第16話 再び玲奈と ― 決意と予感

 隼人と別れた夜、僕はまっすぐ帰宅するつもりで地下鉄に乗った。けれど車内の窓に映る自分の顔は、どこか落ち着きなく揺れていた。

 旬を逃すな――隼人の言葉が耳の奥に残っている。魚も恋愛も、最適なタイミングを見極める感覚が必要だ。理屈やデータでは測れない直感の領域。それを自分は避け続けてきたのではないか。

 気づけばスマートフォンを取り出し、玲奈にメッセージを打っていた。「今夜、会えるか?」

 しばらくして返事が届く。「いいわ。どこにする?」

 僕はすぐに、彼女が以前から気になっていたと言っていた丸の内のフレンチレストランの名前を送った。

 夜9時過ぎ、店に入ると、白いテーブルクロスとキャンドルの灯りが落ち着いた空気を作っていた。窓の外にはライトアップされた東京駅が見える。玲奈は既に席についていて、黒のワンピースにシルバーのペンダントが光っていた。

「こんばんは」

「こんばんは。急なお誘いだったけど、来てくれてうれしい」

 メニューを開きながら、彼女が言う。

「今日は私がワインを選んでいい?」

「もちろん。含蓄に富む選択を頼む」

 彼女は笑って、ソムリエにブルゴーニュの赤を頼んだ。軽やかでありながら奥行きのある味わいが、この場にふさわしいと。

 前菜のスモークサーモンが運ばれ、香りが立ち上る。玲奈はフォークを手に取りながら、少し真剣な表情になった。

「あなた、この間サンフランシスコで会ったときよりも、何か変わった気がする」

「そうかな」

「ええ。迷いが少し薄れたような……でも、その代わりに何かを決めようとしている顔」

 ワインを口に含むと、果実味と酸味が舌に広がった。僕はグラスを置き、彼女を見た。

「奈々とも会った」

 玲奈は驚かなかった。ただ、ゆっくりと頷いた。

「そう……どうだった?」

「変わってたよ。彼女も、僕も」

「じゃあ、そろそろ自分の答えを出す時ね」

 メインの鴨肉のローストが運ばれ、ナイフを入れると肉汁がソースと混ざって艶やかに光った。

「僕は、理論で恋愛を説明できると思っていた。光速のように、愛の速度は一定だと」

「今は?」

「一定でも、感じ方は変わる。誰と、どこで、どう時間を過ごすかで」

「それなら、あなたは誰とその時間を過ごしたいの?」

 彼女の視線は真っ直ぐで、逃げ場がなかった。

 僕はグラスを持ち上げ、少し揺らしてから言った。

「まだ全部の答えは出せない。でも、君と向き合う時間をもっと増やしたい」

 玲奈は小さく微笑んだ。「それがあなたの決意なら、私は受け止めるわ」

 デザートのチョコレートムースが運ばれ、甘い香りがテーブルを包む。二人でスプーンを入れ、口に運ぶ。甘さが舌に広がると同時に、胸の奥に温かいものが満ちていった。

 食事を終え、店を出ると、丸の内の街は夜風に包まれ、イルミネーションが並木道を彩っていた。僕は歩きながら言った。

「次に会う時は、もっとはっきり答えを持ってくる」

「楽しみにしてる」

 彼女の声は静かだったが、その奥にある期待と信頼がはっきりと伝わってきた。

 歩道に落ちる二人の影は、並んでゆっくりと前に伸びていった。

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