第27話 玲奈との研究協力 ― 実験開始の日
冬の朝、サンフランシスコの空は薄い灰色のベールをまとっていた。研究所のガラス張りの壁面越しに、霧がゆっくりと街を覆い、遠くのビルの輪郭を曖昧にしている。
僕はその景色を背にして、玲奈の案内でAI恋愛モデルの実験室に入った。ここで、これまでの恋愛感情の観測理論を検証するための実証実験が始まる。
広い実験室の中央には二つの個室が並んでいた。防音ガラスと分厚い壁で隔てられ、互いの存在を直接感じられない造りになっている。それぞれの部屋には被験者用の椅子とテーブル、心拍や皮膚電気反応を測定するセンサー類、そして高解像度カメラが設置されていた。
「今日の仮説は、隔離状態で観測すれば、観測される側の固有の精神状態を正確に捉えられる、というものよ」
玲奈は手元のタブレットを操作しながら説明する。
「二人は恋愛関係にあるカップルで、実験中は直接会話も視覚接触もできない。観測者は一人ずつ交代で、相手の状態を記録するだけ」
最初のペアが到着し、それぞれの部屋に案内された。カメラが起動し、モニターに二人の映像が並ぶ。
一方の部屋では、女性が落ち着いた様子で椅子に座り、視線を固定している。もう一方の部屋では男性が足を組み替え、時折天井を見上げる。
観測者として割り当てられた方の映像からは、相手の顔や姿は見えない。AIはセンサーから得たデータを解析し、感情スコアとして表示する。
しかし、結果は期待ほど安定しなかった。被観測者のスコアは一定の範囲内で揺れてはいるものの、その変動に明確なパターンはない。
「再現性が低いわね」玲奈が眉をひそめる。
「観測者の意識や集中度も影響しているかもしれない」僕はモニターを見つめながら答えた。
その日の実験は何組かで繰り返されたが、いずれも同じような結果だった。被観測者の状態は測定できても、それが恋愛関係特有の応答なのかは判別できない。
夕方、結果をまとめながら、僕たちは次の手を考えていた。
二日後、玲奈が新しい実験案を持ってきた。
「二人を同時に観測するのはどうかしら。両方の精神状態をリアルタイムで記録して、相互作用を見るの」
「同時観測……直接会話できない状態で?」
「ええ。完全に隔離したまま。でも、一方にだけ精神的刺激を与える」
その「刺激」には二種類あった。ひとつは動揺を誘うもの――たとえば相手が別の人物と親しげにしている映像や、別れを暗示する文章。もうひとつは愛情を高めるもの――二人の思い出の写真や、相手からの愛情表現の音声。
午後、実験が始まった。ペアのうち、男性側の被験者に「愛情を高める刺激」を与える。モニター上の彼の心拍はわずかに上がり、表情筋の動きが柔らかくなった。驚いたのは、何の刺激も与えていない女性側のデータにも変化が現れたことだ。心拍数が同調するように上昇し、皮膚電気反応の値が揺れ始める。
「……見て、これ」玲奈が画面を指差す。
「刺激を受けた側と、何も受けていない側のスコアが同時に動いてる」
「偶然じゃないのか?」
「続けて別のペアでもやってみましょう」
次の組では、女性に「動揺を与える刺激」を見せた。映像を見た瞬間、彼女の感情スコアは大きく変動し、数秒遅れて男性側にも不安定な揺れが現れた。
それはまるで、隔離された二人の間に目に見えない回路が存在し、片方の感情がもう片方に伝播しているかのようだった。
実験室の静けさの中で、僕は自分の鼓動が速くなっていくのを感じていた。これは単なる数値の偶然ではない。観測される側の感情は、観測する側の精神状態に左右される――そう、恋愛関係においては。
玲奈はモニターから目を離さずに呟いた。
「この現象、あなたと私にも当てはまるかもしれないわね」
その言葉に、僕は一瞬返事をためらった。なぜなら、この実験結果は科学的発見であると同時に、僕自身の関係性にも直結する事実を突きつけていたからだ。
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