第2話 浄化の日
広間に集められた子どもたちは、緊張した面持ちで列をつくっていた。天井からは白い光が降り注ぎ、壁際には先生たちが並んで立っている。みな笑顔を浮かべ、祝福のような声を投げかけていた。
「今日はいい日よ。みんな、きれいになって帰ってきましょうね。」
先生のその言葉に、子どもたちはいっせいに歓声を上げた。レグは列の中ほどに立ちながら、周囲を見回す。嬉しそうに飛び跳ねる子、順番を待ちきれず押し合う子。その光景は、まるで遠足の出発を待つときのようだ。
だがレグの胸には、一つの疑問が浮かんでいた。
「浄化って、どうして必要なんだろう」
小さく呟いた言葉は、隣の子の笑い声にかき消された。
列の先頭が、ゆっくりと銀の扉に吸い込まれていく。中からは何も見えず、音も聞こえない。ただ、入った子が数分後に戻ってくるとき、必ず頬を赤らめて笑っている。
「気持ちよかった!」「すごく軽くなった!」
そう口々に叫びながら走り出す。だから皆、浄化の日を楽しみにしていた。
レグの番が近づくにつれ、足元が重くなる。
背中を押され、ついに銀の扉の前に立たされた。
先生が優しく微笑む。
「さあ、あなたの番ですよ。」
レグは頷き、扉をくぐった。
中は、外の喧噪とは別世界のように静かだった。真っ白な壁、天井、床。中央には椅子がひとつ置かれているだけ。
「座ってごらんなさい。」
どこからか声が響いた。
従うように腰を下ろすと、頭上からやわらかな光が降りてきた。温かい水に浸かるような感覚。胸の奥に沈んでいた黒いものが、少しずつ溶かされていく。
――でも。
溶けていくものに抗いたい気持ちがあった。
消えてしまえば、自分が自分でなくなるような恐怖があった。
「いやだ。」
レグはかすかに声を漏らした。
だが光は優しく、逃げ場のないほどに全身を包み込む。心の奥底で疼くもの――名前のつかない痛み、胸を締めつける鈍さ――それらが溶けて染み出していくように取り払われていく。
目を閉じながら、レグは思った。
――これが「きれいになる」ということなのだろうか。
――なんだか、本当の自分まで削られているような気がする。
やがて光が消えると、部屋は再び静寂に戻った。扉が開き、外の子どもたちの笑い声が流れ込んでくる。レグは立ち上がり、ぎこちなく歩き出した。周囲は「どうだった?」「よかったでしょ?」と口々に問いかけてくる。
レグは笑おうとした。
けれど唇の端はわずかに震え、答えは喉の奥に引っかかったままだった。
施設には、いくつものルールがあった。けれど子どもたちは、その多さを不思議だとは思わなかった。生まれたときから当たり前に守ってきたことだから。
たとえば――
「夜には外を歩いてはいけません」
「窓の外を長く見つめてはいけません」
「浄化を拒んではいけません」
どのルールも、先生たちが笑顔で繰り返すたび、子どもたちは声を揃えて復唱した。そうするのが習慣であり、日課であり、安心さえするのだった。
先生たちはいつも笑顔だった。頬が固まってしまったように、決して崩れない笑み。目だけは妙に澄んでいて、子どもをまっすぐに見据えていた。それは愛情にも似ていたが、同時に測られているような感覚もあった。
「いい子たちね。あなたたちは、この世界でとても大切な存在なのよ。」
「だから、きれいでいなければならないの。」
先生たちの声は、鐘の音のように澄んでいた。子どもたちは頷き、遊びに戻っていく。
けれどレグだけは、胸の奥でその声の響きを反芻していた。
――きれいでいなければならない。
――どうして?
――誰のために?
だが、その問いを口にしたことは一度もなかった。もし尋ねれば、先生はにっこりと笑い、同じ言葉を繰り返すだけだろうと分かっていたからだ。
施設の壁は白く、どこまでも続いているように見えた。廊下は明るく、床は磨かれ、窓には分厚いガラスがはめ込まれていた。外の景色は、雲の流れも草木の色も、まるで絵のように遠かった。
「外には行けないの?」
かつて誰かがそう尋ねたとき、先生は言った。
「外は、きれいではないからよ。」
その一言で、みな納得したように黙った。
けれどレグだけは、胸の中に小さなわだかまりが生じるのを感じた。
――外は、本当に汚れているのだろうか。
その答えを知る術はなかった。ただ、先生たちの笑顔とルールの下で、子どもたちは今日も「きれい」に暮らしていた。
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