魔王軍環境対策部門・外部顧問 環境コンサルタント・マルムの現場録
野々村鴉蚣
甘い悪夢
甘い悪夢 一
「人間どもを八つ裂きにしろォ!」
「うおおおおおお!」
「女子供を攫ってしまえェ!」
人類と魔族が戦争を始めて、もう百年余りが経過していた。
魔国領にある魔王軍兵舎では、今日も武器を抱えたオーガの群れが朝から鍛錬に勤しんでいる。
二メートルを超える巨体のオーガたちが、巨大な鉄棍棒を振り回す。彼らは生まれながらに筋肉の発達が優れており、常人では扱えない武器を軽々と操る魔王軍の主力部隊だった。
「どうした、もうへばったか!」
隊長オーガが叫ぶ。
「いや、まだやれます!」
全身から桃色の汗を噴き出しながら、二十名のオーガが必死に技を磨く。
ただ力任せに殴るのではない。勇者と呼ばれる人間の最終兵器に対抗するため、鋭く、時に優雅に、相手を翻弄するための技術を身につけるのだ。
隊長は二十名の部下を見て確信していた。これだけの戦力があれば、例え勇者であろうと我々を突破することはできまい、と。
勇者という存在は、ある日突然現れた。今まで魔王軍が優勢を極めていた戦局を、たった一人が覆したイレギュラーだ。
その強さに恐怖した魔王軍は、一度敗戦すら覚悟していた。だが、隊長は違った。
「絶対に我が軍が貴様を倒してやる、勇者」
隊長の闘志は、まだ見ぬ人間の青年へ向けられている。伝説の剣を抜き、心技体を揃えた勇者。それを倒すためには、魔王軍もまた同様に心技体を揃える必要があるのかもしれない。
こうして日々厳しい特訓を行い、それに耐えたオーガの軍。きっと彼らの力をもってすれば、勇者を倒すことも叶うはずだ。
「ふふふ、見てろよ勇者ッ!」
隊長が不敵な笑みを浮かべていたその時、一人のオーガが突然膝をついた。
「どうした! 休めとは言っていないぞ!」
「隊長、き、気分が悪いです! この匂いは……」
「匂い?」
隊長が怪訝な表情を浮かべた瞬間、彼もまた顔を険しくした。
「うっ……、なんだこの甘ったるい匂いは」
「気持ち悪い……」
「オエェェェェ」
甘いカラメルのような、まとわりつく匂いが兵舎全体を包み込む。
数名のオーガは今朝食べた雑炊を吐き出し、また数名は必死に鼻を押さえて抵抗する。
しかし、空気中を漂う甘い微粒子は指の隙間をすり抜け、鼻の粘膜を刺激した。
一人、また一人とその場に嘔吐し、崩れ落ちる。
「おのれ……、勇者めッ」
隊長がそう呟いて倒れた時、異変に気づいた医療班のオーク部隊が駆けつけた。
「訓練中のオーガが突然倒れた模様! 今すぐ救護に入れ!」
◇
「甘い匂いで全員が意識を失った、か」
魔王軍唯一の人間、マルムは医療班からの報告を受けて深く頷いた。二十四歳の彼は、引き締まった筋肉質の体に汚れた作業着を着込み、腰の革ベルトには各種測定器具をぶら下げている。
短く刈り上げた茶髪と鋭い眼光が、彼の実直な性格を物語っていた。
「一度現場を見ていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
マルムは報告してくれたオークの肩にポンと手を乗せて微笑む。
「早期発見に感謝する。おかげで我が軍の戦力が大きく損なわれずに済んだ」
「いえ、とんでもありません!」
「さて、キリハ。行こうか」
マルムが振り返ると、部屋の隅に立っていた長身の女性がゆっくりと立ち上がった。身長一七五センチのスレンダーな体型に、鮮やかな緑の髪を肩まで伸ばしている。
複眼を思わせる大きな緑の瞳と、やや尖った耳が、彼女の蟲族であることを示していた。
黒い作業服に身を包んだ彼女の前腕部には、人間サイズに縮小された小さな鎌が備わっている。カマキリ族の特徴的な武器だった。
マルムに続いて、キリハと呼ばれた女も後を追う。二人して救護室を出た途端、むわっとむせ返るような甘ったるい匂いが立ち込めた。
「この甘い匂いの正体を突き止める」
マルムの決意の言葉に、キリハは無言で小さく頷く。彼女は口数が少ないが、マルムへの絶対的な信頼を瞳に宿していた。
玄関まで送ってくれたオークに軽く頭を下げ、二人は現場へと向かう。
「あれが魔王軍環境対策部門外部顧問環境コンサルタント……」
オークは二人の背中を見つめながら呟いた。
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