第18話 狩るか、狩られるか①
並々ならぬ決意をもって登校した朝、教室にはすでに沙理がいた。似たようなキャラクターの女子たちとつるんでキャッキャとはしゃいでいる彼女を見て、貢の中の「殺してやる」という気持ちは、「でも、どうやって?」に変わる。
ハンターが狩りをできるのは学校の敷地内だけだ。屋外で殺すのは現実的ではない。校舎か寮に限られるが、相手は女子だ。さらに他の、事情を知らないウサギに見られたら警察沙汰になってしまう。目撃者も殺さなければならない。
だから人気のない場所に彼女を呼び出さなければならないのだが、さて、どうしたものか。
自分が天嗣のようなイケメンで、声をかけるだけで女の子がホイホイとついてくるようなタイプであったのなら。あるいは、圭一郎のように誰にでも軽い調子で話しかけて、女子から警戒心を抱かれないタイプであったのなら。残念ながら貢は、どちらでもなかった。
仮定法でいくら考えても、名案は浮かばない。教室で彼女の動向をじっと見ているのも怪しい。
貢はそっと視線を外し、頭を冷やすべく廊下に出た。
登校時間まではまだしばらくある。別のクラスの友人と話すために、教室から出ている生徒も多い。二人一組で何事かをやりとりして、こちらを窺う様子さえ見られるのは、あれはハンターと食人貴のコンビだろうか。両方とも別のクラスで、名前を知らない。交友関係の広そうな圭一郎あたりに聞けば、わかるだろうか。意外と天嗣も、あれで知人は多い。彼の場合は周囲が放っておかないのだ。勝手に名乗って、ミカエル様との対話を試みるものだから、知り合いばかりが増えていく。
その天嗣の命を救うために、今俺が動かなけりゃならないんだぞ。
太腿のあたりをバシッと強く叩いて気合いを入れる。立ち止まっている貢を、後ろから呼び止める声。
「ねぇ、明日真くーん?」
甘ったれた、ぞわぞわする声音だった。雑音らしく埋もれて聞こえなければいいのに、はっきりと耳に届く。一度息を止めた貢は、ゆるりと吐き出してから振り向いた。
「どうしたの、野又さん。大村さんのことで、何かまたあった?」
後ろから追いかけてきた沙理に投げかけた質問に、彼女は虚を突かれた。目をぱちくりとさせ、唇を小さく開ける、なんとも間抜けな、小動物が餌を落としたときみたいな顔だ。可愛らしいことに間違いないが、貢はすでに、彼女が鬼であることを知っている。
「どうしたの? また、大村さんが夢に出てきたんじゃないの? お前の番だ、だっけ?」
沙理が貢にするのは、いつも由加の話だった。だから今回もそうだと思ってこちらから切り出した、というのは理に適っている。実際には、揺さぶりだ。
由加を殺したことを忘れるな。彼女の中に、まだ人間の心があるのなら――広岡のように狂っていないのならば、殺した同級生への罪悪感が存在するはずだ。
沙理は少し焦った素振りを隠しながら、誘ってきた。ツインテールの毛先を指で遊ばせ、下から見上げるようにして、貢の目を覗き込む。可憐で守ってあげたくなる美少女に、冷たい表情を向けないように苦労した。
「夜にさあ、学校で会えないかな、と思って」
「え?」
あからさまなお誘いに、声を上げた。
「あ、やだぁ。違うの。その、ふたりきりになるのって、人がまだいると難しいじゃない? だから、そういうときってみんな、夜の学校を使うの。忘れ物をしましたぁって言ってね」
何が「違うの」なのかわからないが、貢が驚いたのは、こうもあからさまな誘いが通用するのか、ということだった。それなら自分から言えばよかった。身体を強張らせて、いかにも愛の告白をします、という形で行えば、違和感もそれほどなかっただろう。
沙理は貢に一方的に集合時間を言い渡すと、くるんとスカートを翻して立ち去った。廊下を小走りに行く彼女の後姿を見送っていると、急に耳元に、生ぬるい風が吹いた。
「ぬわっ!?」
がっちりと肩をホールドされ、今感じたのが自然の空気の流れではなく、男の呼気であったことに気づく。気持ちが悪いと相手を見れば、圭一郎であった。まぁ、この男ならば仕方がない。何をするかよくわからない奴だ。
「いいねーぇ。青春? でも野又って絶対お前じゃなくて、ミカエル様狙いだよなあ」
「わかってるよ、そんなの。別に彼女とどうこうなろうってわけじゃない」
どうこうしようとはしているが。
夜までにやらなければならない準備を考えて気が滅入るのを、そんな風に自分の中だけで茶化す。
圭一郎は、「ふーん」という顔で、「わかってんならいいけどさ」と言い放ち、自分の用事を済ませるべく、少し離れたところにいた女子生徒を呼びつけた。
肩まで伸ばした髪は艶のある黒で、まっすぐだ。丸顔で、はにかんだ笑みを浮かべてこちらを見ている。
誰だ?
「この間話しただろ? 俺の双子の妹を紹介するって」
「ああ……」
それがこの子か。今日じゃなくても、という貢側の事情など、圭一郎の知ったことではない。
「
圭ちゃん、ねぇ。
お前可愛い双子の妹から、そんな風に呼ばれてんのかよ、の視線を圭一郎は受け流す。
「なんだよ~。美男美女の双子に見惚れてんのか~?」
「いや、全然」
うっかり即答してから、貢は慌てて弁解をした。
「いや、江良さんが美人じゃないとかそういう話じゃないからね!? 俺はまず、こいつに見惚れたりなんかしていないわけで……」
喋れば喋るほど墓穴を掘っているような気がして、最終的には貢は口をパクパクさせるしかできなくなる。
奏絵は貢を笑って許した。
「楽しい人なんだ、明日真くん」
「そら、俺の友達だからな~」
「なんでお前が自慢げなんだよ」
三人で笑いながら、貢は思う。
自分の意志で人を殺してからも、俺はこのふたりと笑っていられるだろうか。
いや、そもそも自分が生き残ることができるのか。
夜九時を回り、学校は守衛しかいない時間である。部活も何もない燭仁学園高校は、教師が帰宅するのも早い。だいたい十九時には、どの教師も帰っているらしい。
そりゃ、誰も殺し合いに巻き込まれたくないよな。
待ち合わせは九時半、体育館ステージだ。屋内だと一番広い場所で、障害物も少ない。逃げる側に圧倒的に有利なような気がして、貢は先に着いているべきか悩む。そもそも今回の場合、「逃げる」という選択肢は互いにあるのかどうか。
広岡がやったような一方的な殺戮ではなく、沙理とは最初から、お互いに殺す気でいる。背を向けて逃亡する事態にはならない。
ならば体育館で
考えても、たいして頭のよくない貢には、わからない。天嗣がいてくれたなら、と、今は宗谷によって入院措置を取られている相棒のことを思う。
今日、自分が頑張れば天嗣は学校に戻ってくる。
貢は寮を出て、学校に向かった。文也と訪れたときと同じように、守衛に入室ノートを差し出され、自分の所属と名前を記入する。
当然、この守衛もこの学校がどういうところだかわかっていて、生徒たちの誰がハンターなのかも把握している。顔を上げた貢を見る目は、あの日と違っていた。ウサギではなく、ハンターとして人殺しに赴くのはもう、子どもではなくいっぱしの大人だとでもいうように、冷めた目をしている。
体育館に行く前に、貢は寄りたい場所があった。花壇である。犠牲者のための小さな塚に手を合わせ、これからのことを懺悔する。
「ごめん、文也。俺、これから人を豚や牛みたいに、殺すんだ」
口に出すと余計におぞましく、貢はやれやれ、と目を開けて拝むのをやめた。
不意に塚が目に入る。不安定な石が積んであるだけのそれは、しかし、教頭の手で調えられているときには、揺れたり崩れたりせずに立っている。だが、今の石塚は、ふらふらしている。
理由はわかりきっている。沙理が一度壊したのを無理矢理貢が積み直したせいだった。応急処置のつもりだった。教頭は毎日、この塚にやってきては、掃除をしていた。壊れそうになっていたら、直すに決まっている。
「教頭先生……?」
あれは、何日前のことだったっけ?
思いだそうと額に手をやって考えるが、何せいろいろなことがありすぎたために、覚えていない。
明日、訪ねていってみよう。生きていたら。ううん、生きなければならない。
貢は頭をゆっくりと振って、今度こそ体育館へと向かった。
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