第4話

 小川と岸本は顔を見合わせる。

 絶対に今、自分たち以外に通行人はいなかった。だってここはどん詰まりの一本道。たとえ小さな子供だったとしても気づかない方がおかしい。


「おばさん、あれ、わるいひとよ」


 敷地に侵入してきた小川と岸本を睨むように首だけ振りかえって見つめる少女は年齢にして十歳くらいか。くたびれた半袖シャツにスカート、靴ではなく女児向けのビニールサンダルを履いている。


「こんにちは、お姉さん」


 先陣を切ったのは意外にも岸本の方だった。小川も次いで「こんにちは」と人の良い顔をして体を屈める。


「おばさん、きいちゃだめ」


 しかし少女は挨拶はせず、玄関の上がり口に座っていた女性にだけ口を聞く。また小川と岸本は顔を見合わせる。今どきの子供は小学生だろうがよく“不審者に対する”教育がされている。口を聞いてはいけない、挨拶もしてはいけない。

 その教育のおかげか少女は高齢女性に「だめ」と言い続ける。


 女性の方も小川が連れて来た日焼けをした小太りの中年男を見て訝しげな表情を向ける。ここまでやっておいて田舎特有の“余所者”を見る目にやられてしまうがそんなこと、岸本は慣れていた。


「おじさんたちおばあちゃんと大切なお話をしていて」

「だめ」

「えーっとね、困ったなあ。暑いし、お家に帰った方が良いよ?お母さんとか心配してない?」

「でてって」

「こっちも商売なんだけどなあ」


「で て い け」


 少女の声音が小川の胃を掬った。

 その声は本当に今、こちらに向き直った少女が発したのか、それとも高齢女性が唸るように発したのか分からない。けれど小川は僅かに身じろぎをしてしまう。これから大物を釣る為の古い扇風機はもう、玄関まで引き出して来たのに。


 よく見れば少女の手には何か握られている。細い手の先にはナイロンの細いストラップが垂れ下がり……つまり、防犯ブザー。都会の子供たちが持っているような最新の可愛らしい物ではないが薄ボケた灰色の旧型の防犯ブザーがその華奢な手に確かに握られている。


 どうやら今日は学校が半休だったのかもしれない。


「おじさんたち、まだ使えたり直したら使えるものをお金と引き換えに……分かるかな、街の方にある古本屋さんみたいな」


 岸本は言うがそれからはもう、少女は一切口を聞かなかった。

 自分より遥かに背の高い男二人を前に玄関前から一歩も引かない。


「出直しましょうか」


 小川は少し下がって岸本に耳打ちをする。


「……しょうがねえな。ババアの方は」

「あと一押しと言ったところで」

「ブツはあるんだな?」

「それは確かに見ましたが」


 あ、コイツやる気だ。

 小川がそう思うのは当たり前だった。

 どうせ使いもしない箪笥の中身。豪邸と言えども埃の玉が転がる古びた家で家族の気配は薄かった。


「おばあちゃん、今日はどうでしょう。その扇風機を“五千円”で買い取らせて貰えませんか」


 一応、仕掛ける岸本だったが玄関口にいた女性は「ああ、ごめんなさいね」と言う。


「でもほら、今日は」

「ごめんなさいね」

「五千円ですよ?お茶代くらいには」

「ごめんなさいね、本当に……ごめんなさい」


 なんだか話にならなくなっている。

 もうこれが限界か、と岸本も思ったようで「今日はチラシだけ持って帰りますね」と先に小川が玄関に置いておいたポストカード大のチラシを回収する。

 もとよりそのチラシの代表電話番号はつながらないが知恵が働きそうな少女の視線。親にチクられてあとで警察に提出されて指紋を取られると“自分たち”はだいぶマズい立場だった。


 撤退する際の彼らの手際の良さを少女は睨むように最後まで見つめていた。


「おばさん、すこしあそんでいっていい?」


 敷地から出ようとする小川と岸本の背を追い掛けることはしなかったが少女のその声は日暮れまで女性宅に居座ることを宣言していた。


「クソ、まだ警戒してやがる」


 岸本の大きな捨て台詞に少女は無反応でどこから出したのか大きなボールを胸に抱えてじーっと妙に日に焼けた男二人を見つめていた。


「ったくよォ……」


 悪態をつく岸本だったが彼はすでに算段が付いているようで女性宅から少し離れた電波が安定した場所からどこかに電話をかけ始める。どうせ自分たちの更に上の方。本職のヤクザ、でもない特殊詐欺を行っている新興組織の上役。少し前は半グレを束ねていたようなヤクザ崩れの人間が今では大きな元締めとなり、最近は人身売買の如く国際的に動いているだのなんだの……。

 まだ十代、子供同然の若者を高額バイトを謳った詐欺の実行役として海外の拠点に飛ばし、パスポートを取り上げる。異国の地で逃げられないように囲い、働かせる。それと比べれば、と小川は岸本の背中を見ながら自分がやっている事はまだマシだと思えた。


「許可が出た。やるぞ」


 通話を切った岸本の声に小川は嫌でも了承しなくてはならない。どうせ相手は独居老人。物音や声が周りにすぐ聞こえるような場所でもない。

 この一件を済ませば早々に帰れるのだ。面倒な事はさっさと済ませてしまいたい。




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