金色飛行~駆け込み堂怪異話~

江東うゆう

第1話 駆け込み堂と少年

「駆け込み堂さん、駆け込み堂さん。どうか、妲己だっきを生き返らせておくれ」


 黒髪の少年が一人、熱心に祈っている。

 結心ゆいこは小さなお堂の中に座ったまま、それを聞いていた。

 少年は胸元に金色の飾りを下げている。

 魚に似ているが、両翼があるのは鳥のようだ。紐に結びつけられた尾のほうは、胴に対して垂直に立ち上がる羽がある。

 金色の小さなそれは、飛行機に似ている。


「どうかどうか、妲己を生き返らせておくれ」


 しびとを生き返らせる願いは、駆け込み堂では珍しいものではない。事故に遭った人、病気だった人、行ったきり帰ってこぬ人など、事情はさまざまだ。

 結心は話を聞いて、道理があると思えば堂の扉を開く。そして、時間を少し戻して、死を回避する手立てをとってやる。


 ――そうはいっても、人は必ず死ぬのだけれど。


 結心はえりの合わせ目にある紐をいじる。


「妲己はこの地に逃げてきて、退治されたそうじゃ。どうかどうか、生き返らせておくれ」


 祈り続けている少年の着物の上衣は、右前である。白い上衣は膝までで、膝から下は薄青いが見えていた。

 結心の上衣は左前だ。少年のものよりやや長い。うぐいす色の上衣の下に薄色の着物を重ね、腰から足元にかけては裳をいている。

 

 駆け込み堂のある町の人々は、細い筒袖の、洋服、とかいう種類の衣をつけている。ただ、立春から一月前の頃合いに、袖も裾も長い衣を身につけることがある。少女たちは髪をうなじが見えるほど高く結い上げるのだ。

 見かける度に、寒そう、と結心は思う。後ろ髪を首の後ろで折り曲げて結う結心からすれば、首筋に北風が通るだけでぞっとした冷たさを感じないかと疑うのだ。

 

 駆け込み堂の前で祈っている少年はもっと寒そうだ。

 前髪も後ろ髪も、毛先が見えない形にきつく結い上げている。

 結心には初めて見る髪型だった。


「その妲己とやら、どのように亡くなられたのか」


 結心は少年に声を掛けた。

 少年が顔を上げた。


「妲己を、ご存じないのですか。堂主様」

「私は堂主ではない。術者であるだけ。事故か、病か。何故に亡くなられた」

「殺されたのです」


 少年の声は落ち着いている。

 結心は初めて、おかしい、と思った。

 たいていの者は、堂の中から声がすれば驚いて飛び退く。少年はそうしなかった。殺された者の縁者が訪ねてくることもあるが、たいていは死因を言うとき、声を詰まらせて泣く。だが、少年は。


「術者様は、時を戻すと聞いております」


 そんなことも、どこから聞いたというのだろう。術が施されると、祈った者の記憶も書き換えられる。駆け込み堂で何をしたかなど、誰も答えられないはずなのに。


「これを、どうぞ」


 少年は首からさげていた金色の飾りを外し、堂の格子戸から差し入れた。

 金色の小さな飛行機に似た飾りの、両翼には渦巻き模様がついている。丸い堂には顔にも似た模様が浮き彫りされていた。

 結心は飾りをつまみあげようとした。その瞬間、指先に痛みが走った。

 同時に、洋服を着た自分の姿が思い浮かんだ。

 よくお参りにくる女子高生が着ているような服だ。同じ椅子と、机の並んだ室内にいる。窓が大きい。一面ガラスだ。ガラスに向かって、空から金色の鳥が飛びかかってきた。

 鳥? いや。


 一瞬の夢想から覚めて、結心は目の前の金色の飾りを見る。

 飛んできたのは、これだ。大きさは違うが、金色の模様のついた丸い飛行機。


 ――今のは?


 結心は扉から離れた。金色の飾りがころりと堂内に転がった。


「術者様、その飾りを拾ってください」


 少年の声に、結心はあとずさる。

 

「私は、堂から出られない。拾って、あなたに渡すなんてことは」


 かすれた声で言い訳をする。心の中では必死に、駆け込み堂の堂主の名を呼んでいた。


 ――叶翔かなと、気づいて。叶翔、来てよ。


 堂主である叶翔のきまぐれで、結心は堂の観音開きの扉から南へは出てはいけないことになっている。決めごとというよりは、結心の気遣いで、言いつけを守ってやっているという具合だ。だから、飾りを拾って少年に渡せないわけではないが、今はしたくなかった。


 ――怖い。


 結心は、堂の後ろの扉に手を掛けた。その先には叶翔が作った廊下があり、術者たちが住むかのの住まいがある。叶翔はたいてい、そちらで仕事をしていた。

 逃げようとした瞬間。


とく!」


 少年の声が聞こえ、風が吹き込んできた。

 風に巻き上げられるようにして、結心は駆け込み堂から転がり出た。土に突いた手の先に、金色の飛行機が見える。

 頭がくらくらした。また、制服姿の自分が思い浮かぶ。明日は体育があるはずだ。学年末だからドッジボールでもしようかと言っていた。小学生でもないのに、ドッジボールだなんて。


「金の宝貝ほうがいに乗って時代を戻られよ。次こそはうまくやる」


 黄金の飛行機と、覚えのない記憶に気を取られているうちに、少年は大人の口調になっていた。声も低い。見上げると、少年のいた場所には、大男が立っている。

 男は無言で結心の首に黄金の飛行機のついた飾りをかけた。

 めまいはいっそう酷くなり、見知らぬ風景が脳裏に広がる。五階建ての校舎、正門のアーチ、学校までの坂道。テスト明けのファストフード店。

 駆け込み堂の、日々の仕事とはまったく異なった世界の風景。

 頭痛がした。次々思い浮かぶのに、どこかも、いつかもわからない。気持ちが悪くて、結心は口元を手で覆う。


やめ!」


 突然、首にかかっていた紐が切れ、黄金の飛行機がはじけ飛んだ。

 目の前には鶯色の衣の背中が見える。

 高く結い上げた髪、白い袴、結心と揃いの色の結紐。

 叶翔だ。大男と結心の間に、立ちはだかっている。


「もろこしの王よ、本朝の術者は渡さぬ!」


 いつもへらへらしている叶翔の声が、今日は強い。

 叶翔は指で宙に模様を描き始めた。呪だ。二人の周りに結界を作り、大男の術をかわそうとしている。

 大男は叶翔の呪を引き裂くように腕を振り回した。よほどの力があるのだろう、叶翔も結界を張ることができずにいる。

 結心は急に眠くなり、土の上に倒れた。

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