第30話

美咲の言葉は、裕子の心に重くのしかかった。それは正樹を想う美咲の感情だけでなく、この町に暮らす人々の静かな審判のようにも感じられた。


「中途半端な気持ちで、この町を弄ばないでほしい」


裕子は、美咲と別れた後も、その言葉が頭から離れなかった。自分の覚悟は、本当にこの町に残るに足るものなのだろうか?


夜、裕子は正樹の家を訪ねた。彼は畑の帳簿をつけていた。裕子を見つけると、すぐに笑顔を向けたが、その目には昼間のカフェでの出来事に対する不安が滲んでいた。


「正樹さん…」


「裕子、昼のことは気にすんな。美咲はちょっと口が悪いんだ」


「違うの」


裕子は、正樹の隣に座った。


「美咲さんの言う通りだと思う。私は、健太の言葉にまだ迷ってる。彼が言う**『キャリア』や『成功』**という言葉に、心が揺れる自分がいる」


裕子は正直に話した。正樹の瞳が、僅かに揺れた。


「俺は、裕子が正直でいてくれるだけで嬉しいよ」


正樹はそう言って、裕子の手を握った。


「でも、裕子。俺は、裕子の『成功』が、東京じゃなくても、この畑で見つかるって信じてる。そして、裕子の居場所がここだって信じてる」


正樹は立ち上がり、裕子をそっと抱きしめた。


「俺は、裕子を支えたい。それが、裕子の過去から逃げていると思われても構わない。裕子がここで笑ってくれるなら、俺は泥にまみれて、この町と畑を守る」


その言葉が、裕子の心を完全に解放した。彼の愛は、都会の論理や、キャリアの価値観をすべて超越していた。


裕子は、意を決して正樹から離れた。そして、自分のスマートフォンを取り出した。


「健太に連絡する」


「…そうか」


正樹は少し寂しそうに頷いた。


裕子は、健太に短いメッセージを送った。


『健太、今までありがとう。東京には戻らない。私の居場所は、ここだよ。』


メッセージを送り終えると、裕子は深呼吸をした。もう、迷いはない。


そして、裕子は正樹に振り向いた。


「正樹さん、明日、健太に直接話す。そして、健太の前で、ちゃんとビジネスパートナーだけじゃないって伝える」


正樹の顔に、再び太陽のような笑顔が戻った。


「ああ、わかった。俺も行く」


その夜、二人は互いの未来を語り合った。畑をどう広げるか、オンラインストアをどう展開するか。二人の夢は、夜空の星のように、無限に広がっていった。


翌朝、裕子は、海辺の町に残るという自分の覚悟を、健太に伝えるため、彼のいる実家へと向かうのだった。

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