食人学園

葉咲透織

第1話 ノブレスォーガの名門・三日月家①

 春うららかな、四月。


 体育館に差し込んでくる光が、来賓席に座っている偉そうな男の禿げ頭に直撃している。反射していることに気がついているのは、おそらく入学式に集中できていない人間だけだろう。


 現に、みつぐの隣に座っている女子生徒は、真面目くさった顔をして、面白くない校長の祝辞に相槌を打ちながら、聞いている。彼女の目には、あまりにも面白い光景が映っていないのだ。


 なんてもったいないんだろう、と思った。教えてあげたい気持ちになったが、もしも彼女が耐え切れず、爆笑し始めてしまったら、式は台無しだ。


 こういうのは、自分から気づいている人間と共有するから楽しいのだ。


 ただ、貢は「明日真あすま」という出席番号一番がほぼ確定している人間のため、新入生の列の先頭に並ばされている。そのため、不自然にならない程度に様子をうかがえるのは左右の人間くらいのもので、逆隣の人間もまた、気づいていない様子だった。こちらはぼーっとしていて、目を開けたまま眠っているようだ。


 後ろにも目があればいいのにな、とぼんやり思う。


 ――私立燭仁しょくじん学園高校。全寮制の高校であるこの学園に入学できたのは、貢にとっては非常にラッキーなことであった。


 何せ、両親は去年の春に交通事故で両方とも死んでしまった。


 それまで漠然と思い描いていた、普通に大学まで卒業して就職して、という人生プランを叶えるのが、急に難しくなった。生命保険や貯金など、相続するものはたくさんあった。貢の両親はともに天涯孤独の身だったから、親戚もいない。


 そんな貢を憐れんだ搬送先の医師が、弁護士を紹介してくれたり、葬儀会社の人と一緒になってどうするか考えてくれていなければ、両親を満足に送り出すこともできなかっただろう。


 奉燭会ほうしょくかいという慈善事業団体(その実態は新興宗教団体ということも知っているが、貢は特に気にならなかった)と引き合わせてくれたのも、この医者だった。貢は短い間だが児童養護施設に入り、奉燭会が運営しているこの燭仁学園に入学することが決まった。


 入試は一応受けたけれど、やけに簡単だった。特別措置かもしれない。試験監督に、わざわざ名前を確認されたから。受験勉強どころじゃない時期が長く続いていたので、正直ありがたかった。


「――新入生代表、三日月みかづき天嗣たかし


 先ほどまで壇上にいた校長よりもよほど威厳のある声の司会だ。たぶん、あれは教頭なのだろう。


 呼ばれた「三日月」というきらきらしい名前の生徒は、「はい」と返事をした。深みのあるいい声だった。貢の席からだと、彼が立ち上がって動き出す姿は見えない。目の前のステージに登壇するまで、三日月天嗣なる少年がどんな人間なのか、わからなかった。


 壇上に現れた男子生徒に、貢の目は釘付けになる。来賓席のぴっかり頭のことは、すぽんと意識から抜けた。


「……このよき日を迎えられたことを、嬉しく思います」


 自分で考えたのではない、押しつけられた挨拶文は、棒読みだ。


 ただ、あまりにも声がよかった。高校一年生、変声途中でざらつき掠れた声の男子生徒もいる中で、安定した低い声は、どっしりとした木の幹を思わせる。


 ほぅ、と隣の女子の口からうっとりとした溜息が漏れる。彼女だけではない。逆隣の男子も目を覚まし、あんぐりと口を開けて見上げている。貢からは見えないが、後ろに並んでいる生徒たち全員、似たような顔をしているだろう。もちろん、貢自身も含めて。


 一番前に着席しているから、三日月天嗣なる人物の顔がよく見える。校長の、緊張のせいか汗ばみ、赤らんだ顔は見ていてもつまらなかったが、美しいものはずっと見ていたくなるものだ。


 さらさらと流れる黒い前髪の奥に隠れているのは、凛々しい眼。貢はアイドルやイケメン俳優に詳しくはないが、テレビでよく見るどんな芸能人とも似ていない、際立って美しい顔だ。しいて言うのなら、海外のファッションショーに出演する一流のモデルにいそうな印象だ。


「……新入生代表、一年B組、三日月天嗣」


 締めの言葉に、ハッとした。気づいたときには、天嗣は一礼し、ステージから降りてくる。脇にある来賓席に向けて再びお辞儀をして、自分の席へと戻っていく。


 予定にはなかった拍手が、どこからともなく鳴り始めた。校長や来賓からの祝辞であっても、こんな事態は起こりえない。目をやれば、教師までもがぼんやりと恍惚とした目をして、拍手に参加していて衝撃だった。


 何よりも、貢の関心を誘ったのは、


(あの禿頭のピッカリに直面しても、ひとつも表情を崩さない。なんていう精神力なんだ!)


 入学式に臨む心をすっかり駄目にされていた貢は、天嗣の美貌以上に、その頑強な精神力に、そっと息を吐き出した。さすがに、流されて拍手に参加する気にはなれない。何もかもが異様だった。


「さすがノブレスォーガ……」

「ミカエル様の名前は、伊達じゃないな」


 ノブレスォーガ?


 拍手がまばらになってきたところで、背後から聞こえてきた単語に、貢は振り返って「何それ」と聞きたい気持ちをぐっと我慢した。聞いたことがあるような、ないような。


 マイクを通した咳払いに意識を引き戻され、貢は司会の教頭に目をやった。


 ――そういえばこの人も、拍手には参加していなかったな。


 なんだか難しそうな顔をしている。彼が教頭でよかったと思った。


 授業を担当することがないからだ。気難しそうな教師に担当されては、緊張してしまう。


 たぶん、これからの学校生活で密にかかわることはないだろう。


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