第13話 平穏で不穏な学校生活②

「どう思う?」


 文也亡き後、一人部屋になってしまった貢もまた、天嗣の部屋に入り浸っていた。寂しいという気持ちもあるが、動機としてはハンターの挑発である。俺はお前たち憧れのミカエル様の懐に、ここまで入り込んでいるんだぞ、というのをわかりやすい形で示している。


 なお、入室は許可されるものの、楽しい会話をしているかといえば、そうではなく、大抵の場合は本を読む天嗣の隣で、貢も勉強をしたり漫画をしたり、ゲームをしたりするだけであった。


 今日はたまたま、学校で沙理が騒ぎを起こしたので、相談を持ち掛けた。彼の部屋はもともと一人での使用を目的として作られているため、机や椅子、ベッドはひとつずつしかない。貢の定位置は床である


 天嗣は読みかけの本に栞を挟み込み、椅子を回してこちらに向き合う。地べたに座る貢よりも高い視点にあることを気に留めてもいないのは、その体質に思うところはあったとしても、彼がノブレスォーガとして生まれ育ったことを表している。一度だって彼は、貢の隣に腰を下ろしたことはない。


 腕を組み、少し考えるフリをした天嗣は、「もう生きてはいないだろうな」と、淡々と言った。


「だよなあ……ハンターに殺されて、今頃は」


 ちらりと冷蔵庫を見る。この中には、人肉ジャーキーが入っている。二人部屋のノブレスォーガは、部屋の外にでも肉の隠し場所があるのだろう。大村由加はすでに、加工に回されている。学校ないし寮で殺されたとして、徹底的に清掃も行われ、痕跡はひとつも残っていない。


 存在そのものが、この世から抹消される。誰も悲しまない。葬式すらあげてもらえない。肉はすべて食用加工され、残った部分は焼かれて処分される。


 途端に胸の奥がざわざわして、貢は明日の朝、登校前に教頭が作った塚に手を合わせにいこうと決めた。これから殺人者になろうというのに、少々感傷的すぎるのは自覚している。


 ぼんやりしている貢に、天嗣は鋭い声を向けた。


「それで、君。その子を殺したハンターにかたき討ちでもする気か?」


 我に返った貢は「できれば」と頷いた。別に、由加本人のためではない。彼女のことは何も知らない。いつも冷たい無表情を浮かべていた同級生、ただそれだけの相手だ。


 貢が由加を殺したハンターを見つけたいと思うのは、沙理のためだった。


 彼女は、突然同室の人間がいなくなって、相当参っていた。文也という友人がいなくなった貢のことを同志だと思っている。公的には文也は行方不明ではなくて退学したことになっているが、女の勘、という奴なのかもしれない。ただの自主退学ではないと疑っている様子だった。


 今日なんて、誰もいなくなった教室に呼び出され、「明日真くんにしか、わかってもらえないの」と、うるうるした目で見上げられ、縋りつかれた。


 肩にかけられた指の震えに、どう見てもウサギであるこの子を守らなければ男が廃る! という気持ちが芽生えた。大村由加を殺し、沙理を怯えさせるハンターを見つけて、返り討ちにしてやると誓った。


 頼りない彼女の背に触れようとしたところで、通りかかった教頭の「そろそろ帰りなさい」コールに邪魔をされたが……。


 沙理も不満だったらしく、しおらしく「わかりました」と応えたその口で、彼の背中に向かって舌を出した。従順な生徒と奔放な少女の行き来を目の当たりにして、貢はクラクラした。あたし、教頭きらーい、とぶうぶういう彼女に、「俺もちょっと苦手」と、心にもないことを言って宥めた。


 沙理とのやり取りを思い出しながら、貢はポーカーフェイスを心掛けた。ハンターの訓練でも苦戦したところだった。感情を読まれないようにすることは、初歩の初歩だというのに、抑圧されずにすべてを開放して生きてきた貢にとっては、大変難しいことだった。


 なので、目の前でふんぞり返っている天嗣には、すべてがお見通しであったらしい。


「君がどんな相手と付き合おうと、俺には関係ない」

「つつつ、付き合うだなんて、なぁ!?」


 明日真貢、高校一年生。転校ばかりの中学生活で彼女ができたことは一度もない。過剰に反応するのに呆れを隠さずに息を吐き出した天嗣は、表情を引き締めた。ポーカーフェイスもお手の物なのだろうな、見習わなければな、と、貢も唇を結んだ。


「……だが、よく考えた方がいい」


 ひと呼吸をいて、彼は残酷な問いを向けた。


「ハンターが、一番殺しやすいのは誰だと思う?」


 と。





 五月も半ばを過ぎ、ひとつ、またひとつと減っていく席に、さすがの一年生たちも「おかしくないか?」と、気づき始める。確かに素行不良の人間も多く入学しており、彼らが退学したり転校したりするのはわからなくもない。だが、それにしても多すぎる。


 中には、勇気を出して二、三年生に過去のことを聞きにいく生徒もいたが、あいにく彼らは語らなかったし、その後、姿をくらました。ハンターに狩られたのだ。次第に何も言わなくなる生徒が増えた。先輩たちと同じように。


 そうかと思えば、転入生もやってくる。何も知らない顔をして、いなくなった生徒たちの机を割り当てられ、一緒に生活を始める。


 食糧の補充だ。貢は胃のあたりがぐるぐるするのを感じた。


 気持ち悪くなるのは、自分が新参の軟弱者だからだろうか。それとも、全員が自分自身の罪に向き合っているのだろうか。


「おはよう、明日真くん……」

「野又さん」


 声をかけられて、ぎくりとした。振り向けば沙理の顔は真っ白で、いつもはナチュラルに施されたメイクもされていない。目の下は隈、トレードマークのツインテールも左右で高さが違うし、毛先がパサパサに傷んでいる。


 昨日までとまるで違う異様さにぎょっとして、貢は「平気? 保健室行こうか?」と、声をかけた。


 沙理は首を横に振る。やはり具合は悪そうで、目を潤ませている。とにかく彼女を座らせて、貢は自分が立ったまま、話を聞くことにした。


「夢を、見たの……もう何日も、おんなじ夢。由加がね、出てくるの」

「大村さんが?」


 頷いた沙理が語る夢の内容といえば、支離滅裂でひどいものだった。


 バラバラにされた由加が、恨み言を延々としゃべり続けるというものだ。


『お前のせいだ。お前が私を殺したんだ。怖いか? 怖いか? 私はもっと怖かった。お前が憎い。次はお前が殺される番だ』


 目が覚めるまでの間、ずっと罵られ続けた。叫び声とともに起きて、沙理は真っ先に、自分の首が胴体と繋がっているかどうかを触って確かめたという。


 夢の中の由加は、生首状態だった。お前の番だと呪いの言葉を吐きながら、由加の首はずりずりと接近し、動けないままの沙理の身体に乗り上げる。


 そしてその鋭い牙を突き立てられたところで夢から覚めたというのだから、さぞ恐ろしかっただろう。


「あの夢が本当なら、由加はもう……」


 貢は何も言えなかった。間違いなく、由加は死んでいる。この学園に潜伏しているノブレスォーガの血肉となっているのだ。そんなこと、沙理に言えるわけがない。


「あ、あたしも殺されちゃう……?」

「野又さん!」


 虚ろな目をして、どこかここではない世界を見つめているような沙理を引き戻すべく、貢は強く呼んだ。ハッとして、ようやく視線が合ったことに少し安堵する。


「夢は、夢だ。次が君なんてことはない」


 由加が生きている、とはさすがに言えなかった。なるべく嘘をつきたくない。


「明日真くん……」

「ほら、やっぱり保健室に行こうよ。先生がいるから、ひとりじゃないし、嫌な夢も見ないんじゃないかな? なんなら俺も付き添うし……」


 貢の説得に、沙理はくすりと笑った。無垢な少女の微笑みに、貢の心が奪われる。


「それって、明日真くんがサボりたいだけなんじゃない?」


 見惚れていたことをごまかすように、貢は頭を掻いて、わざとらしい大きな声で、「いや~、バレたか!」と言った。これで少しでも、沙理が元気になってくれるのなら、それでいいやと思った。


『誰が一番、殺しやすいのか』


 先日の天嗣の問いが、脳裏によみがえってくる。


 お前もハンターになったのなら、ハンターの気持ちになって考えてみろと言うのだ。


 実際、自分が最初から食人貴に食糧を供給する役目を負ってこの学校に入学したと仮定して、最初の獲物を誰にするかをシミュレーションしてみた。


 先生? 会ったばかりの同級生や、すでにこの学校がおかしいことに気がついている先輩たち? そのどれもが、現実的ではなかった。


 もしも自分が初心者のハンターだったら、真っ先に狙うべきは。


 思い当たった答えを、貢は即座に否定した。頭を強く振って、「そんなはずがない」と、天嗣に面と向かって言った。


 たまたま同室になったウサギを殺すのが、一番手っ取り早い。おそらく、そういう組み合わせになっている。それがハンターにとって、最初の試練だから。


 初めてなら、眠っているときに殺すのがたやすい。途中で覚醒するのが恐ろしいのなら、一緒に食べようと誘って、お菓子に薬でも混ぜておけばいい。


 だが、この作戦を肯定することはすなわち、由加を殺した犯人が沙理ではないかという疑いを孕むことになる。そんな馬鹿なこと、あるわけがない。あんなに怯えているのに、実際は自分で殺していました、など。演技にしても、達者すぎる。彼女はただの女子高生だ。


 頑なに、可能性すらも認めようとしない貢に、天嗣は愛想を尽かした。勝手にすればいい、と諦め、以降はこちらを見ようとしなかった。


 涙を拭う彼女を連れて、保健室へと向かう。その途中で、天嗣に出くわした。話しかけるのも畏れ多いと遠巻きにされている彼は、相変わらずひとりだった。貢と目が合っても、その表情に変化はなく、ふっと視線を下に向けた。


 その表情がアンニュイで素敵だと、すっかり涙の乾いた沙理はうっとりと見つめていた。ただただ苛立たしく、貢は強引に彼女の手を取ると、ずんずんと保健室へ向けて歩き出す。


「明日真くん?」


 細い手首に感動する心の余裕すらなく、貢はただ、天嗣の目から沙理を隠したかった。


 それにしてもあいつ、いつもにもまして顔色が悪かったな。真っ白だった。貧血か?


 廊下ですれ違った天嗣のことを思い出したのは、養護教諭に沙理を託し、保健室の扉を後ろ手に閉めたときだった。




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