第7話 業者との闘い

「美桜、業者が来――お、お前……景真に何をした!」


 部屋に入ってきた忠嗣は、畳に突っ伏している景真を見て目をむき、慌てて駆け寄った。


「うぅ……父上……お気になさらず……」


 景真は片手を震わせながら、かろうじてそう呟いた。


 ――ほんの少し、ストレッチとすり足、体幹を鍛えるトレーニングを教えただけなのに。


(……どれだけ怠けてたんですか)


 私は小さくため息をついた。


 景真には、いずれ剣術・体術を極めてもらうつもりだ。 そのためには、まず身体の柔軟性と体幹が重要だ。毎日顔を合わせなくてもいいように、一人でも稽古を続けるように脅しておいた。私と一緒に行う鍛錬は週に二、三回。早朝の人気のない場所で行うことに決めてある。


「では、私は化粧品を見てきますね」


 背後で忠嗣が「ま、待て! おい美桜!」とわめいていたが、私は軽やかに無視して、颯爽と部屋をあとにした。


 女中に案内されて向かった先は、畳敷きの一室に、漆塗りの大きな箱がいくつも並べられている部屋だった。


(……これは……期待できそう)


 部屋の中央で控えていたのは、物腰の柔らかそうな年配の女性だった。背筋をすっと伸ばし、にっこりと微笑んでいる。


「まあ……このたびはご用命ありがとうございます、篠森様」


 穏やかな声色のまま、女性は私の顔を上から下までじろりと眺めた。その視線は柔らかいはずなのに、なぜかうっすらと敵意を感じる。けれど、次々に並べられていく数々の化粧品に、そんなことはすぐにどうでもよくなった。


「あの……どのような種類があるのか、教えていただけないでしょうか」


 女性は丁寧に、化粧の時代背景を語ってくれた。 難しい話はよく分からなかったが、要するにおしろいと口紅が主流で、髪の毛の美しさや練香水で個性を出すらしい。


「……わかりました。では、おしろいと口紅を見たいのですが……私に似合いそうなものはありますか?」


「そうですねぇ……こちらなど、いかがでしょう」


 女性が取り出したのは、肌色と完全にかけ離れた真っ白のおしろいと、目が痛くなるほど真っ赤な口紅だった。


「篠森様のお肌は、たいそう焼けておられます。この肌を覆い隠すには、このくらい白いものでなければ……」


 にこりと微笑む。


「それに、お顔立ちがかなり中性的でいらっしゃるので――どこから見ても女性とわかるように、こちらの紅をしっかりと」


(……女とわからないから、わかるくらい派手な顔にでもしておけってこと……?)


 にこやかな笑顔の奥に、明確な敵意を感じて、私はじわじわと苛立ちを覚えた。


 確かに美桜の顔立ちは中性的だ。だが私は、その雰囲気がとても気に入っている。少し手をかければ洗練された美人になると思っていた。――それを業者にまで馬鹿にされるなんて。


「……あなたのところでは買いません」


 私が静かに言い放つと、女性は一瞬だけ目を細め、にっこりと微笑んだ。


「……そうですか。それは――良かったです」


 穏やかな声で、ゆっくりと告げる。


「あなたにうちの商品を使っていただくと……私たち紅梅屋の品位が下がりますから」


(……っっ!!)


 どこまでも腹の立つ言い方に、拳が出そうになるが、ここは我慢だ。彼女が化粧箱を丁寧に片づけるのをじっと見守り、女中に「ほかの業者を呼んで」と静かに頼んだ。


「では、これにて失礼いたします」


 女はにっこりと微笑む。


「桜子様のような“真の”淑女になられた際には、ぜひ紅梅屋へお越しくださいませ。 首を――大変長くして、お待ちしておりますわ」


「!?」


(……“淑女になるにはものすごく時間がかかる”って言ってる!!)


「そうですね……流行り廃れもありますから。 その頃までに、もし紅梅屋さんがお店を構えていらしたら、立ち寄らせていただきますね」


 私も負けじと、にっこりと笑顔を返した。


 すると、女の笑顔の端がぴくりと引きつる。何も言い返さず、お辞儀だけして静かに立ち去っていった。その背に心の中で、中指を立てた。


(……紅梅屋、絶対許さん)


 紅梅屋の女が去ったあと、部屋に静けさが戻った。

 私はしばらく無言で天井を見上げ、怒りを鎮めるために深く息を吐く。


(……次に似たような人が来たら、拳が出るかもしれない)


「し、失礼いたします……」


 物騒なことを考えていたとき、控えめな声とともに、小さな木箱を背負った人物が襖のすき間から顔をのぞかせた。年は私とそう変わらないくらいだろうか。細い体つきに、淡い灰茶の髪をひとつに結んでいる。


「瑠璃川屋と申します……。とても小さな店ですが……お呼びいただき、ありがとうございます」


 控えめに頭を下げ、背負っていた木箱を丁寧に降ろす。紅梅屋ほどの豪華さはないが、道具をひとつひとつ宝物のように扱う所作に、思わず好感が湧いた。


 彼女は私の顔をまじまじと見つめると、木箱から数種類のおしろいを取り出した。


「篠森様の焼けたお肌には……こちらのお色味が合うかもしれません。お手を」


 言われるがままに手を出すと、ふわりと指先でおしろいがはたかれた。白すぎず、自然に肌の色と溶け合っていく。


(……この人は本物だ……)


「ありがとうございます。こちらを購入します」


 女性は顔を上げて、目を丸くした後、はっとしたように、深々と頭を下げた。


「あ、ありがとうございます……!」


「あと、口紅も見たいのですが……」


 女性は木箱から数種類の口紅を取り出した。どれも柔らかく、自然な色合いだ。


「髪色に映えるのは……こちらの薄桃色かと。もう少しお色味が欲しければ、朱を少し強めたこちらの色も……」


「――全部買います」


「……え?」


「どれも気に入りました。それと……今後もお願いしたいのですが、店舗はどこにありますか?」


 女性はしばし呆けたように瞬きをしていたが、やがて頬をほんのり赤らめ、小さく微笑んだ。


「……はい。城下の裏通りに、小さな店を構えております……。本当に小さな店ですので、篠森様のような方に来ていただくのは……」


「いいえ、絶対にまた行きます。よろしくお願いします」


 きっぱりと言い切ると、女性の瞳がぱっと見開かれた。


「……はいっ!ご所望がありましたら――何なりとお申し付けくださいませ!」

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