神祠との衝突

それからしばらくの時が経った。

 慧輪達は仏法を広める一方で大和の言葉も学び、少しずつではあるが話もできるようになっていった。

 蘇百寺には日を追うごとに沢山の人が来るようになり、その見事な仏像に感じ入り仏に帰依する者も増えていくのだった。

 そんな折、慧輪が法仁と語り合っていると、複数人に抱えられた人が寺に転がり込んできた。

「ああ、和上様。こいつが、こいつがいきなり倒れたんです。歯の根も合わないほど震えて、頭も燃えるように熱い。どうかお救いください!」

 慌て法仁が駆け寄ると、その男は紙のような顔色で苦しそうに喘いでいる。そして頭はおろか全身がひどく熱を持っていた。

「これはいけません。慧輪、水を汲んできて下さい。あなた方は隣の部屋へそのお人を寝かせて下さい」

 法仁が指示し、その場にいた者達は急いで従った。

 しかしその者を寝かせている間に、二人三人と同じように熱を持つ者が運び込まれてきた。

「阿河、大臣様に急ぎ知らせて下さい。原因は分かりませんが病者が多く、寝かせるために寺の一角を使わせていただくお許しを得てきて欲しいのです」

「お任せください、和上。熱冷ましに良い草も取ってまいります故、今しばらくご辛抱の程を」

 そして阿河は駆け出し、稲目の屋敷に向かっていく。

 そうしているうちにも病者は増え続け、慧輪達は知識が乏しいながらも水を与え、薬草を与え、そして仏に慈悲を願った。

 稲目も法仁の申し出に答え、寺の一部に病者を収容する許しを出した。さらに渡来してきた者の中から薬に長じる者を遣わし、この病の広まりを抑えようと力を尽くした。

 

「我が君!」

 大王の前に尾輿が進み出て頭を下げる。

「宮中の内外の事、すでにお聞き及びの事と存じます」

「疫病のことであろう」

 少し疲れた様子で大王は答えた。

「そち等物部も中臣も、そして蘇我や秦も手を尽くしておることは知っておる。様々な手は尽くし、大和の神にも祈りをささげた。蘇我稲目にも命じて仏にも祈らせている」

「それにございます」

 目も鋭く尾輿は声を上げる。

「百済から蕃神が持ち込まれ、寛大なる我が君はこの大和に入る事をお許しになりました。しかしやはり神々はそれに屈む事に怒りを覚えたようでございます。この疫病、蘇我が蕃神を祀りだしたからに他なりませぬ」

 大王はしばらく額に手を当て考えていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「では、そちはどうしたいのだ」

「仏像を燃やし、寺を燃やし、その火でもって神々に許しを請いまする」

「……よかろう。しかし人には手を出すでないぞ。民草はもちろんの事、蘇我や僧達もだ」

「仰せのままに、大王」

 そして尾輿は大王の前を辞すると、兵を起こすべく馬に乗って駆け出すのだった。

 

 また一人、慧輪の前で男が息を引き取った。

「ああ、御仏よ! どうか、どうかわずかばかりのお慈悲を!」

 疫病の中にあって僧達はあまりにも無力であった。薬草で多少熱が和らぐ者もいたが、大半は手や足が痛いと苦しみ、噴き出すほどの汗をかきながら雪に横たわるがごとく寒がり、わずかに飲んだ水さえすぐに吐き出していた。

 そして。

「ゴホッ」

 法仁が咳き込んだ。

「和上! お体が優れませんか!?」

 法仁は弱々しく笑ってみせる。

「心配には及びませんよ、慧輪。一度に病者の面倒を見たために疲れが出たようです」

 しかし慧輪が法仁の額を触ると、燃えるような熱をすぐに感じた。

「和上、いけません。すぐにお休みください! 後の事は、足りずとも我々が」

 慧輪と阿河は急ぎ僧房に法仁を寝かせ、できうる限りの手を尽くした。

 その折だった。

「中に人はおるか! 出ませい!」

 寺の外から聞く者を圧倒する声が聞こえ、慧輪は何事かと顔を出す。

 そこには兵を従えた物部尾輿が、魔も畏れよと堂々と立っていた。

「此れ病の蔓延りしは蕃神に対する大和の神々の怒りなり。我神祇を司る物部の名の下に蕃神を火に返し、神々に許しを乞う。心得たならば」

 と、尾輿が右手を大きく上げた。それを合図に後ろの兵が一斉に火のついた矢を構える。

「疾く寺から出よ! 人を害する事は我が意に非ず。火に落ち道途絶えるはぬし等の心にも反するであろう」

 有無を言わせぬ尾輿の言に慧輪は震え上がった。

「お慈悲を、大連様! 中には病者が多数おります。動くこともままならない人々なのです」

「ならぬ。ぬし等も知っての通り病は留まる事を知らぬ。ここから程近い場所に仮屋がある故そこに運び込め。この地は火によって清めねばならぬのだ」

「仕方があるまい」

 慧輪が振り返ると、苦々しい顔をした稲目が馬を駆っていた。

「大王のお許しを得たのであろう、物部殿? 私とてこのような蛮行は許しがたいが、さりとて争わば大王に弓引く者となる。なれば急ぎ病者を移し、このような場所など明け渡してくれる」

「大臣様……」

「事が収まれば我が手の者がすぐにでも再建する。今は耐えよ、和上」

 慧輪は悲しげに合掌し、近くに住む者、寺に集う者、そして蘇我の者の手を借り、仮屋まで多数の病者を移した。

 その決して短くない時間、尾輿と兵は去る事なく巌の如く動かなかった。

 最後の一人を運び出し、僧達が寺に向かって合掌すると同時に尾輿は手を振り下ろし、そして火矢が放たれる。

 始めは小さな火であったがすぐに空を焦がす焔となり、寺全体が灼熱の業火に包まれた。

 倭国に来て初めての寺。

 徐々に人が集まりだしていた矢先。

 病に無力な己の両手。

 静かに佇む仏像。

 数多の感情が慧輪の胸に渦巻き、いつしかそれは涙となり彼の頬を伝って地面に落ちた。

 ーー御仏よ、お慈悲は何処にあるのでしょうか……。

 火が収まるや、尾輿は兵に命じて焼け跡から仏像を掘り出し、程近くを流れる水路に投げ捨てさせた。

 慧輪はそれを横目に見ながら、なんとか持ち出した小さな木彫りの仏像に向かって、ただ沈黙のうちに合掌するのみであった。

 

 蘇百寺が焼き討ちにあって数日。

 疫病の広まりはやや緩やかになったようだったが、すでに数多くの人々が倒れ、少なくない命が散っていった。

 そして、ここにまた、一人。

 稲目が持つ屋敷の一つ、その一角に法仁は寝かされていた。

 その目は赤く落ちくぼみ、震える手は未だ燃えるような熱を帯びていた。

 ここ何日かうわ言を言うこともあったが、慧輪が水を差し出すとそれを飲み、阿河も近くに寄せた。

「阿河、慧輪……。あなた達には心から感謝しています。百済から今まで、良くぞ仏法を支えてくれました」

 慧輪がその手を握ると、法仁は満足そうに微笑んだ。

「倭国、いや、大和での最初の寺はあのようなことになってしまいましたが、あなた達がいれば、大臣様の下これから先も安泰でしょう」

「和上……。そのようなことを……。これから先もお導き下さい」

 慧輪も阿河も、堪えきれず言に嗚咽が混じる。

「悲しむことはありません。……人も獣も虫も、生き物はいずれ死ぬ。死して魂は輪廻をめぐり、またこの世に生まれるのです。慧輪、あなたもよく知っているでしょう。輪廻を幾年も幾年も巡り、生まれ、死に、やがて浄土に至る」

 苦しそうに、しかしそれでも穏やかに、言が綴られる。

 法仁は慈愛の笑みを浮かべ、二人の手をしっかりと握り返した。

「次の世で出会う時は、慧輪、あなたが私の師僧となっているかも知れませんね。そして阿河、あなたは行動の人です。その背でこの大和の仏法を、何よりも慧輪を導いて下さい」

 ひときわ大きく咳き込み、血が吐き出された。

「……二人とも、在り続けて下さい。在ればこそ、その魂は巡り、再び会うことも叶いましょう。在り続けるのです」

「ああ、和上……! まだ俺にも慧輪にもあなたが必要です!」

「二人とも、立派になりました。……また、輪廻の先で、相見えんことを、御仏に願って……。少し、疲れ、ました……」

 法仁は息を大きく吐くと、そのまま永い永い眠りについた。

 志半ばで異国の地に病で倒れ、しかし穏やかに導きを遺した僧であった。

 

 法仁の亡骸は丁重に葬られた。

 仏法の、また百済の習いに従って火に葬することを慧輪達は望んだが、大和の習いや設備ではそれも叶わなかった。

 木棺に納められた亡骸は稲目が取り分けた僧のための墓所に葬られ、慧輪達や稲目もその前で経を上げた。

「力尽きたか」

 慧輪が振り向くと、尾輿が手に米を持ち立っていた。

「その信相容れずも、大和の安寧を願った心もまた真なり。高僧法仁の死、我物部尾輿、誠に悼む」

 尾輿はそう言って、法仁の墓所に米を手向ける。

「物部殿、感謝します」

 稲目は頭を下げた。

「我は蕃神を拒めど人を貶める事は望まぬ。この者は真から大和の平和を祈っておった。天津神もその祈りは喜んでおられよう」

 経を上げながら慧輪はそのやり取りを聞いていた。

 無力な我が手でも、安寧を祈ることは出来るのだろうか、と。

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