。
「金平さん、私は何すればいいですか?」
グイッともらったミネラルウォーターを半分くらい飲んで蓋を閉め、気合いを入れるかのように深呼吸してハリのある声で凪砂は先に行く晶の背中に声をかけながら追いかけて行った。
カングーは行く。
今日も多くの荷物を乗せて、多くの思いを人々へ届けるために休みなく。
いつか出会った生粋のカングー好きの青年は、この日本で黄色いカングーを迎えて今やいろんな人にカングーの魅力を伝えながら幾多の荷物を運ぶ個人営業の配送業を成功させ、来月には人を雇うからと再びこのディーラーへ訪れて新たなカングーの商談を親友である晶としている。
2人のそんな光景を見かけて、自分も頑張るぞと気合いを入れて凪砂はピットへと向かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます